クラフトビールが人気だ。国内最大手のヤッホーブルーイングは13年間売り上げを伸ばし続けている。だが最大手といっても生産規模は大手ビールメーカーの100分の1。その分、働き方も大手メーカーとは違う。社員が「森のなかで遊んで、ビールを飲んでという毎日」と説明する働き方とは――。

■13年間売り上げを伸ばし続けている

13年間売り上げを伸ばし続けている(写真=ヤッホーブルーイング提供)

ヤッホーブルーイング(以下、ヤッホー)は「クラフトビール」メーカーだ。本場アメリカではすでにクラフトビールのシェアは金額換算でビール全体の20%を超えている。しかし、日本ではまだまだ。クラフトビールメーカーは300社を超えるけれど、販売量をすべて合わせてもビール市場全体の1%しかない。ただし、販売量は伸びている。ヤッホーに関して言えば、この13年間、売り上げを伸ばし続けている。

同社の設立は1996年で、ビールをマーケットに出したのは翌97年。それから8年間、赤字が続いたが、社長、井手直行の奮闘で、その後はずっと黒字経営である。ただし、売り上げ、ビール生産量は発表していない。その理由を社長の井手はこう説明する。

「公開企業ではないので、出す必要がないのがひとつ。もうひとつは大手さんが僕らの情報を詳しく知ると、いくらでも対処できるというか……。吹けば飛ぶような存在なので、僕らとしては今のところは詳しい情報を出さずに、ひそかに成長したいと思っているんです」

売り上げについては正確にはわからないが、生産量については醸造所を見学すると、だいたい、推測はできる。もっとも、同社でいちばん売れている「よなよなエール」は提携しているキリンビールに製造を委託している分もあるから、その数字を足さなくてはならない。

■クラフトビールメーカーがエールを得意とする理由

ヤッホーの佐久醸造所(ブルワリー)は北陸新幹線の佐久平駅から車で15分ほどの距離にある。畑と住宅にはさまれた場所で、敷地面積は6068平方メートル。東京ドームのグラウンド面積(1万3000平方メートル)の半分くらいだ。醸造設備のある建屋は大学の体育館よりも少し小さいくらいの大きさで、そこに全従業員約140人のうち、50人ほどが働いている。社長の井手がいる事務棟はまた別の建物だ。

ビールの醸造工程は仕込み、発酵・熟成、パッケージング、品質検査、出荷の5つとなっている。これは大手メーカーと変わらない。だが、大手が造っているのはラガービールで、ヤッホーなどクラフトビールメーカーは主にエールビール(以下、エール)を得意としている。

エールは麦芽の入った仕込み水を20℃前後で発酵させる上面発酵だ。仕込んでから製品になるまでは約1カ月。一方、大手が造るラガーは低温の下面発酵で、出来上がるまでに2カ月はかかる。

なぜ、クラフトビールメーカーがエールを得意としているかと言えば、大手と同じラガーを造っても、仕込む量が少ないから割高になってしまうためだ。一方、エールならば大手がやっていないし、リードタイムが短いから、すぐにマーケットに出すことができる。エールはクラフトビールメーカー向きのビールなのだ。もっとも、ヤッホーがエールを造る最大の理由と言えば、井手をはじめとするスタッフたちが、コクと味わいと香りのあるエールが好きだからということになる。

■人の気配が漂う醸造所

さて、ヤッホーの醸造所内はそれぞれの工程に合わせて、別の区画になっている。特にパッケージングの区画は雑菌が入るのを嫌うので、ほぼ密閉されている。限られたスタッフしか入ることができない。

わたしは大手メーカーのブルワリーもいくつか見学したことがあるが、大手は、とにかく巨大だ。たとえばアサヒビールは8つの工場を持っているけれど、そのうちひとつの平均的な生産量は50mプールで4個分。大びん(63ml)換算で370万本。同じ種類のラガーを大量に造り、設備はほぼ自動だ。スイッチを入れれば、あとは機械がやってくれる。クリーンで静謐で、現場で働く人の姿も多くはない。

佐久醸造所は長野県佐久市にある(写真=ヤッホーブルーイング提供)

一方、ヤッホーは10klの仕込み釜で2万5000缶(缶350ml)しかできない。平均の仕込み回数は1日に2回。生産規模で言えば100倍以上は違う。

規模が小さいから、人の気配が漂う。どこの工程でも必ず誰かが手作業で機械を操作している。品質検査の部屋では真剣に検査やテイスティングをしている。また、何種類もの製品をひとつの設備で造らないといけないから、設備の洗浄時には時間と手間がかかる。

■自然のなかで働き、遊ぶことができる

ある日、仕込み槽で「水曜日のネコ」(ホワイトエール。しかし、このネーミングは何だ?)というビールを準備したら、翌日は「インドの青鬼」(苦みのあるIPAビール)を仕込むといったことが往々にしてある。前日のエールの味わいがタンクに残るといけないから、つねにタンクを徹底して清掃しなくてはならない。人手が必要な醸造所なのである。

ただし、せかせかと働いているといった印象ではない。

醸造ユニットディレクター(責任者)の森田正文は笑いながら言った。

「ここは田舎ですから、のんびりしてますよね。みんな、佐久市や軽井沢町に暮らしていて、仕事が終わったら、それこそ森のなかで遊んで、ビールを飲んでという毎日ですから」

従業員が自然のなかで働き、また、遊ぶことができるというのがヤッホーブルーイング佐久醸造所の最大の特徴だろう。ビールだって、従業員ならば社員価格で飲める。都会ならではの通勤ストレスはまったくないし、席はフリーアドレスでゆったりとしているから、寝不足でいらいらした同僚が横で怒っている姿を見ることもない。天然の空気を吸っているから精神は安定している。

■「チームでビールを造る」

森田は大学を出た後、大手ビール会社をすべて受けたが、すべて落ちた。正確に言えば、1社は合格したけれど、配属がワインだったので、辞退した。

そういう姿を見ていた当時の婚約者(現夫人でよかった)が、「あなた、クラフトビールってのがあるらしいよ」と言った。それでヤッホーにエントリーシートを出し、合格。以来、醸造所に勤務している。

「私はたまたまずっと醸造所にいますけれど、うちが他社さんと違うのはスタッフが3年ごとに異動すること。何も頑固なビール職人を造ることが目的じゃないんです。企業理念にもあるんですけれど、『チームでビールを造ること』が僕らの仕事です。

スタッフはクラフトビールというビジネスの全体を理解する。そして、お客さんの顔を見た人がビールを造る。これは大手のビール会社にはできないことです。うちの強さはここにあると思っています」

醸造部門にいた人が翌日から営業担当になり、コンビニを回る。品質検査でテイスティングしていた女性スタッフが、主力製品である「よなよなエール」を出す店の接客を担当する。たしかに、こうしたことは大手では絶対にできない。ヤッホーの現場の力とは設備や製品ではなく、造る人が客の顔を見て、客が飲みたいビールをじかに聞いたことがあるということだろう。

■似た商品ばかりでは消費者が飽きる

ヤッホーブルーイング井手直行社長(撮影=向井渉)

社長の井手はSNSの世界では発信力のある有名人だ。毎日、投稿している彼のコメントには100人以上の友だちが「いいね」を押す。6月に投稿された「透明ビール」についてのコメントは正論だったこともあって、反響が大きかった。

「私たちのビール業界で言うと、透明飲料は増えてきたと思っていましたが、『流行』しているという市場評価なんですね。そうすると各社、透明飲料を発売したくなるのでしょうが、本当にそれでいいのかは疑問です。だって透明と言うだけであれば誰でも造れるわけだし、差別化ができません。そういう商品が乱立していくわけです。差別化されない似たような商品ばかりになると消費者はすぐに飽きて買わなくなります。市場は急速に縮小します」

では、彼はクラフトビールを飲む客についてはどういう分析をしているのだろうか。

「比較的、若い人のほうがクラフトビールを飲んでます。大手さんのビールはだいたい50代を中心に、60、40代が飲んでいます。クラフトビールを飲む層はそこからだいたい15歳ぐらい下にシフトした30代の半ばが中心ですね。

うちの最大の課題はまだ認知されていないこと。知ってる層と知らない層がくっきり分かれている。インターネットでうまくやってきたので、ネットの世界では知名度はあります。しかし、それ以外の層にはまだ食い込んでません」

■社員全員にニックネーム

井手は週の半分は佐久市にいて、残りは東京で商談をしたり、イベントに出席したりしている。そして、佐久市にいても、醸造所の現場に毎日、顔を見せるわけではない。

「現場には1日に1回は行ってないですね。それでも、みんなのことはよくわかってますよ。スタッフだけでなく、その家族のこともよく知ってます。うちはみんな社長とかリーダーとは呼ばないんですよ。全員、ニックネームが付いてますから、それで呼んでます」

これは井手が社員をニックネームで呼ぶだけではない。社員は井手を「てんちょ」と呼ぶ。醸造リーダーの森田は「モーリー」、広報の原謙太郎は「ハラケン」と呼ばれている。みんな、いいおっさんだけれど、「てんちょ」で「モーリー」で「ハラケン」なのである。ニックネームで呼び合うから、一般の会社よりも雰囲気はフレンドリーだ。

■スタッフが「井の中の蛙」にならないように

井手は「僕がつねに気にしているのは設備よりスタッフです」と強調する。

「クラフトビールの最大手の我々でも、多くが手作業なんです。人が介在する部分がすごく多い。みんなの状態とか、現場で問題が起きてないかっていうのは、スタッフの様子を見たり、話をしなきゃわからない。醸造所のスタッフのお子さんが入っている部活まで知ってます。設備を担当しているフルちゃんっていうスタッフはお子さんが野球をやっていて、試合の結果のことも聞いたりしますから……。それくらい現場のスタッフのことをわかっていれば、大変な事態が起こるまでトップは何も知らなかった、ということにはなりません。人を知ることが現場を掌握することだと思っています。

僕が製造現場のスタッフに言うことはひとつだけ。『世界を見てください。もっと広い目で見てください』って。製造現場は閉鎖空間だから、どうしても内向きになっちゃう。内向きになっちゃうと、自分たちだけがおいしいと思うビールが出たりする。だから、まずはお客さんを見てくれ、と。おいしいかおいしくないかはお客さんが決めることです。

また、他社を見たり、アメリカのブルワリーに見学に行ったりすると、ぜんぜん違う情報がいっぱい入ってきて勉強になるんです。『ほかはこんなふうにやってるんだな』っていう学びがある。スタッフには井の中の蛙にならず、ちゃんとお客さんと対面で接する機会も定期的にとってほしいと思います。ですから、人事異動で生産の現場から営業へといったこともするんです。もっと外に出て行って、視野を広げて、いろんなことを吸収してビールづくりに反映しようって、それだけは言ってます」

ヤッホーは大手が独占しているマーケットに挑戦するベンチャー企業だ。資金と機械設備では太刀打ちできない。彼らが大手に対抗するにはクリエーティブな力を上げていくしかない。井手が取った交流人事と広い視野を持つことはヤッホーにとってなくすことのできない施策であり、それが彼らの現場の力だ。

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野地秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年、東京都生まれ。早稲田大学商学部卒、出版社勤務などを経て現職。人物ルポ、ビジネス、食など幅広い分野で活躍中。近著に、7年に及ぶ単独取材を行った『トヨタ物語』(日経BP社)がある。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)