名プロデューサーに最後の別れ

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 ドラマ、映画の人気シリーズ「あぶない刑事」などのプロデューサーで、11月30日に肺炎のため85歳で死去した制作会社セントラル・アーツ社長の黒澤満さんの葬儀・告別式が12月7日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。

 1985年「ビー・バップ・ハイスクール」で俳優デビュー、翌86年にスタートした「あぶない刑事」に出演し続けた仲村トオルが、涙にむせびながら弔辞。吉永小百合、藤竜也、吉川晃司、松田翔太ら約400人が、生涯で映画、ドラマを合わせ500本以上の作品を生み出した名プロデューサーに最後の別れを告げた。

 仲村は実父を亡くした翌年に「ビー・バップ・ハイスクール」のオーディションに応募。「黒澤さん、選んでくださって、本当にありがとうございました。そこから劇的に人生が良い方向に向かっていきました」と言葉に力を込め、那須博之監督ら主要スタッフの名前をすべて挙げ、その出会いに感謝した。

 同作の撮影後に俳優として生きていくことを黒澤さんに伝えたところ、「それなら変なところと契約しないで、しばらくセントラル・アーツにいればいい。(松田)優作もいるからと言っていただきました。本当にうれしかったです。自信はありませんでしたが、頑張っていこう、一生懸命やろうと思いました」。何度もため息をつき、声をつまらせながら芸能界の父である黒澤さんへのあふれる思いをしぼり出した。

 初の連ドラが「あぶない刑事」で、舘ひろし、柴田恭兵、浅野温子、故中条静夫さんらレギュラー陣の名を呼び「素晴らしい先輩たちと出会わせてくれました。すべての方に鍛えていただきました」。2015年の映画「さらば あぶない刑事」まで町田透を演じ続け、「黒澤さんが与えてくれた『あぶない刑事』の現場は、僕にとって比ゆではなく古里です」との言葉をささげた。

 「ビー・バップ・ハイスクール」の役名も中間徹で、くしくも30年以上にわたり黒澤さんとは公私ともにトオルであり続けた仲村。その後も関わった作品名とスタッフをすべて挙げ、「昨日の夜。喪主である黒澤純さんに『泣かないでやってくれ』と言われたのですが。ちょっと無理ですね」と涙ながらに話した。

 「お見舞いに行った時、よくなったらうどんを食べに行きましょう。もっと良くなったら僕が運転するから箱根の温泉にでもいきましょう。もっと元気になったら断捨離も兼ねて、80冊以上ある『あぶない刑事』の台本に舘さんと恭兵さんにサインをしてもらって、僕がネットで売ってそのお金でまたスペインに行きましょうと話していたのですが、ひとつも実現できなくてとても残念」と泣き崩れた仲村。最後に「どれだけ語っても、していただいたことの100万分の1にもなりませんが、本当にありがとうございました。おつかれさまでした」と祭壇の中央でほほ笑む黒澤さんに語りかけた。