「物語」という形に落とし込まれた古市憲寿氏の説く平成論とは(撮影:尾形文繁)

“空気読まない”発言で、炎上キャラとしても人気の社会学者、古市憲寿氏による初小説。最先端のライフスタイルと表裏一体に、ずしりと重い死の問題が横たわる。ラストを包むのは凪(なぎ)のような静けさ。古市氏に小説『平成くん、さようなら』を書いた意図を聞いた。

主人公は結果的に「僕」の部分が多い

──今回、小説という形を取られたのはなぜですか?

平成が終わるということで、何か作品を書きたいという思いがありました。本屋さんに行くと平成論の本がたくさん並んでるけど、全部失敗してる気がする。たまたま平成という名でくくられたこの30年間を理論化するのはすごく難しい。だったら物語の形を取ったほうが、平成という時代、その終わりの空気感を表現できるんじゃないかと思いました。

──主人公「平成くん」の人物像にご自身を投影されていますか?

友達の部分もあるけど、結果的には、僕の部分がすごく多くなったなと思います。恋人の「愛ちゃん」と触れ合うシーンは少し異常に見えるかもしれないけど、実際に僕は粘膜の接触が好きじゃないし、セックスが好きじゃないのはそのとおり。「こうなったら楽だな」みたいな感じの理想の描写です。よく潔癖症と勘違いされるんだけど、家の中は案外散らかってたり、他人のにおいには敏感でも自分のは気にならないとか、そういうところは近いなと思います。

──「僕はもう終わった人間」「僕に未来はあるのか」「時代を背負った人間は必ず古くなっちゃう」と平成くんは言う。平成の終わりに感慨深さみたいなものがある?

どうなんだろう。20世紀が終わるときは、もっと終末感とか世紀末っぽさが漂うのかなと思ったら、意外にだらーんと21世紀に入っちゃったじゃないですか。そこで平成はどうなるんだろうな、と興味があって。

逆に、この本のテーマでもあるんですけど、平成って本当に終わるのかなとも思うんですよね。昭和と違って平成はアーカイブの時代じゃないですか。みんながスマートフォンを手にして、膨大な量の写真や動画、テキストをインターネットという世界に残してる。昭和とは違う意味で終わりにくいというか、別に平成が終わっても、平成の音楽を聞いて、平成の情報だけを入手して生きていくこともできちゃう。まあ元号自体、なくてもいいと思うんですけど。

終わる日が明らかな平成は「安楽死的」

──最先端のブランド名がそこここに登場します。平成版『なんとなく、クリスタル』みたいな。


古市憲寿(ふるいち のりとし)/1985年生まれ。2010年東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。慶応義塾大学SFC研究所上席所員。『絶望の国の幸福な若者たち』ほか著書や雑誌連載多数。数々の政府の推進会議や委員会委員、テレビ番組のコメンテーターを務める(撮影:尾形文繁)

平成という時代を象徴するような物語にしたいと思って。だから主人公たちの服や店、雑誌やテレビ番組、友人知人に実際の固有名詞をちりばめた。もう一つ、2人とも今は経済的に裕福だけど、もともとは愛ちゃんは親がカネ持ち、平成くんは違う。格差社会など、平成の時代に問題化したことを盛り込もう、というのはありました。

──それから安楽死も重要なテーマになっています。日本がいち早く安楽死を合法化していて、海外からの安楽死ツーリズム客が押し寄せているという設定です。

平成って昭和と違って、2019年4月で終了することがあらかじめわかってるじゃないですか。その点が安楽死的だなと思って。平成の終わりと個人の、人間としての終わりを安楽死に重ねた。僕自身、安楽死に興味があって、職業、住む場所、宗教など全部自由に決められる時代なのに、死だけは自分で決められない。

祖母が去年死んだんですけど、その経験から死ってなかなか難しいと思った。すごい元気な人だったのに、病院ではほぼ寝たきり状態で、「死にたい」って言ってた。でも日本の今の医療では積極的安楽死は難しいし、延命装置を切る決断も家族はなかなかできない。何で死を自分で決められないんだろうという疑問がありました。

──誰も口火を切りませんよね、この問題は。

いろんなメディアのアンケートを見ると、7〜8割の人が安楽死に賛成と答えてる。一方で「高齢者の医療費削減か」「年寄りは早く死ねってことか」という議論になりかねないので、政治家はこの議論を避ける。

加えて、本の中のケースのように、家族の圧力で、本人が渋々納得させられて死んでいくような、望まない死を強いられる人が出ないとも限らない。そういう弊害ももちろんあるとは思うけど、選択肢として自分で死を決められる時代になってもいいんじゃないかなと、個人的には思います。

今は死んでも記憶が残ってしまう時代

──安楽死を望む平成くんが取材で立ち会う“安楽葬”の描写が、すごくリアルでした。

基本は僕の想像です。でも安楽死にはどうしても賛否があるから、シーンの中に負の要素を入れました。参列者が一連の儀式を淡々と眺めてる様子や、薬不足で代替品を使った結果、息絶えるまで長時間苦しんだ例、失敗して全身不随になる例など。死ぬ人も楽にはいかないかもしれないし、見ている側も何かもやもやしたまま。

──死を選択する権利は自分にある。完全に自分一人の問題であって、死後自分を記憶しておいてもらう必要などない、というのが平成くんの淡泊な死生観。


安楽死に対して僕はポジティブだけど、死んでからも人が人のことを覚えておいたほうがいいのか、正直よくわからない。実際、ある狩猟採集民は、死んだらその人の名前さえ言うことを禁じて、埋葬した場所もみんなで忘れてしまうそう。

ただ今は、覚えておこうと思わなくても残っちゃう時代。ツイッターとかSNSとかLINEとか、ネットに無数のテキストやアーカイブを残してしまってるから、完全に消し去ることはもはやできない。亡くなった方のツイッターがリツイートで流れてきて、バズる(一気に拡散して話題になる)こともある。

──終盤、平成くんは違った形の安楽死、というか、社会的なフェードアウトを遂げていく……。

いろんな出来事をきっかけに、人と人との記憶っていうのは大事な情報だけではなく、たわいない会話やどうでもいい話の集積が実は大事なんだ、ということに彼は気づいていく。だったら自分も、自分がしゃべらなければ世の中に残らない極めて個人的な経験・発見を、彼女にだけ残そうと思った。彼女を悲しませないよう、両方の願望を解決できる答えを見つけた。テクノロジーが人の生死にいかに影響を与えるか、いかに僕たちの感覚を変えたか。それこそ平成の時代の一つの象徴だと思うんですよね。