今年のM-1グランプリは「霜降り明星」という名前のとおりの新星がチャンピオンに輝きましたが、話題をさらったのは放送終了後に審査員に向けられた過激な発言でした。サッカーに関するメルマガ『J3+ (メルマ)』の著者ながら、第1回大会から欠かさず観ているM-1ウォッチャーのじじさんがこの問題に言及。上沼恵美子さんが審査コメントで「好き、嫌い」と発言するその意図を説明し、毎年のことながら今年に限っては上沼さんにも「迂闊」なところはあったと鋭い指摘をしています。

決勝10組の中で最年少「霜降り明星」がM-1王者に

2018年のM-1グランプリは12月2日(日)に行われた。決勝に進出した10組の中では最年少だった霜降り明星が最終決戦で4票を獲得してチャンピオンに輝いた。和牛は3票で、ジャルジャルは0票。和牛はM-1グランプリの決勝の常連になっているが3年連続で2位。かつての笑い飯のような「毎年、優勝候補と言われながら惜しいところで勝てない。」という立ち位置になっている。出場資格を持つのは「結成15年までのコンビ・グループ」なので和牛にはあと3回の出場チャンスがあるがM-1グランプリには欠かせない顔である。

M-1グランプリは今年で14回目だったが「12月の最初の日曜日」に行われることが多い。「午後に敗者復活戦が行われて、夜に決勝戦が行われる」というのがパターンになるが、Jリーグも大詰めを迎えている時期になる。ここ最近でいうと「12月の最初の日曜日の昼間」にJ2のプレーオフの決勝戦が行われているのでサッカーファン兼お笑いファンにとっては大忙しの一日になる。今年はプレーオフのレギュレーションが変更になったので「プレーオフの2回戦の横浜FC vs 東京VとM-1グランプリ」がバッティングした。

M-1グランプリは第1回大会から欠かさずに観ていていくつかの大会のDVDも持っているので「あのコンビがあの時に披露したあのネタ」と言われたらほぼほぼ思い出すことができるほど興味を持っているが、今年の大会は後味の悪い大会になってしまった。霜降り明星がチャンピオンに輝いたが話題の中心になっているのは審査員を務めた上沼恵美子さんに対してスーパーマラドーナの武智さんととろサーモンの久保田さんがインスタライブで痛烈に批判した件。その後、2人は上沼恵美子さんに謝罪したが大炎上している。

久保田さんは「そろそろ辞めてください」、「自分目線の自分の感情だけで審査せんといてください」、「お前だろ、分かるだろ、一番右側のな!」と発言。武智さんは「右のオバハンや。右のオバハンにはみんなうんざりですよ」、「『嫌いです』って言われたら、更年期障害かって思いますよね」などと発言したが大御所中の大御所である上沼恵美子さんに噛みつくというのは相当なチャレンジャーである(とろサーモンは2017年のM-1王者。スーパーマラドーナは今年も決勝に進んだが7位に終わった)。

「好き→面白い」、「嫌い→面白くない」

上沼恵美子さんの採点やコメントについては以前から「どうなのか?」という声はあった。思ったことをストレートに発言することも多いので大きな笑いを生み出すことができなかったコンビが上沼恵美子さんに酷評されるケースは、ほぼ毎年見られる。「上沼枠」、「怒られ枠」とも言われるが、2017年はマヂカルラブリーが酷評された。上沼恵美子さんに酷評されたことで逆にマヂカルラブリーは話題になって爪痕を残すことが出来たので結果的には良かったが「さすがに酷い」と上沼恵美子さんを批判する人もいた。

上沼恵美子さんを批判する意見の多くは「好き・嫌いで採点している」というものである。実際に「好き」or「嫌い」というワードを頻繁に用いるが、「好き→面白い」、「嫌い→面白くない」に置き換えるとしっくり来る。漫才師や芸人にとって「面白くない」と言われるのが一番きついことだと思うが、一番きついワードをなるべく使いたくないが故に上沼恵美子さんは「好き」や「嫌い」というワードを多用していると考えられる。「相手を傷つけたくない」という上沼恵美子さん特有の心遣いだと個人的には思う。

ただ、心遣いは全ての人に伝わるわけではない。言葉通りに受け取って、「上沼恵美子は好き・嫌いで審査するな!!!」と怒り狂う人はどうしても出てきてしまう。個人的に残念に思ったのはM-1グランプリの決勝に出ているとろサーモンの久保田さんやスーパーマラドーナの武智さんは十分に理解できているものだと思っていたが残念ながらそういう感じではなさそうだという点である。「この2人ほどのキャリアを持った漫才師ならばその程度のことは簡単に察することができるだろう…」と残念に思ってしまう。

迂闊だったと思う上沼恵美子さんのコメント

他の賞レースとM-1グランプリの大きな違いは「審査する人の豪華さ」だと思われる。他の賞レースで優勝したとしても成功が約束されるわけではないがM-1グランプリで優勝できるとしばらくの間は仕事に困らない。その後、売れ続けることができるのか?否か?はコンビやグループの実力にかかってくるが、今のお笑いの世界においてM-1王者という肩書きは何ものにも変えられない武器となる。「M-1で勝つこと」に全神経を集中させているコンビやグループはたくさんあるので緊張感やプレッシャーも段違いである。

不適切な動画が流れてからは2人に対する批判一辺倒になったが、それまでは上沼恵美子さんの採点やコメントを批判する人も少なくなかった。もともと上沼恵美子さんのことを批判的に見ている人は少なくないと思われるが、今回、敗者復活枠の発表が行われる前に「ミキが来て欲しい」とコメント。その後、ミキが敗者復活枠で決勝進出を果たして7番目に登場すると98点と高得点を付けた。「ひいきしているわけじゃないんですよ」とコメントしているが、審査員としては極めて軽率なコメントだったと言わざるえない。

過去の大会を見るとわかるとおり、上沼恵美子さんが評価するのは正統派の漫才である。2人の言葉の掛け合いが中心になる漫才を評価する傾向にある。その一方で「リズム漫才」とも言われるジャルジャルのことはあまり評価しておらず、今大会もジャルジャルに対する評価は低かった。さらには「ドツキ漫才」とも言われるカミナリに対しては過去の大会でそのスタイルに苦言を呈している。女子高校生の頃から漫才師として活躍してきた人なので昔ながらの漫才を高評価しがちであるがある意味では分かりやすい。

決勝進出を果たした10組の中ではミキは「正統派に近い漫才」になる。「コント風の漫才やリズム漫才ではなくて正統派に近い漫才をするミキ」を上沼恵美子さんが好意的に見るのは当然なので、決勝の舞台でかなりの笑いを生み出したミキに高い得点を付けたことは驚きではないが、「ミキが来て欲しい」、「ミキが好き」などとコメントしてしまうと「単なるえこひいき」と捉える人がたくさん出てくるのは当たり前の話である。これだけのキャリアのある人にしてはあり得ないほど迂闊なコメントだったと思う。

とは言っても、「ミキが好きだから高得点を付けた」、「えこひいきだ」というのは全く正しくないと思う。「ミキが来て欲しい」というのもサービス精神から来たコメントであり、場を盛り上げるためのコメントだったと思う。「昔の上沼恵美子ならば迂闊で軽率なコメントはしなかった」、「感性が鈍ってきた証拠」という見方はできると思うが、これほどのキャリアを持った人で、かつ、大会の審査委員長的なポジションの人が個人的な好き・嫌いで採点をするというのはあり得ない。邪推するのも愚かなことだと思う。

ひいきしたから高得点だったのか?

改めて感じるのは「何かを評価するということの難しさ」である。野球のように打率や打点や防御率や盗塁数や球速など比較するときの分かりやすい数字がたくさんあるものであれば、比較的、話は進めやすいが、漫才の場合、数値で表現できるのは「漫才に要した時間」くらいである。面白いのか?面白くないのか?でさえ、人それぞれで微妙に変わってくることが多いが、時に笑いのツボは大きく変わってくる。「100人中100人が文句なしで面白いと思える漫才」はおそらく無いはず。響かない人がいても不思議はない。

個人的な話をするとミキ(の兄貴)のような「うるさい系の漫才」はあまり好きではない。また、スーパーマラドーナ(の田中さん)のような「表情であったり、動きの面白さや特異さで笑いを取ろうとする漫才」もあまり好きではない。なので、仮に漫才を審査する立場になったときはミキやスーパーマラドーナの漫才を高く評価することはほぼないと思うが、ミキやスーパーマラドーナの漫才を面白いと思う人が少なくないことは理解できるし、ミキやスーパーマラドーナの漫才を高評価する審査員がいることも理解できる。

漫才のスタイル的に好みではないので彼らの漫才をたくさん見せられてもほとんどの漫才を低く評価してしまうと思う。彼らのことを面白いとは思わないが「イコール嫌いなのか?」というとそういうわけではない。「漫才として高評価するのか?否か?」と「コンビやグループのことを好きなのか?嫌いなのか?」は全くの別問題である。きっちりと分けて評価をしているつもりであるが、毎度のように低評価したら一定以上の割合の人からは「嫌いだから低評価しているのだろう。」と批判されるだろう。理不尽な話である。

このあたりの部分はサッカー選手を評価するときも同じである。「人を評価するのは本当に難しい。」と思う。「この人は自分が好き・嫌いで他者を評価しているので他人も好き・嫌いで他者を評価しているはずと思い込んでいるんだろうな…」と思うケースは多々ある。ネット社会になると「どのような評価を下すのか?」で評価を下す側の人間もそれ以外の人からジャッジ能力を評価されることになるが、好き・嫌いで評価を下すと自分自身の価値や評価が下がってしまう恐れがあることは誰にでも理解できるだろう。

image by: M-1グランプリ公式HP

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