日本企業が逆転敗訴した韓国最高裁の徴用工問題。日本では政界もメディアも日韓請求権協定を根拠に韓国批判の大合唱だ。しかし、国際的な司法の場では必ず日本が勝つとは限らないと橋下徹氏が懸念を示す。その理由とは? プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(11月13日配信)より、抜粋記事をお届けします――。

■徴用工判決「日本は全く悪くない」は本当なのか?

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Chris Ryan)

2018年10月30日、韓国大法院(最高裁)が日本にとって衝撃的な判決を下した。戦時中、日本企業で働いていた韓国人労働者が日本企業を訴えた件で、労働者の主張を認め、日本企業(新日鐵住金)に賠償命令を下したのだ。

労働者側は日本企業で強制的に働かされたと言い、日本政府や自民党は強制ではないと主張する。日本のメディアの多くでは「徴用工」という言葉を使っているが、これは強制的に働かされたことを意味するので、安倍晋三首相や日本政府そして自民党は「徴用工」という言葉を使わずに、「朝鮮半島労働者」と名付ける。強制ではないと強調したいのであろう。

しかし、労働者のことをどう呼ぶかはあまり問題ではない。というのも、慰安婦問題と異なり、戦時中、日本政府が組織的に強制労働を強いていた事実は存在する。慰安婦については、国際社会が指摘するような形で日本の政府や軍が組織的な人身売買行為を行った事実は存在しないが、労働の分野においては、韓国側が主張している規模ではないにしろ強制労働の事実は存在する。

政府という国家組織による強制性の事実が存在しない慰安婦問題と、強制性の事実が存在する強制労働問題は分けて考えなければならない。

日本政府による強制の事実が認められない慰安婦問題においては、国家組織としての強制性をきちんと否定する必要がある。しかしその慰安婦問題においてですら、今や「慰安婦は自主的な売春婦なんだから、放っておけばいい」と主張する者は、一部威勢のイイことを言うことに快感を覚えている政治家・インテリを除いて、もう存在しない。慰安婦=売春婦という言い方は、ごく少数の仲間内でいきり立っている者の言い方だ。そうであれば、政府による強制の事実が存在する労働問題で、殊更徴用=強制の事実を否定し、「労働者」と名付けることにはあまり意味がない。確かに今回の原告である韓国人労働者が、日本政府によって強制的に働かされていたかどうかについては疑義がある。しかしそのことを殊更強調すると、慰安婦を売春婦だと罵ってきた威勢のイイ政治家やインテリたちと同じ過ちを繰り返す。

慰安婦問題については、僕はこれまで散々論じてきたが、当時の日本軍の女性の人権蹂躙の状況がどうであったのかの事実の検証が重要であり、そのような状況は当時の世界各国の軍の状況と比べてどうだったのか? 日本軍だけが特殊だったのかという比較検証が必要であると考える。

それと同じく強制労働の問題でも、徴用=強制があったかどうかということよりも、問題となっている企業の当時の労働環境がどうであったのか、それは世界各国でのそれと比べてどうだったのか、日本だけが特殊だったのか、という比較検証が必要である。徴用=強制じゃないので日本は何も悪くない! と主張するだけでは、国際的な司法の場では赤っ恥をかく。問題となっている企業の当時の労働環境の検証と、世界各国でのそれとの比較検証を冷静に行わなければならない。

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■日本の悪い癖=法的な論戦で十分な備えをしないこと

安倍さんや日本政府は、国際司法裁判所に訴える意向も示している。

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僕が心配なのは、安倍さんや日本の国会議員、そして日本国民も、法的な論争では「日本が必ず勝つ」と信じ込んでいることだ。しかもその理由が「1965年の日韓請求権協定があるから」とバカの一つ覚えのように言うだけ。このような日本人の認識と態度振る舞いが、日韓関係をこじらせている大きな原因の一つにもなっていると思う。

僕も、1965年の日韓請求権協定によって、韓国人は日本企業に対してもはや請求はできないと考えるが、それはこれから述べるような複雑な論点について色々と考えた上でのことだ。1965年の日韓請求権協定によって韓国人は何も主張できないと単純に考えているわけではない。

日本の悪い癖は、法的な論戦になるときに、きちんとした備えをしないこと。最近では、クジラの調査捕鯨について、国際司法裁判所の場で必ず日本の主張が通ると高を括っていたら、なんと日本の主張は完全に排斥された。

法的な論争とはある種のケンカである。ケンカで勝つには、自分の強み、相手の弱みを知るだけでなく、「自分の弱み」「相手の強み」まで知った上で、準備をきっちりと行うことだ。自分の有利な点ばかり考える者は、ケンカに弱い。

今回の韓国大法院の判決について、日本に弱みは全くないのか、韓国に強みはないのか、ここをしっかりと検討した上で、日本の弱み、韓国の強みがあるならそれに対する備えをしなければならないのに、日本政府にも、国会議員にも、インテリたちにもそのような気配が全くない。「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済み。韓国は何の主張もできない」ということで、日本に弱みは全くない、韓国に強みは全くないと信じ込んでいる。この状態こそが危険なんだ。

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1965年の日韓請求権協定は、日本政府と韓国政府という国家間の和解。この和解に国民がどれだけ拘束されるかは、まずはその和解をやった政府が、どれだけ国民を代表しているかによって異なる。

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政府が国民を拘束できるのは、国民から代理権を与えられているからだ。これが民主国家の大原則。日本政府がやることに関して、賛否両論はあるし、むしろ腹立つことはいっぱいある。それでも日本国民が日本政府のやることを渋々了解するのは、日本政府が選挙を通じて国民を代表している政府であるという認識を持っているからだ。

では1965年当時の韓国政府はどうだったか? きちんと韓国国民を代表している政府と言えるのか。

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これは韓国側の事情であり、国際的に他国に対して堂々と強く言えるものではないかもしれないが、それでも1965年当時の韓国政府には、決して強固な民主的正統性があったわけではなかった。「1965年当時の韓国政府が韓国国民をきちんと代表していたかと言うと、必ずしもそうではなかった」。この点が、日本側の弱い部分の一つである。

一方、「1965年当時の韓国政府に民主的正統性が弱くても、一応政府は政府である。ゆえに韓国政府と日本政府の合意は有効であり、ある程度韓国国民を拘束する」と考えたとしよう。では、そのような政府の行為によって国民の財産や請求権を一方的に消滅させることができるのか?

ここは日本政府や国会議員、そして日本国民もきちんと頭の整理をしておかなければならない。

今の日本の論調は、1965年の日韓請求権協定によって、政府の請求権のみならず、国民の請求権も全てなくなったと解しているものがほとんどだ。

ところが話はそう簡単ではない。

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日本の最高裁は2007年に「平和条約によって個人の請求権が完全に消滅したものではない。しかし平和条約を締結した目的が無数の民事訴訟を回避するためにあると考えられるところ、裁判所を使って個人を救済することはできなくなった。原告(中国人労働者)が筆舌に尽くしがたい苦しみを味わわれたことは事実であり、被告企業は裁判所の手続き外において任意に誠実に対応することを期待する」と判決を下した。

つまり裁判所では救済できないものの、個人の請求権自体は完全には消滅していない。そうである以上、被告企業が裁判所外で誠実に対応することを期待する、という判断である。

これが日中共同宣言、日中平和条約によって「戦時中のことは全てチャラにする」としたことに関する法的解釈の現実である。しかも日本の最高裁の判断だ。単純に、個人の請求権は完全かつ最終的に消滅した、チャラになったというものではない。

日中共同宣言、日中平和条約があるから、あとは知らん! という対応を、日本の最高裁は取っていない。この判決を受けて被告の日本企業は原告たちと和解した。被告企業も、日中共同宣言、日中平和条約があるのに中国国民は訴えてきてけしからん、という態度は取っていないのである。

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(ここまでリード文を除き約3200字、メールマガジン全文は約1万1800字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.127(11月13日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【韓国徴用工問題(1)】日本には法的“ケンカ”の用意があるか? 安倍政権が見落としてはならない重要ポイント》特集です。

(前大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹 写真=iStock.com)