■わずか10日間で500億円が支払われた

わずか10日間で100万人を大きく超えるユーザーをかき集めたスマホ決済サービスの「PayPay(ペイペイ)」。QRコードやスマホを使った本格的な決済サービスが国内でも普及し始める中で、今回の大フィーバーは、先進国の中でもキャッシュレス化が大きく遅れている日本での普及の「可能性」を感じさせる結果になった。政府もキャッシュレス化に旗を振っており、今後数年間でスマホ決済サービスの主流派争いが決着しそうな気配だ。

ヤフーとソフトバンクが出資する「ペイペイ」がその名も「100億円あげちゃうキャンペーン」を始めたのは12月4日。支払額の20%分のポイントを還元し、その後の支払いで使えるようにするというキャンペーンを打ち出した。2019年3月末までの予定で、還元額が上限の100億円分に達した場合には打ち切るとしていた。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Bet_Noire)

それがわずか10日間で100億円を突破、12月13日にキャンペーンを終了した。還元されるのは20%分なので、逆算すれば10日間で500億円がペイペイで支払われ、物品サービスが消費されたことになる。家電量販店などでの消費が大きかったとみられる。

■還元の上限額が「LINE Payの10倍」だった

店舗での「全品2割引セール」であればここまでフィーバーすることはなかっただろう。実際、同じくスマホ決済を提供するLINE Payでは商品代金の20%還元キャンペーンなどを実施してきたが、ここまで話題にはならなかった。

ひとつの理由は「上限額」だろう。ペイペイは今回のキャンペーンで一人あたり5万円分、つまり月25万円分の支払いまでを対象とした。一方、LINE Payでは一人あたり5000円分、2万5000円利用分までだった。上限額が先行企業の10倍だったのだ。

そのうえで今回は「100億円」を前面に打ち出し、100億円に達した時点で打ち切るとしたことから、消費者が敏感に反応したのだろう。

■100億円を使って190万人の決済口座情報を獲得

もちろん、2割相当額が新しい通貨とも言えるペイペイで“キャッシュ・バック”されるというところにも面白みを感じたのではないか。便利そうなQRコードとスマホでの決済を試してみようというユーザーの心理に「100億円あげちゃう」という広告文句が響いたのかもしれない。

報道によると、このキャンペーンで、ペイペイは190万人のユーザーを獲得したという。100億円を使って190万人の決済口座情報を獲得したので、1件当たりにすれば5000円強と、効率的な顧客獲得策だったという評価がある。

一方で、100億円は今後、ペイペイ側の負債として残り、顧客が物品購入に還元分を使えば、ペイペイ側に支払いが生じる。獲得した顧客がペイペイを繰り返し利用すれば、店舗などから入る手数料で資金を循環できる。しかし、LINEペイなど他の決済サービスとの競争が激しく、そう簡単には還元キャンペーンにつられて顧客になった人たちが、その後もハードユーザーとして残るとは限らない。

おそらくペイペイはまたどこかのタイミングで100億円キャンペーンに似たキャンペーンを実施するに違いない。要は、草創期の顧客獲得キャンペーン競争が繰り広げられることになるのだ。実際、LINE Payはペイペイがキャンペーンを打ち切った翌日の12月14日から年内限定で、商品代金の2割を還元するサービスを実施している。

■スマホ決済に慎重だった層に火をつけた

日本は先進国の中でもキャッシュレス決済の比率が低いことで知られる。経済産業省が2018年4月にまとめた「キャッシュレス・ビジョン」という報告書によると、2015年時点でのキャッスレス決済比率は、英国が54.9%、米国が45.0%、フランスが39.1%だった中で、日本は18.4%に過ぎなかった。電子化の中身については各国まちまちで、英国やフランスはデビットカードが普及している一方、米国はクレジットカードとデビットカードが普及している。

クレジットカードは後払い型、デビットカードは利用金額が自身の銀行口座から即時に引き落とされる「即時払い型」といえる。

日本では「プリペイド(事前払い)型」の交通系や流通系電子マネーが普及しているほか、クレジットカードの利用も増えている。キャッシュレス決済の比率は10年前の2008年には11.9%だったものが2015年には18.4%となり、2016年は20%を超えた。その後もQRコードを使ったスマホ決済などが急速に広がっており、キャッシュレス決済比率は着実に上昇している。

それが、今回のペイペイのキャンペーンで一気に火がついた感じなのだ。これまでスマホ決済に慎重だった層にも関心を持たれる大きなきっかけになった。

■日本のキャッシュレス化が遅れてきた理由

なぜ、日本はキャッシュレス化が遅れてきたのだろうか。経産省の報告書には、キャッシュレス社会への賛否の理由を聞いた博報堂生活総合研究所の意識調査の結果が記載されている。それによると、キャッシュレスに反対する理由のトップは「浪費しそうだから」、次いで「お金の感覚が麻痺しそうだから」という答えが続いた。

確かに、今回のペイペイのキャンペーンのフィーバーぶりを見ていると、キャッシュレスになると、お金の感覚が麻痺し、浪費を誘発しているようにもみえる。もしかすると、日本の消費が低迷を続けて伸びないのも、手にした現金を見てから消費するという日本人の「律儀さ」に根ざしているようにも感じられる。

もちろん、欧米などに比べて治安が良く、キャッシュを持ち歩くことに不安を感じない点も、日本の現金信仰、キャッシュ重視に結びついているように思われる。

■金融庁と財務省が妙に積極的な「裏事情」

実は、金融庁や財務省など日本政府も、キャッシュレス化に旗を振っている。金融庁はフィンテックの拡大を後押ししているが、その前提として低いキャッシュレス決済比率の引き上げを訴えている。決済が電子化することによって、新しい金融サービスが生まれるというわけだ。ペイペイなどの決済システムもこうした新サービスの範疇に含まれる。仮想通貨(暗号資産)についても金融庁は規制整備などに積極的で、新サービスの拡大を後押ししている。

もちろん、金融庁や財務省がキャッシュレス化による決済の電子化に積極的になる「裏事情」もある。個人や法人の資金移動を把握することで、「所得」や「資産」を捕捉しようという下心があるのだ。当然、課税するためである。

日本では個人間の資金移動が現金によって行われるケースが多いため、なかなか実態把握が難しい。マイナンバーの導入で所得の正確な把握に一歩前進したとはいえ、かねて「9・6・4(クロヨン)」「10・5・3(トーゴーサン)」などと呼ばれた業種による所得把握率の格差は今も残っている。これが、電子決済が普通になり、マイナンバーと連動させることができれば、所得の正確な捕捉が大きく前進するというわけだ。

■「2%増税なのに5%還元しちゃう」キャンペーン

来年10月1日の消費増税に向けて財務省が「還元策」のひとつとして考えているキャッシュレス・ポイント還元策はまさに「キャッシュレス化」を促進することが本当の狙いだ。消費税率の引き上げに伴う消費減対策としているが、対象を中小・小規模事業者に限っているところからも本当の狙いが明白だ。

実際には売り上げの正確な捕捉が難しい中小・小規模事業者の資金の流れを把握するには、決済をキャッシュレス化するのが一番。そのための大盤振る舞いである。「100億円あげちゃう」ならぬ、「2%増税なのに5%還元しちゃう」キャンペーンというわけだ。

お店によって還元したり、しなかったりする消費税対策には、日本チェーンストア協会など業界団体が反対の意見書を出している。大手の傘下でも個人が経営するフランチャイズ形式のコンビニエンスストアなども強く反発。こうした店舗には2%分を還元する案も政府から出ている。

消費税対策としては何が何だか分からない政策だが、キャッシュレスのためにカードリーダーなどを普及させようというのが本音だと考えれば、非常に分かりやすい政策だ。すでにカードリーダーなどが普及している大手ではなく、中小や小規模事業者の店舗にキャッシュレスのための設備を導入させたいわけだ。

ともあれ、2020年には東京オリンピック・パラリンピックに向けて海外から4000万人前後の観光客が押し寄せるとみられており、キャッシュレスが一気に進むきっかけになりそうだ。ペイペイが仕掛けた顧客争奪戦もそれまでには終息し、キャッシュレス決済の「主流派」が決定することになるだろう。

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磯山 友幸(いそやま・ともゆき)
経済ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。

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(経済ジャーナリスト 磯山 友幸 写真=iStock.com)