豊島屋の売り上げの8割がこの鳩サブレーだ(写真:豊島屋提供)

鶴岡八幡宮を参詣した後に、愛らしい鳩の形をしたお菓子を買って帰る。鎌倉ではそうした観光客の姿があちこちで見られる。その鎌倉の定番のお土産とは、鮮やかな黄色い紙袋が特徴の豊島屋の「鳩サブレー」だ。

この鳩サブレーには、別の“愛称”があることをご存じだろうか。その名も「鳩三郎」――。鳩サブレー、鳩サブロ、鳩サブロ……鳩三郎。確かに語呂はよく似ている。発売から間もない明治末期には「鳩三郎」とも呼ばれていたこともあったという。

1894年に創業した

発売元の豊島屋(神奈川県鎌倉市)は、1894年(明治27年)創業の老舗製菓業者。業歴は実に124年を数え、神奈川県内ではトップクラスの業歴、規模を誇る。人まねが嫌いで、アイデアマンだった創業者で初代店主である久保田久次郎氏が、今なお愛される人気商品「鳩サブレー」を生み出した。


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きっかけは、店を開いて間もない1897年(明治30年)ごろのこと。たまたま来店した外国人からもらったビスケットだった。

手のひらサイズの大きな楕円形、バターたっぷりのハイカラな味に魅了された初代は「これからの日本の子どもたちに喜ばれるお菓子はこれだ! 」と思い立った。

その後、材料や作り方もわからない状態で試作を繰り返し、日本人に親しみやすい味に近づけた。最終的に鳩の形にしたのも、お店がある鎌倉という場所に大きく関係していた。かねて鶴岡八幡宮を崇敬していた初代が、八幡宮の本殿の掲額の(ハ)の字が鳩の抱き合わせになっていること、境内にたくさんの鳩がいることから、この形をひらめいたそうだ。

だが、発売当初はなかなか売れなかった。当時はまだ明治の末。今でこそチーズやバターの味に慣れ親しんでいるが、当時はまったく異質の味にうつったのだろう。「バタ臭い」などと陰口をたたかれたこともあった。

ようやく少しずつ認知されるようになったのは、発売から10年ほど経ってからのこと。大正期に入り、複数の小児科医から「離乳期の幼児食に最適」との推薦をもらったことなどをきっかけに、鳩サブレーファンが徐々に広がっていった。

そんな豊島屋の前に立ちはだかったのが、「関東大震災」と「第2次世界大戦」の2つの出来事だった。関東大震災では地震、火災、津波の被害を受けて店舗は全壊。「店、資料、写真すべてを失った」(豊島屋・久保田陽彦社長)。

その後、なんとか再建にこぎ着けたものの、大戦直前の1941年(昭和16年)には原料の砂糖などが入手できなくなり、休業に追い込まれた。だが、「良い菓子」を作り続けたいという初代の強い思いで、なんとか再建し2つの大きな試練を乗り越えることができた。

売上増を第一義に考えていない

豊島屋124年の歴史を振り返り、大きな飛躍のきっかけを作ったのが3代目(社長在任1948〜2008年)の久保田雅彦氏だった。それまでは八幡宮の参拝客を相手にした小さな土産物屋にすぎなかった豊島屋を、高度経済成長という追い風もあり、鎌倉土産の定番として成長させた。

3代目はその経営手腕を買われ、地元の鎌倉商工会議所会頭も務めた地元の名士だった。そして、現在は4代目の久保田陽彦氏が豊島屋を率いる。


鎌倉市小町にある本店(写真:豊島屋提供)

観光に訪れた一般顧客や地元の顧客相手の商売だけに、ときどきの景気状況に左右されやすい面は否めない。

それでも、豊島屋の売上高全体の80%前後を占める鳩サブレーを大黒柱に、売上高60億円強の水準を確保し続け、安定した財務基盤を保っている。内部留保を蓄積し、無借金経営を貫いてきた。それはバブル期も例外ではなかった。

「枝葉を枯らしても幹を枯らすな」という初代の言葉を代々受け継ぎ、本業の菓子作りと無関係なことには手を出さず、バブルに踊らされることもなかった。決して無理をせず、身の丈にあった経営を続けてきたからこそ、現在の豊島屋がある。

「当社は、売上増や利益増を第一義には考えていない。おいしいお菓子を作り続けること、『鳩サブレー』に続く、次代を担う新商品を製品化することが私の使命」と久保田社長は言う。

単に売り上げを伸ばすためだけなら、出店エリアを拡大すればいい。これに対する豊島屋の考えはシンプルだ。地元・鎌倉を代表するブランドとして営業エリアを広げる意向はなく、品質の安定を図る観点からも、遠方からの出店依頼は断っているという。

インターネット販売を除いて、豊島屋の売店が神奈川県内や都内の著名な百貨店などに限られているのも“無理をしない”経営方針の一環だ。


久保田陽彦(くぼた はるひこ)/豊島屋社長(4代目)。1959年生まれ。慶應義塾大学卒業。1987年家業に入る。2008年より現職(写真:筆者撮影)

4代目も、先代らに負けず劣らずのアイデアマンだ。若宮大路(由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に通じる参道)にある本店には、「鳩これくしょん」という本店限定の売り場がある。

鳩をモチーフにしたかわいらしい、付箋、クリップ、消しゴム、マグネットといった文具を中心とする、ここでしか買えないコレクショングッズの数々がそろう。コアなファンづくりの一環として、この売り場を考えたのは4代目だ。

鎌倉あっての『鳩サブレー』」と語るように、豊島屋および4代目の“鎌倉愛”も半端ない。「地元・鎌倉に恩返しを」との思いから、5年ほど前に地元3カ所の海水浴場(由比ガ浜海水浴場、材木座海水浴場、腰越海水浴場)の命名権(年間1200万円、10年間)の契約を鎌倉市と結んで話題になった。

しかも、海岸の名前はそのまま。「慣れ親しんだ名前がいい」という地元住民の意見を採り入れた、4代目の英断に各方面から賛辞の声が相次いだ。


鳩サブレーの抜き型(写真:豊島屋提供)

「鳩サブレーの味は未完成。まだまだおいしくできると思っている」(久保田社長)

現在でも豊島屋専用に製粉された特定の産地の小麦粉やバターを使っているが、決して満足はしていないという。高品質の材料であればいいというわけではなく、「鳩サブレー」により合った原材料を絶えず探し続けている。

一方、味の決め手となる「ワリ」(原材料の配合率)は、明治時代から変えていない。現在も使用している鳩サブレーの抜き型の原型デザインは、初代が当時作ったもののままだ。

だが、原材料は今なお試行錯誤を繰り返しながら変わり続けている。理想の鳩サブレーを追い求めて、4代目は今日も店頭でお客さまを出迎える。