都が考案したヘルプマーク。これがついたカードも知られつつある

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 臓器の機能に障害のある内部障害や精神障害などは、身体障害とは違い見た目ではわかりにくい。こうした「見えない障害」を持つ当事者は、家族や仕事の関係に悩み、外出時も工夫するなど試行錯誤している。

【写真】高次脳機能障害を患いながらも笑顔を見せる鈴木さん

突然、高次脳機能障害を患って

「取材が苦手になってしまった。いまは、対象者とベストの距離がつかめる自信がありません」

 これまで家出少女や貧困層の売春、若者の詐欺などハードなテーマの取材をしてきたルポライターで、上映中の映画『ギャングース』の原作も提供した鈴木大介さん(45)。3年半前の夏、脳梗塞で倒れ、高次脳機能障害と診断された。いわば、脳が“故障”し、認知機能に障害が起きている状態だ。

 入院直後は死を覚悟したこともあった。

「もう働きづめじゃなくていいし、締め切りもなくなる。解放感がありました」

 数日たつと、後遺症を持ちながら生きていかなければならないと、焦りが出てくる。

 さまざまな障害が症状とともに現れた。新しい出来事が覚えられない記憶障害、ぼんやりして2つのことが同時にできない注意障害、計画したことが実行できない遂行機能障害……。その後、退院できたが左半身に麻痺があった。

 ただ、懸命なリハビリで回復していく。

「身体機能が回復したので、脳もどんどん回復していくだろうと思っていました」

 認知機能のテストは高得点。でも日常生活が送れない。例えば、車のスピードが速く感じる。右から来る車は過剰な注意で目が離せず、ワープしているように見え、横断歩道すら渡れない。

「昼間に入ってくる情報が多いと、夜は脳の働きが止まらない。そのため、過呼吸でパニックになったりする。思考もぐちゃぐちゃ。これが毎晩続くなら、死んで楽になりたい、と思った時期もありました」

 診断された症状のほかにも、考えるスピードの低下や、現実感がないこと、パニック症状も自覚していた。そのうち、いままでに取材をしてきた人たちの苦しさと似ていることに気がつく。これらは自分自身を観察して書き上げた闘病記『脳が壊れた』(新潮選書)にも反映された。

「高次脳という新しい取材対象ができたので、書かなきゃと思ったんです。それに当事者感覚がつかめた。書かないと、これまでやってきたことの意味がないとも感じました」

 鈴木さんの妻は発達障害がある。環境を調整することで症状が改善されるのを知っていた。鈴木さんも、妻にならってみた。

 例えば、外出時はサングラスとつばつきの帽子を欠かさない。目に入ってくる情報を制限できるからだ。

「うつの場合は、薬で改善させるだけでなく、生活の不安を取り除くことが必要。高次脳の場合も同じです。理由がわかれば、どうすればいいのか対策もわかる」

 ただし、調整がうまくいっただけで、脳には回復していない部分もある。

「いまでも記憶障害がまだあります。先日は、姪っ子からもらったプレゼントの存在を、もらったときのエピソードごと忘れていて、おおいにへこみました」

 忘れないための対策は、毎日起きたことを記録すること。それにも工夫が必要だ。メモを置くなら、日常生活の動線上に置く。そうすれば必ず目に入る。

 ただ、こうした「障害」は周囲には見えないし、わかりにくい。家族や友人、仕事先には、どう説明したのだろうか。

「自分ができないことは文章にしました。パニックを起こすので、かかってくる電話は基本的に出ない。その場の作業を強制的に中断される電話の着信は、テロ並みにきついんです。工夫すればやれることは増えるので、障害は全部開示しましたが、離れていく仕事先もありました」

 こうした対策ができるのは、ライターという仕事の特性のほか、鈴木さんの性格、症状の種類や程度などが関係している。

 障害が残ったことで、鈴木さんは夫婦関係が改善したと話す。

「病気になって、発達障害のある妻の生きづらさに気づくことができました。お互いにできないことをカミングアウトしたんです。ふたりともたくましくなったと思う。できないことは埋め合えればなんとかなります。病気になる前の関係には戻りたくないですね」

ヘルプカードをつけてみたけれど……

 榊美香さん(仮名=34)は双極性障害の診断を受けている。憂うつで無気力な状態がある一方、爽快な気分になることを繰り返す。今年になり、職も転々としている。自殺をよく考えるようになったこともあり、精神障害手帳が3級から2級になった。しかし、こうした障害は外からはわかりにくい。

 今年2月、駅で過呼吸となり、駅員に保護された。そのときに「ヘルプカード」をもらった。

 ヘルプカードは障害─特に聴覚障害や内部障害、知的障害など、一見して障がい者とわからない人たちが、援助や配慮を必要としていることを知らせるものだ。当事者だけでなく、その家族や支援者にも安心感を持たせ、緊急時にコミュニケーションのきっかけになったり、障害への理解促進に役立つことが期待されている。

 つまり、カードをつけることは、見えない障害を持つと表明することでもある。榊さんは1か月悩んだ末、つけてみることにした。

 ヘルプカードは、障害についてメモに記入することで、困りごとを開示する仕組みになっている。

「わかったことは、ヘルプカードがあれば、必要な人として優先席に座りやすい。ただ、つけたからといって電車やバスで席を譲られたことはない。基本的にメリットは少ないけど優先席に座ったときに、つけていると安心感がある。ただ好奇心で見ないでほしい。“あれってヘルプカードだよね”とコソコソ言われたことがあり、はずしました」

 また、個人情報がそのまま見えてしまいかねない。シールは防水でもないため、改善すべき点がまだあると榊さんは指摘する。

「頻繁に倒れているわけではないので、いまはつけていません。もし倒れたら、障害者手帳を見せるほうが早いのではないか。それに“私は障がい者です”とレッテルを貼られているようで抵抗があります」

堂々とカードを見せる気持ちにならない

 松木久美子さん(仮名=46)も見えない障害があるひとり。'16年の夏、入院先の病院で、インスリンの分泌が足りない『2型糖尿病』と診断された。

「父方の家族もみんな糖尿病なので、遺伝です。私も20代で発症していたけれど、夜の仕事だったので、昼夜逆転の生活でした。うつ病にもなり、糖尿病の治療をあまりしていなかったんです。そのため病状が悪化して即、入院に。インスリンの投与が始まったというわけです」

 腎臓も悪くなり、疲れやすく、足も調子が悪い。しかも、網膜症でもあり、レーザー治療を行ったが、改善は見られない。右耳も聞こえにくい。しかし、見た目上はわからない。そこでヘルプカードを入手した。

 カードをつけて感じたのは「私が使っていいのか?」という思いだった。周囲にわかるようにつけたのは、1、2回だけ。

「電車内ではみんな疲れている。座りたいサラリーマンばかりのなかで、自分は病気っぽく見えないので、申し訳なさを感じてしまう。本来、カードは見てもらうためのもの。でも、カバンにつけられません。どうしてもつらいときには、チラ見せをしています」

 なぜこうした思いを感じてしまうのか。2型糖尿病が「生活習慣病」のため、医師からも、冷たい態度をとられているように感じていることが一因かもしれない。

「“自業自得”という無言のメッセージを感じています。だから堂々とカードを見せる気持ちにならない。見せても、疑われているんじゃないか、と考えてしまう。それに自分よりも体調が悪い病気の人がいるかもしれない。常に見せるかどうか葛藤があります」

 電車では、通勤時間が長いためもあり、最初から優先席に座る。

「ここならインスリンを打ってもいいかな。ただ、自分が座っている前で、高齢者から舌打ちされたことがあります」

 生活のために当事者はさまざまな工夫を凝らす。ヘルプカードは障害を「見える化」する取り組みだが、なかには遠慮がちな当事者もいて、カバーしきれていない。障害が「見える」か「見えない」かにかかわらず、知識を得て、理解を深めるところから始めたい。