日本一の行列店のトイレが綺麗すぎる理由
※本稿は、豊島雅信『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■アルバイトには腹一杯メシを食わせる
営業が夜11時に終わったら、そこから後片付けが始まるんだ。客が食べた後のテーブルの食器をアルバイトが片付けて、その次に床掃除。それが終わったら、アルバイトの子たちが楽しみにしている賄いの時間だ。
うちの賄いは基本的に肉を出す。余った切れ端や、スープも出す。もちろんごはんはおかわり自由だ。
賄いの肉はお客さんに出す品物と味は変わらないよ。1日思い切り働いて、最後に腹一杯メシを食う。若い子が多いから、みんなうれしそうに食べてくれる。気持ちがいいよね。
アルバイトの食事が始まっても、僕と兄貴、そのほかの従業員は、まだまだ仕事があるから一緒には食べられない。僕たちの食事はさ、アルバイトが帰った後、肉やホルモンの仕込みが終わってからって決まってるんだ。時には朝方になることだってある。
アルバイトが食事している頃、僕はトイレ掃除を始める。ゴム手袋をハメて、ゴシゴシと手で洗ってるよ。たしか、店がだんだん忙しくなって来た時期に「トイレ掃除は僕が自分でやる」って決めたんだ。だからもう何十年もずっと続けている。
最初は従業員もアルバイトも、僕がトイレ掃除をしているから驚いていたけど、もう慣れっこだから、気にしてないんじゃないかな。アルバイトの子たちはわいわい楽しそうに食事をしているよ。
■手取り足取り教えなくていい
トイレがきれいだと気持ちいいじゃない。気持ちよく用をたしてもらって、お酒を飲んで、またここでおしっこしてくれたらアルコールがどんどん売れるんだから(笑)。トイレがきれいだったらお客さんも気持ちがいいし、売り上げも上昇する。いいことだらけだよ。
換気扇だって毎日掃除しているね。うちの店の設備は古いかもしれないけど、どれも清潔だと思う。
アルバイトには、掃除の仕方を手取り足取り教えることはしない。でも、みんなあっという間に掃除を覚えて、隅々まできれいにしてくれる。
彼らにはこう言ってるんだ。
「手を抜いたら、明日、1組客が来ないよ」って言うこともある。もう一つ手を抜いたら、さらに1組来ない。明後日には2組来ない。そう考えたら拭きたくないところも拭かざるをえないでしょ。貧しい頃、僕は店が暇だった頃の怖さを知っているから、言葉には重みがあるんじゃないかな。
暇が一番おっかない。なぜって、従業員や店の見ないでいいところまで見えちゃうから。忙しいと、仕事だけに集中できるだろ。
■人が嫌がることは率先してやる
僕はさ、人が嫌がることを上の人間が率先してやらないと、下はついて来ないと思うんだ。掃除もそうだけど、サボりたいって気持ちは誰にだってある。ないなんていったら嘘さ。でも、僕はサボらない。負けたくない。自分の怠け心に負けたくないって思うんだ。
手を抜いたことだって、過去にはそりゃあるよ。だから、手を抜いちゃだめだって声を大にして言うんだ。説得力があるだろ。
店の周辺は夜中になると静かだね。人通りもほとんどない。
アルバイトが帰った後は夜の仕込みの時間だ。ラジオを聴きながら、一人で黙々と手を動かす。BGMはいつも『ラジオ深夜便』。仕事に集中したいから、うるさくてくだらない番組は嫌だね。FMで『ジェットストリーム』でもいいな。
夕方に届いたレバーを翌日にいい状態で出したいから、真夜中の仕込みを続けている。普通の人とは生活の時間帯がずれているけど、どんなときでも1日の出来事は知っておきたいじゃない。世の中の動きを知らないなんてみっともないからさ。
昔から心の支えになったのは音楽であったり、映画であったり。そして本も生きる力になったね。本はいいよね。三浦綾子の『氷点』も読んだ後に涙が止まらなかった。ああいう作品が自分を変えたのかもしれない。
■根っこは「負けてたまるか」の精神
山本周五郎の歴史小説も面白かったな。20代の頃は夢中になって本を読み漁ったもんだ。人間の優しさだったり、弱さ、人生の機微は本で学んだのかもしれない。若い頃に読んだものがまだ僕の人生の中に残っているんだから、本ってのはすごいよね。
でもさ、本や映画の世界に没頭しても、いざ現実世界に戻ったら、僕は普通のことができないじゃない。だから、ほかの人間以上に努力しなきゃいけないって思ったんだね。「負けたくない」って口で言っても、じゃあどうするかって考えてさ。
右手が十分に使えない分自分なりに工夫して、局面を打開してきた。だから人一倍、修行を繰り返してきた。もちろんほかの人より時間もかかったと思う。
今年で60歳になるけど、1日12時間この場所に立っている。レバーの仕込みは絶対に僕にしかできない仕事だと思ってる。
自分という人間の根っこを作ったのが「なにくそ、負けてたまるか」というハングリー精神だった。「どうせ、自分なんか」って思いながら生きてたってつまらないじゃない。人にはいろんな価値観があるけれど、どんなことでも、負けたくないってところから始まっているものが多いと思うんだ。
■不自由な右手に感謝のキスを
仕事、いやもっと言ってしまえば、僕の人生は自分との戦いの連続だと思ってるよ。
何度も言うけど、僕はね、負けず嫌いなんだ。
挫折した瞬間、普通の人たちと同じように、いやそれ以上に「うまくなってやる」って気持ちがメラメラと燃え上がる。
包丁を研ぐのだって、最初はできなかった。何度も練習してできるようになった。レバーの入った袋は両手で押さえて、口を使って開ける。このやり方だってコツをつかむのにしばらくかかった。
人から「できない」って言われると、こんちくしょうって燃え上がるんだ。この手だったからこそ、僕はここまで来れたんだ、今じゃそう思えるようになってきた。この手にキスしてやるかな。
昔から歴史小説が好きだった。美濃のマムシ売りから身を立てた斎藤道三はすごいなって思った。でも、一番好きだったのは信長だったね。
「鳴かぬなら、殺してしまえ」
若いうちはそのあり方がかっこ良く思えたんだね。自分もそうなりたいと思った。誰にも媚を売らない、その心意気で仕事をしていたのかもしれない。「ほら、僕のとこの肉はうまいだろう」って。
僕の出すもんが気に入らない奴は来なくていいとさえ思っていた。人間は誰しも、若い頃は自分が一番だと思うもんなんだ。
■今は「信長」より「家康」の心境
うちで出す肉の味がわからない奴はバカだと思っていたし、突っ張ってたんだろう。まあ、若いうちは、それくらいの威勢があったほうがいいよ。でも、年を重ねることで人間は変わる。心持ちが変わっていったのは50代からだね。
うちの焼肉を食っても、うんともすんとも言わないお客がいたとする。だったら「うまいと言わせてみせよう」って思えるようになっていったんだ。
まずは、どうしたらおいしいと思ってもらえるだろうかを考える。そして、次に工夫をする。つまり頭を使う。どうすればいいか徹底的に頭を悩ませる。
つまり、「殺してしまえ」から「鳴かせてみせよう」の心境に変化したんだ。そして、そっちのほうが楽しいってこともわかってしまった。
東日本大震災以前に繁盛していたときは、もしかするとおごりがあったかもしれない。でも、今はそれが全くなくなったね。いつ客がまた少なくなるかなんて、誰にもわからない。それにはたゆまぬ努力が必要だって、そういう謙虚な気持ちでいる。
ありがたいことに、焼き肉で日本一に選んでもらった。相撲の横綱ならその位置に留まり続けるか、引退かのどちらかしかない。僕はね、まだまだ横綱でい続けたい、そう思っているよ。
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スタミナ苑
1958年、東京都生まれ。兄の久博さんが母親とはじめた「スタミナ苑」に15歳で加わり、肉修行をスタート。以来、ホルモン一筋45年。1999年アメリカ生まれのグルメガイド『ザガットサーベイ』日本版で、総合1位を獲得。2018年『食べログアワード2018ゴールド』受賞。著書に『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学 うまいだけじゃない、売れ続けるための仕事の流儀』(ワニブックス)。
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(スタミナ苑 豊島 雅信)