残された遺族にとっても悲惨な出来事だ(写真:baona/iStock)

誰にも看取られることなく、ひとり、部屋で亡くなる孤独死――。

ニッセイ基礎研究所によると、現在その数は年間約3万人と言われている。 そして、同研究所はこの数は、今後さらに増えるだろうと予測している。生涯未婚率の増加などによって、単身世帯は年々増加の一途をたどっているからだ

家族に孤独死が起こってしまったら、具体的にどのような現実が待ち受けているのだろうか。

帰ってきたお中元

「母は、四つん這いのような状態で、テーブルの上に倒れこんでいたんです。体に蛆も湧いていたから、見つかるまで、きっと痒かったでしょうね。ずっと独りぼっちで放置されていたかと思うと、やり切れません。警察によると、死後、1カ月が経っていたとのことでした。ほかの人には、こんな思いをしてほしくないと思っています」

孤独死で母を亡くした戸田和彦さん(仮名)は、当時の様子をこのように振り返った。和彦さんは、都内のゲームアプリ制作会社に勤務する42歳の普通の会社員だ。職業はプログラマーで、妻と3歳の息子とともに都内のマンションで生活している。

普段はあまり連絡のない伯父から、和彦さんの携帯に電話があったのは、夏も真っ只中の8月2日の夕方のことだった。

「妹に送ったお中元が帰ってくる、心配なので見に行ってほしい」

伯父は電話口で慌てたようにそうまくし立てた。

和彦さんの母・京子(仮名)さんは、一人暮らし。和彦さんは、最後に実家に帰ったときのことを思い出した。あれは約1カ月前。そういえば、その後、お母さんに一度メールしたが、返信がなかったんだっけ。

和彦さんは、自宅からすぐに電車を乗り継いで実家のある千葉県にある団地に向かうことにした。

いつもならチャイムを鳴らすと、すぐに出てくる母だったが、その日に限って何の返答もない。ドアにはU字ロックが掛かっているようで、びくともしない。

ただ、一つだけ気になることがあった。

生ゴミを何日も放置したような生臭い臭いが、なぜかドアの辺りにプーンと漂っていたのである。

「それでもそのとき、母が中で死んでいるなんて思いもしませんでした。ゴミ収集前日とかにドアの近くに生ゴミを置いたりすると、臭いがするじゃないですか。それかなぁとか。呑気に思ってました」

開かない実家のドアに、困り果てた和彦さんは、最寄りの交番に相談に行くこと、警察官は急に慌てた様子を見せた。警察官のただならぬ雰囲気に、和彦さんは大げさだなと思った。

警察官と共に部屋を訪ねると、部屋の中は、電気はついておらず、真っ暗だった。おかしいなと思い、電気をつけると、食事用のミニテーブルに頭を突っ伏した状態で、倒れている人影が見えた。

それは、あまりに変わり果てた母の姿だった。食べかけのお皿やコップがそのままになっていることから、食事の真っ最中に、何らかの突発的な病気でテーブルに倒れ、そのまま亡くなってしまったのは明らかだった。なぎ倒された皿の中は、京子さんの黒い体液で、なみなみと満たされていた。

「とにかくびっくりしました。真っ暗闇の中を、ハエがブンブンと飛び回っているのが見えたんです。そして、居間の真ん中のテーブルに、母がうつ伏せで倒れていました。手をくの字に折り曲げていて、丸くなった背中があった。まるで、ひざまずいているような恰好でくずおれていました」

もとからふくよかな人ではあったが、その体格が膨らみを増しているような気がしたという。もちろん体は硬直して冷え切っていた。死後1カ月が経過していた。

和彦さんが我に返ったのは、同行していた警察官が、無線で応援を呼ぶ声がしたからだった。動転している和彦さんに、非情にも警察官は、「事件性があるかもしれないから、どこにも触らないで!」と叫んだ。

警察官が、目を離したすきをみて、和彦さんは冷たくなった母の背中にそっと手を伸ばした。そして、パジャマのような部屋着に包まれた背中を優しくさすってあげた。それは、42年間、ずっと見てきたいつもの小さな背中であった。

「母の姿を見たのは、それが最後でした。本当に、それっきり。でも、一瞬でも、最後にさすってあげられて良かったなぁと思っています。最後は息子に触れてもらって、少しは良かったと思ってもらえたらいいなと思うんです」

今でも、そのときのことを思い出すと、こみ上げるものがあるのか、和彦さんは目を伏せた。

孤独死を身近に感じる人は、単身高齢者の4割超

内閣府の平成28年度版の高齢社会白書によると、孤独死を身近な問題だと感じるという人は、単身世帯の高齢者では、ゆうに4割を超えている。これは、いつ自分の身に孤独死が起こるかもしれないという不安を潜在的に抱えて生活している人がそれだけいるということだ。

拙著『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』でも詳しく解説しているが、これだけ社会的に注目を集めている孤独死の年間3万人という数字をざっと身近な単位に置き換えてみると、1日当たり約82人、1時間に約3人以上という計算になる(!)。自殺者が近年3万人を切ったことからしても、途方もない数であることがわかる。

孤独死の典型例をひとつご紹介したが、実は意外なことに、孤独死についていまだ明確な定義が定まっていない。

孤独死という単語は、2006年に大辞林(第三版)に、2008年に初めて広辞苑(第六版)に正式に収録された。「看取る人もなく、1人きりで亡くなる」という意味で、孤独死という言葉が市民権を得たわけである。それまで、広辞苑には孤独という単語しかなかった。

つまり2000年代後半に入って以降、孤独死というキーワードが世間的に定着し、無視できないものになったということの表れだ。

東京都監察医務院では、「孤独死」を「異状死の内、自宅で死亡した一人暮らしの人」と定義している。通常、人が亡くなった時点で、最初から病死と判明さている場合は、自然死として処理される。異状死とは、自殺や事故死だったり、そもそもの死因が不明だったりする遺体のことだ。この異状死に該当すると、解剖などが行われることになる。

東京都監察医務院は東京23区内で異状死が出た場合に解剖を行う機関だが、そこでは、この「異状死」のうち、自宅で亡くなった数を孤独死としてカウントし、その統計を毎年公表している。この統計が孤独死の数を知る数少ない手掛かりとなっている。

それを見てみると、東京23区において1987年には、男性788人、女性335人であったものが、ほぼ20年後の2006年になると、男性では2362人、女性では1033人となっており、20年前に比べて約3倍にも膨れ上がっている。

遺族にとって孤独死は「メガトン級のトラウマ」

孤独死は、残された遺族にとって悲惨であることは間違いない。

前出した和彦さんの奥さん・さおりさん(仮名)は、孤独死について、そのあまりの衝撃的な体験を「夫や私たちにとって、一生引きずっていかなければならないメガトン級のトラウマになった」と表現した。これは、孤独死がいかに家族に大きな傷を残すかをシンプルに表した言葉だと思う。


家族は、生涯、なぜ連絡を取らなかったのかとずっと自分を責め続け、夏場なら腐敗によって強烈な臭いがして、部屋に入ることもままならなくなる。それだけでない。その被害は周囲にも及んで、アパートやマンションだと隣人は引っ越しを余儀なくされることもある。警察の家族への事情聴取は、致し方ないとはいえ、家族関係を根掘り葉掘り聞かれることから二重にショックを受けることになる。

今回、和彦さんの一家が支払った掃除代金は、108万円。遺品整理の分を除くと約半分だというから、金銭面ではやはり多額の清掃費用がかかることとなる。社会の貧富の二極化がますます進み、貯蓄ゼロ世帯が急増していく中で、このような負担は過酷なものである。

2030年には、3世帯に1世帯が、単身世帯となる計算となる。

単身世帯が右肩上がりで増え続ける現在、孤独死は、誰の身に起こっても不思議ではない。

孤独死の現場は、私たちの未来を映し出しているかもしれない。