日本人女性の11人に1人が発症する、30〜64歳の女性の死亡原因No.1は「乳がん」である。女性に多く発症するこの病を、家族として男はどう受け止め、対処すべきか。実際に乳がんと闘った生稲晃子(50)が治療体験を語る。

 2011年1月に受けた人間ドックの超音波検査で、再検査の通知があった。3月に病変部位に針を刺して細胞を吸引し、顕微鏡で細胞の性質を検査する「穿刺吸引細胞診」によって、悪性と告知される。

「8ミリと小さな腫瘍だったので、5月に乳房温存術(部分切除) を受けました。その後は、放射線治療とホルモン療法を始めて。放射線をあてた後は、肌が火傷のように赤くなって痛みがありますし、ホルモン療法も倦怠感などが辛かったです」

 治療をすれば治るものだと思っていたが、翌2012年の夏、右乳房にがんが再発。このときは9月に部分切除をしてすんだが、さらに翌2013年の11月、右乳房に再々発する。そしてその翌月、右乳房全摘の手術を受けた。

「治療をしているのに2回も再発したのは、ショックでした。先生からは、次に再発したら危険ですと、右胸の全摘手術をすすめられました。娘もまだ7歳だったので、成人するまでは死ぬわけにいかないと、全摘を決めました」

 覚悟はできていたはずなのに、胸がなくなると思うと、いろいろな思いがこみ上げた。

「45年間、ともに生きてきた体の一部なのに……と思ったら、右胸に申し訳なくって。手術の前日は右胸をずっとさわりながら、謝っていました」

 全摘術と同時に、乳房再建のために皮膚を伸ばす「エキスパンダー」挿入術も受けた。

「放射線治療で皮膚が硬くなってしまったため、強張っているような強い痛みが、3カ月以上続きました。普通は半年ぐらいで皮膚が伸びるそうですが、2年ほどかかりました。

 私のように放射線、再建と治療を受けると、同じような場合が多いと思います。でも、時間はかかっても再建の可能性があるんだと、伝えていきたいです」

 さらに2015年10月、再び右乳房再建手術を受ける。約5年間の闘病を支えたのは、夫の接し方だった。

「私ががんになった年に、主人の父が病気で亡くなりました。相当辛かったはずなのに、ふだんどおりに接してくれたのが、ありがたかった。今思うと、変わらない日常を送れることが、いいことなんじゃないかなって。

 もうひとつは、私が必要なんだと思わせてくれたこと。家庭でも仕事でも、自分が必要とされているという気持ちを持てたことで、治療も頑張れたと思います」

いくいなあきこ
1968年、東京都生まれ。「おニャン子クラブ」で活躍後、女優、リポーター、講演活動で活躍。『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系・水曜レギュラー)、『スイッチ!』(東海テレビ・火曜レギュラー)ほか。

衣装協力:ABRAHAM

(週刊FLASH 2018年11月6日号)