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もくじ

ー 大きく変わった伝統のロードテスト
ー 時代が変わり、知りたいデータも変化
ー あの悪名高い「フィフス・ホイール」とは?
ー より小さく、より正確になった測定ツール

大きく変わった伝統のロードテスト

1928年にAUTOCARは「ロードテスト」を考案した。ロードテストとは、ベストなクルマと、その理由を判定するための新しい基準となる、詳細な方法による評価である。

90年のうちに5392台のクルマがテストされたわけだが、これを機会に、テストそのものと対象車の変遷を辿ることにした。

われわれの手法は変わったものの、主要なデータを全て測定し、記録するという目的は依然として同じだ。

しかしAUTOCAR専任のロードテスターのプロフィールは、現在のテストエディターが恐縮してしまうほど90年の間に大きく変わった。

今のメンバーには、ル・マンで勝利を収めたドライバーやF1ドライバーはいない。(そして、高出力のレース用エンジンを設計できるというエディター代表、マット・プライヤーの技量は今のところまだ実証されていない)

さて、わたしは1928年以来AUTOCARのロードテスト用の装置や機器が多数変わったことを悪いことだとは感じていない。ロードテストに対するアプローチや哲学、そして狙いはほぼ従来と同じであるが、テストカーの測定、軽量、装置搭載、データ記録、スピードアップ、スローダウン、クライミング、そしてコーナリングといったわれわれが注力する本質的な事柄は過去90年の間に大きく変わってしまったからだ。

もちろん、これは必要に迫られての変化だ。

われわれの評価対象となるクルマが変わっているし、それらに対するわれわれの期待値も同様に変わっているのだから。

ロードテスターのツールキットも明らかにかなり変わったのだが、そのおかげで本記事のためのテストはスムーズにいくこともある。(テストエディターも同感なはず)

たとえば、マクラーレン・セナのロードテストについて、1928年4月13日号に掲載された最初の2テスト、オースチン・セブン・ゴードン・イングランドのサンシャイン・セダンとウーズレー12-32hpと同じフォーマットで記載した場合、次のようになったことだろう。

時代が変わり、知りたいデータも変化

オースチンには計14パラグラフが費やされていたが、運転した印象についてはたったの4章しか書かれていなかった。残りの章はほとんどクルマのレイアウト、ボディ、ルーフ、インテリア、そしてエンジンオイルの補給やハンドブレーキの調整に関する実用性を詳述していたのだ。実に興味深い……。

一方、ロードテスターの仕事である、実証的テスト結果に基づく「ドライバー向けデータ」の欄に登場する数値といえば、それぞれのクルマを3速に入れた時の最高速度と最大加速度(アクセル全開で時速76km/h)、平均燃費(15km/l)、そして時速40km/hでの制動距離(この場合最大15m)しかない。

これは当然、当時のロードテストには他にもっと重要なことがあったからだ。この時代は、クルマの機械的欠陥や、坂を上ることができない、そもそもスタートできない、あるいはブレーキの緩さのせいで目的地に着くことがままならなかったのだ。

小型のオースチンは「2速に入れると1/10勾配で時速34km/hを保持」し、「1速に入れると滑りやすくわだちの多い4/10勾配でも十分制御できた」ようだ。マクラーレンのセナだったら急坂で「もっと十分制御できる」ことだろう。実際には、きっと1/4勾配をミサイルのような速さで駆け上ってしまうはずだ。

装置はどうだろうか。AUTOCARのロードテストの先駆者たちはストップウォッチ、回転と制動距離を記録するための測定用タイヤ、そして業務上必要なデータを記すための鉛筆さえあれば良かった。彼らは必要に迫られてペアを組んで作業していたが、今は一貫性を保つためにペアを組んでいる。

当時は測定区間でインギアの最高速度を計測し、クルマの計器類は適切に調整された。何種類かの加速を一度に測定できるよう、コ・ドライバーが同時に扱うストップウォッチの数は急速に増えた。(戦前のテストでは4つのストップウォッチを同時に使うなんてことは見られなかった。)これは、他のテスト装置がロードテストのプロセスに影響を及ぼし始める何十年も前のことだ。

20年後の戦後になると、AUTOCARのロードテストには実証項目がいくつか追加された。ロードテスト番号1359は、1948年7月9日にリー・フランシス・スポーツの2シーターに対して行われたテストで、インギアとスルーギアそれぞれの0-97km/h加速テスト結果とインギアの最高速度が加わった。

おもしろいことに、「電気式スピードメーター」に関しては、正しくスピードを測り、表示スピードの精度を調整するために使われた。

この頃にはテストプロセスを簡素化し、テスト結果の精度改善のために補助テスト装置が使われていたということになる。しかし、この装置の中身についての詳細は見当たらない。

あの悪名高い「フィフス・ホイール」とは?

1960年代になると、AUTOCARのロードテストのデータは現在のように大きく取り上げられ、掲載されるようになった。ただし、記録するデータの内容はかなり異なる。

加速テストの結果は似通っているように見えるが、エンジンの牽引力(あるいは縦加速力)はタップレー・メーターで記録され、燃費は流量計を燃料パイプに挿入し、さまざまな巡航速度で記録されている。さらに、ブレーキ性能についてはかなり詳しく記されているのだ。

ロードテスト番号1760、1960年2月5日にフォードのギャラクシー・セダンに対して行われたテストでは、クルマの制動距離を調べる際に細かい条件が設定された。

例えば、時速48km/hで走らせたクルマのブレーキペダルに11kgの負荷をかけた時の制動距離や、同じ速度で負荷を倍の23kgにした時の制動距離などだ。ちなみに、結果はそれぞれ18mと12mだった。

のちのツールキットにブレーキペダル圧力センサーが加わると、制動力だけではなく、ブレーキフェードへの耐性を計測してグラフ化できるようになった。この頃の、ブレーキ性能、ブレーキの耐久性、ブレーキシステムの使いやすさによって技術的に優れたクルマとそうでないクルマとを線引きする方法は現在よりもはるかに良いと言える。

AUTOCARのロードテスターが使うツールキットの中で評判の悪いフィフス・ホイールは、1960年代半ばに登場した。このツールが最初に使用されたのは、1967年1月5日、ジェンセン・インターセプターのテスト(0-97km/h加速 7.3秒)のようだ。

これは、テストカーのリアバンパーに固定されたアームに、軽量の自転車ホイールが搭載された装置である。そのホイールハブにはスピードセンサーが付いている。当時のテスターは、これ以前の電気式スピードメーターのように、フィフス・ホイールを使って正しいスピードを知ることができた。しかもテストごとに毎回表示を調整する必要がなかった。このツールは1970年代の間ずっと使われ、80年代に入ると記録中に加速データの印刷が可能な初歩記録システムが組み込まれて発展した。

しかし、フィフス・ホイールにも限界はあった。テスターたちによると、車体のデザインが変わるにつれ、取り付けにくくなったそうだ。スチール製バンバーが時代遅れとなったため、装置の締め具として吸盤が使われるようになったが、速く走っているクルマに追加のホイールを固定する方法としては頼りなかった。

マスター・ロードテスターでAUTOCARにもよく登場するジョン・シミスターは、「フィフス・ホイールは何度も外れて壊れました」と話してくれた。「時間的制約により仕方がないのですが、使っていたひとはたいいていそのまま放置し、次に使うひとが直していました」

その後フィフス・ホイールに取って代わったツールは何だろうか。

より小さく、より正確になった測定ツール

1980年代までにデジタル時代が到来し、AUTOCARが現在の出版社から発刊されるようになって間もなく、ロードテスターの武器となったのはボックス型をしたダトロン社のコレビットだった。これは、コンピューターにつないで、車速と、地上に対する角度と距離を測定できる光学センサーだ。

ところがコレビットは、初期のオペレーターたちからはあまり気に入られなかった。「わたしが1988年にロードテストの編集デスクに異動して以降、10年ほど使ったテスト装置はコレビットだけでした」と思い出しながら話すのは元ロードテストエディターのアンドリュー・フランケルだ。

「嫌でしたね。地上から一定の距離を保つため、車軸の中間位置でクルマの側面に取り付けなければならず、空力抵抗に悪影響を及ぼすので最高速度を出せなかったんです。悪天候では使えなかったですし。それに、何を記録するにしても過度の試行が必要で、コ・ドライバーが何度も何度も調整しなければなりませんでした」

当てにならないコレビットに対する不満が溜まったテスターたちは、1990年代始めにタイミングギアを使うようになった。しかし、テストカーのホイールハブに取り付けて使用するこの装置は、すぐに使われなくなった。かつてのフィフス・ホイールのように取り外されてしまったのだ。

その後、1996年頃になると、イギリスのレースロジック社が開発したサテライト・タイミングギアがロードテストを革命的に変化させた。信頼性が高く、比較的使いやすく、誤差が最大で秒速1cm以内で、メモリーカードに記録したデータは後でコンピューターで詳しく分析することができた。

われわれは性能データを記録するのに今もサテライト・タイミングギアを使っている。ただし、トランプぐらいの大きさのVboxスポーツというデバイスにパッケージされ、ブルートゥースでスマートフォンにデータを送ことができる。

少し前まで、そのギアは重いバッテリーを動力とし、長いケーブルでつながれたブルーボックスとデジタルディスプレイのネットワークで構成されていた。このキットは、青いハードタイプの携帯ケースに入れられていた。それを持っていると、まるで有事に世界的リーダーに核ミサイル発射コードを届けるひとのように見えた。

ロードテストに関して言えば、1980年代を通してさらに多くのブレーキ・テストが盛り込まれ、同時期からキャビン・ノーズ・テストも行われるようになった。その後、過去10年間の半ば頃から高性能車のベンチマークとしてサーキットのラップタイムも計るようになった。

これはウェットとドライの両方の路面状況で実施された。世界最速のクルマは、イギリスのサーキットで実際に測定可能な最高スピードよりも速く走れるため、われわれはその性能の範囲、幅、そして限度を完全に検証できる別の方法を考案した。

そしてわれわれは、現在もどこよりも優れた一貫性と再現性でより良いテスト方法を考案し続けていると自負している。