人生の最期をどうむかえるか。そんな「終活」について、しっかり準備できているのは既婚者よりも独身のほうが多い。なぜ差が出るのか。社会学者の春日キスヨ氏は「既婚者は配偶者に依存してしまっている。いつかやってくる『ひとり暮らし』への準備もできていない人が多い」と指摘する――。

※本稿は、春日キスヨ『百まで生きる覚悟』(光文社新書)の第5章を再編集したものです。

■完璧すぎる「シングル高齢者」の死に支度

倒れた時のことは、「まだ考えていない」「成りゆき任せ」「誰かがどうにかするだろう」と言う人が多い中で、「うわー! すごい。老い支度、死に支度とは、若いうちからこういう形でしていくものなのか」と、驚き、学ばせてもらった2人の女性がいる。生涯シングルで生きてきた80歳のXさん、91歳のYさんである。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz)

Xさんは、「私は結婚しないと決めた時から、老後に向かって生きていっているんで、早くから老い先のことを考えておかねばと考えて生きてきました」と語り、Yさんも、「私は一人ですから、倒れたら後は誰かに頼まなきゃいけないとずいぶん若い時から考えてました。真剣に取り組み始めたのは、母が亡くなった48歳からです」と語っていた。

しかし、身近に姉、甥、姪が住み、その助力を受けられるXさんと、5人姉妹の一番下で、存命の姉も年老いて、甥・姪も遠方に住み、その助力を受けられないYさんとは、「老い支度」「死に支度」のあり方も異なっていた。そこでまず、姉(85歳)、甥(62歳)、さらに姪(65歳)が、自宅から10分ほどの距離に住み、関係も良好なXさんが行ってきた「老い支度」「死に支度」から見ていこう。

■30代から自分の最期を想定して物件を選んだ

ひとり暮らしの場合、「老い支度」として大事なのは、いよいよ弱った時、どこで誰と住むか、倒れた時、誰にまず発見してもらうかという問題が大きいが、Xさんの場合、48年間住み続ける現在の住居を33歳の時に選んだ時点で、すでにそのことを考えて物件を選んだのだという。

Xさん「今の借家に33歳から48年間住んでるんですが、借家にした理由は、自分で家を持つと、最後はそれを処分しないといけない。でも、家主がおれば最小限で済みます。それに、倒れた時に第一発見者がいないといけないと思って探しました。とにかく家主が身近にいれば、何かあっても相談できるじゃないですか。後始末も楽だし。鉄筋の家で、私は1階部分の半分。家主が2階です」

さらにXさんは、住まいとは別に、介護が必要になる将来に備え、53歳の時に、ある施設の一室の終身利用権も購入していた。

Xさん「53歳の時に確保したのは、病院が2階にあり、“歳をとって病気になればそこに入院可能”というのをうたい文句にした建物の1階部分の部屋でした。今は別荘にして、歳をとれば終の住処にしようと思って購入したんです。終身利用権だったから。でも購入から10年後、病院が撤退して、施設の性格がコロッと変わり、20年後の73歳で手離しましたが」

■数多くのケア施設見学にも自分で行った

また、それとは別に、Xさんは、60代には福祉関係の学習グループに属し、数多くのケア施設見学も続けていた。

春日キスヨ『百まで生きる覚悟』(光文社新書)

その中で、次の結論に達し、一時ケア施設探しを中断したものの、80代が間近になった78歳から、今度は本気で入りたい施設を探し始め、現在はその途中だと言う。

Xさん「ある特養を見学した時、そこの利用者さんが、『わしらがここの施設を出る時は死ぬ時だから』と言われてね。そんなのを聞いて、たしかに老人ホームというのは終身刑のような気持ちで入る所だと思って、一時探すのを中断してました。

でも、今、切羽詰まってきたんですね。物忘れがひどくなるし。80歳のここまで生きたら、ああ! 御の字よという気持ちになってきたんで、もうケア施設に入ろうかという気になって。78歳の時、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)へ見学に行った時には、身に沁みました。以前は右から左に通り抜けた説明が、ちゃんと骨身に響いてきました」

■「老い」だけでなく「死に支度」も徹底するXさん

さらに、Xさんの場合、「死に支度」、つまり「終活」の仕方も徹底しており、話を聞きながら私は、「なるほどねえ」と何度も繰り返した。

その内容を、Xさん自身による「死に支度」の記録から見てみよう。

(1)63歳時。300万円の預金の通帳とカードを姉に託す。山登りなどをする自分が行き倒れになった時など、不慮の事故などに備える金として。
(2)75歳時。メモ類、上記通帳などを姉から甥へ引き継ぐ。高齢の姉に代わり、甥を主たる責任者に変更。
(3)75歳時。葬儀式場の予約。葬祭料24万円。甥とその妻、姉、私で下見し契約。
(4)78歳時。死後の始末、葬式、住居の始末、諸届は甥が責任をもって行うことを約束。通帳メモ類他の保管場所を甥に示す。尊厳死の宣言書は甥に見せた。さらに、いざという時のために自宅の合鍵も甥に預ける。
(5)80歳。X家の墓じまい。祖先の骨は姉の嫁ぎ先の「家」墓へ、墓じまいの代行を甥に依頼。墓じまいの延長で現在の住居の不用品、ごみ処理を甥が遂行。100万円。
(6)その他、白内障や他の病気で入院手術した際には、姉、甥、姪が保証人。手術前の説明も聞き、見舞いにも来た。その都度お金を支払う。

■「近親者がするのはあたりまえ」ではない

Xさんの話を聞きながら、私が「すごいなあ」と思った点がいくつかあった。

まず、「倒れた時のことなどを考えるのは暗いこと」と言う人がいるが、Xさんは明るく意欲的で、施設探しも自分で情報を探し、「自分で何もかにもせんと駄目だと思っているから」と、一人で見学に行くと言う。これはこの年代の女性では珍しいことである。

さらに、甥に保証人など重要な事項を依頼しているが、必ず、姉、甥、甥の妻の3人同席の場で話を進めるのだという。

Xさん「そういう話の時は、姉と甥夫婦、3人一緒の時にするんです。3人が納得してくれないと、何かする時絶対うまくいきませんからね。葬儀の件についても4人で一緒に葬儀社に行って、前金を払って契約してきました」

さらに、何か上記のような取り決めをして、それを行ってもらった場合、必ず相応の金銭授受がなされていることである。それもきちんと「ありがとう」と感謝の意を伝え、その金額を支払う理由を口頭で説明し、お金を手渡すという。

一見、こうしたことは易しいように見えて、「近親者がするのがあたりまえ」とする金銭感覚の場合、案外難しいことかもしれないと思ったのである。

■親族と離れて暮らしても「死に支度」が完璧

Xさんには「死に支度」「老い支度」を手伝ってくれる甥夫婦や姪、姉といった身近な親族がいた。それにXさんはまだ、80歳。自分でこれから入りたい施設見学をする足腰の達者さも残っていた。しかし、Yさんは、5人姉妹の末っ子で、存命の姉2人(96歳、93歳)はすでにケア施設に入所し、甥や姪も他県に居住し、頼れる身近な親族がいない。しかも、Xさんよりも10歳年長であるYさんは、変形性股関節症もあって、年々痛みが増し、歩行が不自由になっていた。かといって、Yさんの暮らしは孤立したものではなく、彼女自身が手紙や電話で関係を丁寧に育んできた「他人」とのつながりの中で、「これからもここで、在宅で暮らしたい」と穏やかな日々を過ごしている。

Yさんが70代から取り組み始めた「老い支度」「死に支度」には、いくつかのことがあった。一つは、ひとり暮らしの自分が自力で生活できなくなった時に、世話を託すケア施設を探すこと。さらに、亡き母親が自分に託した墓じまいと先祖の永代供養をお寺さんにしてもらうこと。それに、自分が死んだ後に財産が残った場合の贈与先を書いた遺言書を書くこと。そして何より、自分が倒れた時の保証人になってくれる先を確保すること。

■身元引受人を菩提寺の住職に頼んだ

こうした終の住処をめぐる「老い支度」とともに、70代から始めた学習成果として、85歳時に、死去した父親の墓がある長年親交のある菩提寺の住職を受け取り人とした自筆遺言書を書き、その住職に、入院する時の保証人、身元引受人を引き受けてもらっている。

春日「身元引受人は? 手術の時とかの保証人はどなたですか?」
Yさん「お寺さんです。昭和6年に父が亡くなってから、ズーッとお付き合いのあるお寺さんなので。私が死んだら後を継ぐ者がいないのがわかっているし。私の死後も永代供養をして頂けるよう、私の資産を全部と遺言にも書きました」

ところで、こうした70代から始めた「身じまい」を、一人で考え選択し実行してきたYさんを「すごいなあ」と思ったのだが、さらに「すごいなあ、そこまで備えておくものなのか!」と感動さえ覚えたのが、変形性股関節症の手術で2カ月間の入院をする前に、Yさんがしていた「老い支度」と、その準備の綿密さだった。

■Yさんは入院時にも準備を怠らなかった

長年痛みに苦しんできたが、ためらっていた変形性股関節症の手術を、先述のNPO所属の専門支援職者の強い勧めで決意したのだという。

春日「入院前にどんな準備をなさったんですか」
Yさん「ほんと、準備が大変だったんです。私はひとり暮らしですから。新聞を止めて、宅配で取り寄せていた薬やお化粧品も電話で断って、電話番号は全部入力してありますから。それにベッドメーキングもして洗濯物も片付けて。
 入院する時はまだ暖かい時期だったんですが、退院の時は寒くなって帰るんだから、入院する時に帰宅した時のことを考えて、ベッドメーキングまでして出たんです。手術直後は重い物を持てないかもしれないから、寝室まで厚手の物を持ってきておこうかとか。
 それに、退院する時の荷物とか服とか靴とかも、できることは入院する前に準備しました。退院した日の食事にも困らないように、食べ物も冷凍しました。私はひとり暮らしですから」

それ以外にも、Yさんがしたことがある。Yさんは自宅のベランダで植木鉢に花を育てることを大きな楽しみにしている。そのために入院中、花に水やりをしてくれる人を確保し依頼するだけではなく、家主との交渉を済ませて入院している。

■根底にあるのは「私は一人」という意識

春日「入院中の郵便物、戸締まりなどはどうされましたか?」
Yさん「家主さんにも入院するという連絡を入れて入院しました。それで、鍵を預けている人のことも家主さんには伝えて。郵便物や、植木に水やりをするためにお願いしたんです。まずはその方に、はじめに御礼を渡しておいて、お願いしました」

「へえ、そこまで手配して入院されたんですか」と私が感心すると、Yさんは、「私は一人ですから」と答えた。

この「私は一人ですから」というのは、Yさんの話を聞く中で、何度も出てきた言葉である。さらに、入院するに当たってそれだけの準備をしているYさんであるから、受診の際に必要な日頃の健康管理、危機対応についての備えも、半ば生活習慣化した形で行っていた。「血圧と体重、脈は毎日測定」し、「お薬手帳や健康保険証、介護保険証はバッグに入れて持ち運びできるように、パッと出せるようまとめています。それと入院グッズもバッグに入れて揃えてます」とのことであった。

■家族のいる人は互いへの「依存心」が強すぎる

ところで、生涯シングルで生き、こうした形で「若い頃から」、一人で「老い支度」「死に支度」を「身じまい」の営みとして行ってきたXさん、Yさんからは、結婚し家族を作った同世代の女性たちの、夫亡き後の生き方はどう見えるのだろうか。

Xさん「ご主人を亡くした後、子どもと同居している人で、子どもの世話にはなれない、自分のことは自分でしなければという考えを持っていて、世話になるのはつらいと言う人でも、自分で施設を探したりする気は全くないし、探す知恵も持っていませんよね。自分はこうしたいという、老後についての考え自体がない。だから、自分が足が弱ったり、自炊ができなくなればどうなるかと、悶々として暮らすことになる人が多いですね」

Yさん「私みたいにね、ズーーッと独りで生きてきた者と、ご主人を亡くして一人になられた方とは違うと思いますねぇ。見ててね、なんでそんな、と思うようなところがありますね。へまなことをやってますよね。

やはりご主人を頼って生きてこられた分ね、何かあったら『お父さん、どうする』みたいなところがあって、自分で決められない。決める力がない。

私は自分で決めていくしかないという違いね。私なんか、母親も私にすがるという感じでしたからね。母の入院なんかの時、病院を決めるのも私でしたし。そういう意味では女一人の方が強いですね」

終活は、依存心を乗り越えないとできない

こうはっきりと言われると、「夫、子どもがいる私自身にも根深い依存心があるなあ。でも、『どうにか妻がしてくれるだろう』と、その私に依存している夫の方が、いざという時もっと窮地に陥るだろうなあ」、そう思ってしまう私がいた。

と同時に、そうした形の相互依存の中で、何の備えもしないまま、ひとり暮らしになり、80代、90代の長寿期に突入する人たちが大量に増えていくのが、これからの時代である。

そうした時代、家族を作るという生き方をしてきた人たちが、家族への依存心を乗り越えて、自分で考え、選び取る「老い支度」「死に支度」をすることは、シングルであるために否応なくそういう生き方をせざるを得なかった女性たちに比べ、さらに大変なことになる。そうした依存心を乗り越えてひとり暮らしに自分で備えていける人がどれくらいいるだろうか。でも、それができない人ばかりだと、大変な時代になってしまうと、改めて思ったのだった。

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春日キスヨ
社会学者
1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専攻は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書多数。

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(社会学者 春日 キスヨ 写真=iStock.com)