かつての名レスラーには、その一撃が極まれば必ず勝負を決するという必殺技があった。技の威力だけではなく、どうしたら観客にアピールできるか、観客が納得するかを考え尽くし、研鑽を重ねることによってこそ、必殺技は成立するのである。

 昭和のプロレスファンからすると懐かしくもあろう。新日本プロレスで今、イデオロギー闘争が巻き起こっている。

 平成最後となる来年1・4東京ドーム大会のメインイベントで、IWGP王者ケニー・オメガへの挑戦が決まった棚橋弘至が、「ケニーのプロレスには品がない」とそのスタイルを真っ向から否定。すると、ケニーも「おまえじゃあ、未来を変えられない」と応戦してみせたのだ。

 両者の違いを簡単に言えば、ケニーが“過激技連発の一戦燃焼型”で、棚橋が“ドラマとしての連続性を重視”ということになる。

 どちらが正しいと決めつけることは困難で、ケニーのスタイルも四天王プロレスとの近似を思えば、こちらを支持する人も少なくないだろう。

「それでも、やはりオールドファンは棚橋に共感するのでは? 大技連発もすごいけれど、見慣れているはずの取材記者ですら、いつかケガするんじゃないかと不安が常につきまとう。だから昭和のファンともなれば、ガンガン頭から落とす我慢比べのような試合よりも、お決まりの技でフィニッシュという方が、なじみやすいと思いますよ」(ベテラン記者)

 その危険度や見た目の派手さという点では、ケニーのフィニッシュ技“片翼の天使(相手を担ぎ上げ、開脚ジャンプして頭から垂直に落とす進化形のパイルドライバー)”が究極的であることに違いはない。

 しかし、一方で見せ方やタイミング次第では、古典的なパイルドライバーも時にそれ以上のインパクトを与えることになる。これこそがプロレスの奥深さというものだ。

 一つの技が使い手によって、つなぎの痛め技にもなれば必殺技になったりもする。その典型的な例がスリーパーホールドで、使い手のさじ加減次第で、試合中に一息入れるための“休憩時間”にもなれば、完全無欠のフィニッシュホールドにもなる。

「晩年のアントニオ猪木も”魔性のスリーパー”として使っていましたが、あれは喉の気道を絞めるチョークに近いもの。厳密に言えば反則です。頸動脈を絞める”正調”のスリーパーホールドとなると、やはりバーン・ガニアが第一人者となるでしょう」(プロレスライター)

 ガニアのスリーパーということで多くのファンが思い起こすのは、1981年1月18日、ジャイアント馬場の3000試合連続出場突破記念試合だろう。

 この時すでに50代半ばとは思えぬほど打点の高いドロップキックを連発すると、馬場の背後から飛びつくようにしてスリーパーを仕掛けたガニア。これに耐えようともがく馬場を包み込んで、3本勝負の1本目を奪ってみせた。

★ロビンソンとの歴史に残る激闘
 このスリーパーにも、ガニアなりのこだわりがあるという。

「必ず両者がスタンディングの状態から、仕掛けることを信条としていたそうです」(同)

 その理由は「座った状態だと観客席から見えないから」というもの。言われてみれば当然のことだが、レスリング技術を重んじてショーマンレスラーを嫌ったその厳格なイメージからすると、観客目線を気に掛けていたというのは、やや意外でもある。

「日本においてガニアは、どこか誤解されている。レスリングでの五輪出場に加えて、NFLでもプレーしたその華麗な前歴から、NWA時代にはルー・テーズとも肩を並べる大スターと目されていたのです」(同)

 60年代の米マットにおいて、多くの名選手がNWAに対抗する団体を立ち上げて失敗(もしくはNWAの下部組織止まり)に終わった。その中にあって、AWAを創設し、NWAと並ぶ世界規模にまで育てることができたのも、ガニア自身の人気の高さがあってのことだった。

 初来日がキャリア晩年で国際プロレス中心の参戦だったことも、ガニアの印象を薄くしている。しかし、好事家から「日本における外国人対決の最高峰」と称賛されるのが、1974年11月20日、蔵前国技館におけるビル・ロビンソン戦だ。

 ガニアがスリーパーホールド、ロビンソンがワンハンド・バックブリーカーと互いの得意技で1本ずつを取り合い、3本目はガニアのバックドロップが崩れた後に、タックルの相打ちから両者KO。40分を超える激戦に、観客からはスタンディングオベーションが送られたものだった。

 AWAの帝王=ワンマン社長というだけではない、一選手としてのガニアも、再評価されてしかるべき存在と言えよう。

バーン・ガニア
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ROFILE●1926年2月26日〜2015年4月27日。アメリカ合衆国ミネソタ州出身。
身長182㎝、体重112㎏。得意技/スリーパーホールド

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)