私たちには呪いがかけられている。

いつでもかわいらしく身ぎれいに、
だって「女の子なんだから」。
人の輪を乱さずに、まわりに気を配るの、
だって「女の子なんだから」
男性を立てて。プライドを傷つけちゃだめ、
だって「女の子なんだから」。

キャリアを手にし、妻や母となっても、影のようにつきまとう呪いの正体とは?

最終回。思春期のトラウマから“女の子らしく”いることや恋愛を避けて生きてきたフリーライターの凪は、ある日、経営者Jr.でハイスペ男子の橋下俊太郎に、突然、唇を奪われる-




売れっ子作家になった凪・33歳


「それでは、本番5秒前、4、3、2…」

まぶしいスタジオの照明を浴びながら、凪(33)は自分が落ち着き払っていることに驚いていた。

週に2本のレギュラー。ニュースやバラエティーのゲスト出演。初めて足を踏み入れた時は緊張で全身が震えたテレビ局のスタジオも、今では足繁く通う仕事場の1つに過ぎない。

「コメンテーターをご紹介します。著書『女子力の呪い』が広く共感を呼び、本屋大賞ノンフィクション部門を受賞。作家でコラムニストの…」

生放送の情報番組。男ウケしそうなパステルカラーのニットを着た女子アナが、愛らしい笑顔で凪を紹介する。

「本にも書きましたが、この社会は“女子力”とか“女らしさ”にとらわれすぎていると思います。特に、女性アナウンサーの服装とか」

凪のコメントを受けて女子アナが「私のことです?」と嫌な顔をするが、それは進行台本通りの展開だ。番組はうまく運んでいる。

凪はモニターの横に立つ背の高い男に視線を向けた。

マネージャーの、橋下俊太郎(37)だ。

3年前に凪を追いかけ回していた男は、驚くことに一部上場企業の役員、そして次期社長という地位を捨て、今や凪の敏腕マネージャーとして活躍している。

真剣な顔でモニターを見つめ何やらメモを取っている俊太郎を眺めながら、凪は考えていた。

彼にとって自分と出会ったことは幸運だったのか、それとも不運だったのか、と-


恵まれた地位を捨て、愛する女の側にいることを選んだ俊太郎。果たしてその心中とは…?


“呪われた女”を愛した男の3年間


-3年前-

「あなたが嫌いです。会うたびに死にたくなるくらい」

橋下俊太郎は、35年生きてきた中でも最も痛烈な一言を浴びせかけた女の顔をまじまじと見つめた。

上質なシルクのような肌。凛とした弧を描く鼻と顎のライン。化粧っ気は全くないにも関わらず、濡れたような長いまつ毛と色素の薄い瞳が儚げで美しい。

凪。

-こんな女は、どこを探してもいない

その姿を心に描くだけで、彼の胸は甘い痛みに締めつけられるのだ。




凪と出会った日のことを、俊太郎はいまでも鮮明に思い出すことができる。

遊び仲間の編集者に呼ばれ、フラリと顔を出した西麻布のバー。個室に足を踏み入れると、むせかえるような香水の匂いに迎えられた。

「わあ!超かっこいい〜」
「でしょ?俊ちゃん久しぶり!」
「あたしTwitterとNewsPicksフォローしてます」

どの女も見分けがつかなかった。皆一様にかわいらしく、セクシーな服とピンヒールを身につけ、甘い匂いをさせながら「すごい」「さすが」「センスいい」と俊太郎を持ち上げてくれる。

30分ほど気持ちよく飲んでいた頃だ。
個室の隅で置物のように身を固くしている女が一人いることに気がついた。

およそ西麻布に似つかわしくない、体のラインが出ないストンとした服にスニーカー。髪はゴムでまとめているだけで、化粧っ気もない。

-あの服…TOOGOODじゃないか

ロンドンのファッションブランドで、特徴的なストライプには見覚えがある。俊太郎は一応アパレル会社の役員である。スニーカーはStudio Nicholsonの新作。女らしくはないし高級品でもないが、どちらも趣味のいいものだった。

「あ!忘れてた。紹介するよ、ライターの凪ちゃん」

女は、洞穴の中からこちらを覗く小動物のような表情で俊太郎を見つめると、無言で名刺を差し出した。

その短く切り揃えられただけの爪を見て、俊太郎は特に深い意味もなく質問をした。

「ネイルとかしないの?」

すると女は色素の薄い瞳を伏せ、澄んだ声で呟いた。

「嫌なんです。世界と自分の間に壁ができるみたいで」

その一言が始まりだった。俊太郎は射抜かれたように、その場から全く動けなくなってしまったのだ。



こんな女、すぐ手に入るだろうと思っていた。
聞けば職業は売れないフリーライターだという。

一方、自分は有名企業の役員で、次期社長。容姿も竹野内豊似とよく言われるし会話のセンスにも自信がある。

そんな自分に気に入られて喜ばない女がいるはずは-

あったのだ。

LINEはなかなか既読にならず、何度食事に誘ってもきっぱり断られた。

ならば、と強引に仕事の機会を作ったが、淡々とインタビューをこなすと風のように去っていく。

会えば会うほど、俊太郎はどうしようもなくこの女に惹かれていった。

美しく知的なだけでなく、時折のぞかせる笑顔は少女のように愛らしい。あまり外食はしないらしく、現場に持参していた弁当はかなりの出来栄えだった。

-俺がずっと探し求めていた、理想の女…

生まれて初めてともいえる本気の恋に、俊太郎はなす術もなく立ちすくんでいた。

そしてあの夜-

強引に唇を奪ったことを謝りたい、と何度も連絡を重ねて1ヶ月後、ようやく目の前に現れた凪が俊太郎に浴びせたのがあの一言だった。

-あなたが嫌いです。会うたびに死にたくなるくらい

俊太郎は動揺を悟られないよう努めて冷静に答えた。

「…分かった。好きな男がいる、ってことだよな」

しかし凪の返事は一言めの衝撃を上回るものだった。

「違います、あなただけじゃありません。私を女として見る人はみんな嫌い。…大っ嫌い」

凪の色素の薄い瞳は、怒りとも悲しみともつかない色を宿して揺れていた。


初めて本気で恋した女に、これ以上ないほどのフラれ方をした俊太郎。そして2人は…


「私は、あなたが羨ましかった」


俊太郎のオフィスに差出人のない郵便物が届いたのは、それから7カ月が過ぎた頃だった。

忙しく仕事をこなし、美女とデートなどしてみるものの、心はいまだにあの色素の薄い瞳に囚われたままだ。

恐る恐るその郵便物を開封してみると。ソフトカバーの本が封入されている。

「…誰だ?」

本のタイトルは『女子力の呪い』。そして著者名には-

-あの女…凪のフルネームだ!

慌ててページをめくると、一枚の便箋がはらり、と俊太郎の足元に落ちた。




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俊太郎さんへ

ご無沙汰しております。
お元気でいらっしゃいますか?

ご著書のライター、お受けできず申し訳ありません。そろそろ出版される頃でしょうか。楽しみにしています。

ずっとあなたに謝りたいと思っていました。

前に言ってくださいましたよね。
「君みたいな女はどこにもいない」って。

私もずっと自分自身のことをそう思ってきました。
男に媚びず周囲に流されず、独自の道を貫いていると。

でも、私はとても平凡な人間です。

10代の頃、好きな男の子にフラれました。その時の傷を大人になった今も乗り越えられずいます。

気づけば「女らしく振る舞ったら負け」だと強いふりをして生きるようになりました。

私は人を好きにならないし、
こんな私を好きになる人なんていない。

だから、あなたに会うたびに苦しくてたまらなかった。こんな私を好きだと言う人を、信じられなくて。

ひどいことをたくさん言ってしまいましたが…
多分、私は羨ましかったのだと思います。
好きな人に好きと堂々と言えるあなたのことが。

あなたと出会ったことは、私にとって一種の事故のようなものでしたが、おかげで自分の傷と向き合うきっかけができました。

そして私と同じ痛みを抱える人に「それでいいんだ」と伝える勇気を持てました。

ようやく完成したこの本を一冊お送りします。
お詫びの言葉と、お別れの挨拶にかえて。

どうぞいつまでもあなたらしく、お元気で。
きっと偉大な経営者になられると信じています。

ありがとう。凪

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涙で視界がにじむのを感じながら、俊太郎は汗でびっしょり濡れた手で『女子力の呪い』のページをめくった。

その本は、こんな一文から始まっていた。



私たちには呪いがかけられている。

いつでもかわいらしく身ぎれいに、
だって「女の子なんだから」。
人の輪を乱さずに、まわりに気を配るの、
だって「女の子なんだから」。

でも、これってどこか違う。私は言いたい。

女の子である前に、私は私、だと-




253ページの本を一気に読み終えると、俊太郎は秘書に行き先も告げず、荷物も持たずにオフィスビルを飛び出した。


過去の傷を受け入れ、本を書き上げた凪。彼女の背中を押したのは“あの女”だった…?


-現在-

収録と打ち合わせを終えると、凪(33)はタクシーに乗り込み、代官山にある事務所兼自宅の住所を告げた。

車窓から山手通りを行き交う人々をぼんやり眺めながら、凪は思い出していた。“ある奇妙な女”の言葉を-




「全体的にすばらしいが、締めの一文が気に食わない。とりあえず飲みましょう」

その支離滅裂なリクエストを寄越してきたのは、凪が担当している経済誌のシリーズ連載『新時代の経営者に訊く!』で先日取材した、留美子という40代の女社長だった。

待ち合わせに指定された銀座8丁目の『ワインバー バトナージュ』の扉を開けると、真っ白なジャケットを着た派手な中年女が不敵な笑みを浮かべている。

席につくと、女はいきなり目の前にバサっとゲラ刷りの原稿を置いた。

「最高に良くできてる、あなた腕がいいね。でも締めの一文が最低。なんなの?

“私にとっては仕事が恋人ですから、彼女はそう言うと微笑んだ。美しい笑顔だった”って」

「…どこがお気に召さなかったんでしょう?」

「仕事は育て甲斐のある恋人、的なことは言ったかもしれないけど締めの一文にするほどでもないし、私はずーっと!美しい笑顔を浮かべてお・り・ま・し・た」

-なるほど、そういうことか…

「失礼しました。その方が読者の共感が得られるんです。成功した女性でも恋人がいないことをちょっと気にしている、といったストーリーが。でも」

仰る通りに書き直します、そう言って凪は頭を下げた。

「仰る通りに書くライターなんていらない」

返ってきたのは、思いもよらない一言だった。

「凪さんの書きたいことを、私の口を借りて表現しなさいよ。この締めの文だってね、あなたが本当に、心からこう思ってるなら何の文句もないっつーの」

留美子さんは凪の目をじっと見るとニヤリと微笑んだ。

「思ってないでしょ?恋人がいない女はダメだなんて」

心の底を見透かされたようで、思わず黙り込む。

「あなたならできる」

目の前のグラスが、赤ワインで満たされていく。

「言葉のプロなら言葉の力で呪いをとくのよ。この社会にかけられた、あなたが自分自身にかけている呪いを」

留美子さんはそう言うとかっこよくグラスをあおった-

はずだったが、そのワインは口から盛大にこぼれ、白いジャケットを真っ赤に染め上げた。

「ぎゃーっ!」

返り血を浴びた殺人鬼のような出で立ちで大騒ぎする奇妙な女を眺めながら、凪は心の中に小さな炎が生まれるのを感じた。

こんなことしてる場合じゃない。

書かなきゃ、私にしか書けないものを。


呪いをといた、女と男


「ただいま戻りましたー」

マンションの扉を開けると、食欲をそそるスパイシーな香りが凪の鼻をふんわりと刺激した。

「わあ、いい匂い。カレーですか?」
「残念。スペアリブ煮込みカレー風味です」

キッチンでは、エプロン姿の橋下俊太郎がストウブの大鍋と格闘していた。

彼と、この代官山の事務所兼住居で同居し始めてもうすぐ1年になる。

事務所の代表で世帯主は、凪だ。そして俊太郎は従業員であり同居人。家事の大半は彼が担っている。

ちなみに、言うまでもないが-

2人がキスをしたのは3年前のあの1回きりで、それ以降は適度な距離を保った「敬語の関係」を貫いている。

“女らしくない”女と、“男らしくない”男。

世間的に見れば奇妙な2人だが、この同居生活は、凪にとってはすこぶる快適だ。

「今日はね、サラダも自信作なんですよ!」

この表情を見る限り、おそらく、俊太郎にとっても。

Fin