日本人が開発、あるいは大きな貢献をした新材料は枚挙にいとまがないが、この「お家芸」にも、だいぶかげりが見えてきている(写真:sergeyryzhov/iStock)

石器時代、青銅器時代、鉄器時代といった区分があるように、新たな「材料」の登場は、時代の画期となると同時に、その覇者をも決めてきた。たとえば、紀元前15世紀に鋼鉄の製法を発見したヒッタイト人が、小アジアに強大な覇権国を築き上げたのは、よく知られている話だろう。

「材料科学」の覇権争い

米ソ冷戦期においても、新たな材料の開発をめぐり、両国は熾烈な競争を繰り広げた。なかでも宇宙開発では、高熱や極寒、真空にも耐える高性能な材料が必要とされたが、ソ連がアメリカに先んじて1957年に人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功し、アメリカの自信を打ち砕いた。

この「スプートニク・ショック」を受けて、アメリカは翌1958年にアメリカ航空宇宙局(NASA)を設立、優秀な人材と莫大な予算を投入し「材料科学(マテリアル・サイエンス)」という新たな研究分野を立ち上げる。そして1969年には、アポロ11号で人類初の有人月面着陸を成功させ、完全にソ連を巻き返した。

このように「材料科学」は、世界の覇権争いを左右する重要な科学分野のひとつである。そして、日本はこの材料科学をリードしてきたトップ国のひとつだが、残念なことに、その重要性は日本の人々にはあまり知られていない。

そこで筆者は『世界史を変えた新素材』(新潮選書)という本を刊行し、世界史の中で新材料の開発がいかに大きなインパクトを持ってきたかを紹介するとともに、いま日本の材料科学が直面している危機について書いてみた。

現代では、すでに新材料は、天然から見つけ出したり改良したりするのではなく、研究者が新たに合成して創り出すものになっている。とはいえ、行き当たりばったりにいろいろなものを混ぜたり試したりしても、そう簡単に新材料を開発できるわけではない。きちんとした理論的背景のもと、原子レベルで組み合わせを設計し、合成することによって、新たな機能を持たせた材料を創り出す必要がある。

つまり、研究者には理論的な頭脳に加えて、いわば職人的な勘と手先の器用さが求められるわけだが、そのような中で大きな存在感を発揮したのが日本人の研究者たちであった。光触媒、炭素繊維、カーボンナノチューブ、青色LED、鉄系超伝導体、ネオジム磁石、リチウムイオン電池などなど、日本人が開発、あるいは大きな貢献をした新材料は枚挙にいとまがない。

しかし、近年はこの「お家芸」とも言うべき日本の材料科学にも、だいぶかげりが見えてきている。理由の1つは、中国など新興国の台頭だ。新材料の開発は、最初から完成品の形で発表されることはほとんどない。たいていの場合、新しいコンセプトの材料がまず発表され、試行錯誤を繰り返しながら性能や製造法の改善が図られて、長い時間をかけて完成に至る。

となれば、いくらコンセプト段階で先行しても、製品化の段階では資金力とマンパワーのあるところが勝つ。資金と研究者を急速に拡充している中国には、日本勢はなかなか太刀打ちできなくなっている。ある研究者は「たとえこちらが人員を3倍にしても、向こうはその数倍の研究員を投入してくる。日本が勝つにはどうすればいいですかとよく聞かれるけど、どう考えたって無理ですよ」と嘆いている。

「マテリアル・インフォマティクス」の登場

もちろん、先ほども述べたように、ただ資金と人数にまかせてやみくもにじゅうたん爆撃をしていればいい材料が見つかるというものではなく、研究者の経験と勘がものを言う部分もある。しかし、日本が強みとしていたこの領域にも、新たな強敵が現れた。「マテリアルズ・インフォマティクス」と呼ばれる手法がそれだ。

2016年、グーグル傘下のディープマインド社が生み出した人工知能「アルファ碁」が、囲碁のトップ棋士を4勝1敗で撃破し、世界を驚かせたことは記憶に新しい。囲碁はほかのゲームに比べて勘や目分量に頼る部分が大きく、このためコンピュータが人類に勝てない最後のボードゲームとして残っていた。

しかしアルファ碁は、過去の棋士の棋譜を大量に読み込んで学習することで、ある局面でどの手を打つと勝率が高くなるか、判定する能力を身に付けた。さらに自己対局によって磨きをかけることにより、新しい手段を創出する段階にまで至ったのだ。

マテリアルズ・インフォマティクスはこれと同じように、過去に作り出された材料の各種データをコンピュータに「学習」させることで、新たな物質の性質を予測しようというものだ。これにより、たとえば今まで数年かかっていた新材料探索を、わずか数カ月で終えることができるようになっている。いわば研究者の勘と経験を、ビッグデータの高速解析によって置き換えてしまう技術だ。

正念場を迎える日本の材料科学

この手法が発展するきっかけになったのは、2011年にアメリカ・オバマ政権が打ち出した「マテリアルズ・ゲノム・イニシアティブ」という政策だ。2億5000万ドルを投じ、新材料の開発速度を2倍に上げるというこの計画は、見事、図に当たった。2012年10月には早くも、蓄電池に用いる固体電解質という材料の長寿命化に成功した。ずっと前から研究していた日本のチームに、わずか数カ月で追いついてみせたこの成果は、新手法の威力を知らしめるに十分であった。


中国はこれを見て、多額の予算を投じてほぼ同じ計画を立案し、急速にアメリカを追い上げている。日本は2015年から同様のプロジェクトが動き始めているが、やや出遅れの感は否めない。しかし産業界もマテリアルズ・インフォマティクスの威力に目をつけ、先述のトヨタなども、蓄電池材料開発のためにこの技術を投入しようとしている。

人工知能、ビッグデータという言葉は、近年になって大きく取り上げられ、「人間の仕事が奪われる」などと騒がれているものの、やや話題先行ともとらえられている。しかし材料科学分野ではすでにその威力を存分に発揮しており、国際的研究競争の焦点ともなりつつある。日本が今後材料科学分野で存在感を保てるか、ここ数年が勝負となりそうだ。