2018シーズンのスーパーGTシリーズ最終戦が11月10日、11日、栃木・ツインリンクもてぎで行なわれた。GT500クラスを制したのは、ナンバー8のARTA NSX-GT(野尻智紀/伊沢拓也)。第3戦の鈴鹿ラウンドに続き、今季2勝目をマークした。


初の栄光を手にして喜びながらコースを歩く山本尚貴と高橋国光総監督

 そしてこの日、最高のフィナーレを飾ったのは、ナンバー100のRAYBRIG NSX-GT(山本尚貴/ジェンソン・バトン)だ。見事3位に食い込み、シリーズチャンピオンを獲得したのである。ホンダ勢に8年ぶりの栄冠をもたらすとともに、チームクニミツにとっては参戦25年目で初のタイトル獲得となった。

 今年のホンダは、マシン内部を中心に大幅な見直しと改善を実施し、エンジンのパフォーマンス向上に力を入れてきた。その結果、ホンダ勢は開幕戦から躍進し、陣営全体で全8戦のうち6度のポールポジションを獲得。さらに、決勝でも4勝を挙げる圧倒的な強さをみせた。


 ランキング首位をキープしてきた100号車は、ナンバー1のKeePer TOM’S LC500(平川亮/ニック・キャシディ)と同点で最終戦を迎えた。「前でゴールしたほうがチャンピオン」という緊張のなか、今年のスーパーフォーミュラ王者に輝いた山本尚貴と、元F1王者のジェンソン・バトンが隙のない完璧なレース運びをみせ、1号車より1.8秒前でゴール。その瞬間、ホンダ陣営は歓喜に沸いた。

 ウイニングランを終えてパルクフェルメにマシンを止めたバトンに、喜びを爆発させた山本が駆け寄る。そんなふたりの横には、チームを率いる高橋国光総監督の姿があった。

 高橋総監督は、現役時代は2輪のグランプリライダーとして活躍。1961年には日本人として初めて世界GPレースで優勝を飾った。その後は4輪レーサーに転身し、1995年にはル・マン24時間レースでクラス優勝を飾るなど、数々の輝かしい成績を残したレジェンドである。

 全日本GT選手権(スーパーGTの前身)の初年度にあたる1994年から参戦を続けているチームクニミツは、これまで何度かチャンピオン争いに加わることもあった。だが、その度に一歩届かず、悔しい思いをしてきた。しかし、今年は8戦中6戦で、トップ5圏内でフィニッシュ。参戦25年目にして、悲願のシリーズチャンピオンを勝ち取った。

「ここにたどり着くまでに、けっこうな時間がかかりました。裏方を含めて、みんなががんばってくれた結果だと思います。ふたりのドライバーも、本当によくやってくれました」(高橋総監督)

 この25年間で、高橋総監督が手塩にかけて育ててきたドライバーは何人もいる。そのひとりが、14年ぶりに国内最高峰レース二冠という快挙を達成した山本尚貴だ。

 2010年、チームクニミツはドライバー体制を一新し、当時ホンダ陣営で頭角を現していた伊沢拓也をエースに起用した。そして、そのパートナーとして加入したのが、前年まで全日本F3選手権のNクラス(※)に参戦し、当時無名に近い存在だった山本だった。

※Nクラス=正式名称は「ナショナルクラス」。全日本F3選手権Cクラスとは異なり、エンジンのワンメイク化や旧型シャシー(車体)の使用義務があるなど、コスト抑制を重視したクラス。

「今にして思えば、F3から上がってきた無名のドライバーをよく起用してくれたと思います。本来なら、経験のあるドライバーを起用すれば、もっと勝ち星を挙げることができたかもしれません。そんな状況でも起用し続けてくれた国さん(高橋国光総監督)に、いつか恩返しができればなという気持ちで戦ってきました」

 今では「ホンダのエース」として周りから頼りにされるドライバーにまで成長した山本だが、彼も若手だったころは数多くの失敗をした。ただ、それに対して高橋総監督は怒ることなく、励ましの言葉をかけ続けてくれたのだという。山本はこう振り返る。

「一番覚えているのは、2012年の開幕戦・岡山です。最終ラップに入る前に逆転してトップに出て、あと1周逃げ切れば初優勝だったのですが、最後に詰めの甘さが出て(残り半周で)立川祐路選手に抜かれて2位で終わりました。

 普通だったら怒られて当然だし、プロの仕事ができなかったはずなのに、国さんは『ものすごくいいレースだった!』と褒めてくれました。あの瞬間が、今の自分につながっていると思います。

 あの時の『負け』を経験したことで、自分はさらに強くなることができた。あの時の『小さくならずに思いっきりいけ!』という国さんの言葉があったからこそ、僕もチャレンジする気持ちを忘れずにやってこられて、今のポジションがあるんだと思います」

 山本は2013年と2014年に別チームで走るも、2015年から再びチームクニミツに復帰。今では誰もが頼る「絶対的なエース」として存在感を示している。

「正直、こんなことを言ったら怒られちゃうかもしれませんが(笑)……山本選手が最初、チームに来た時は『純真な子ども』という感じでした。当時は私もいろいろアドバイスというか、自分の経験を話したりしたこともありましたね。

 でも、今はこちらから何も言うことはありません。自分で考えて、自分で動くようになっています。最近は私のほうが勉強になることがたくさんあるくらいです(笑)。彼は今、世界に通用する日本一のドライバーではないかと思います」

 そう語る高橋総監督の眼差しは、まるで子どもが1人前に成長していく姿を暖かく見守る父親のようだった。そして山本も、恩師である高橋総監督への感謝の気持ちを忘れない。

「国さんをはじめ、チームを長年サポートし続けているレイブリックにタイトルをもたらすことができた。ひとつ恩返しができたと思います」(山本)

『ジェンソン・バトンがフル参戦1年目でのチャンピオン獲得』
『山本尚貴の国内最高峰レース二冠達成』
『ホンダ8年ぶりのGT500年間王者』

 今年のスーパーGTの結末は、実に話題が多かった。だが、高橋総監督と山本にとっては、これらの見出しとは少し違う、特別な思いの詰まったチャンピオン獲得だったのではないだろうか。