「追悼、スタン・リー:マーベルの隆盛を支えた男、その革新性と“裏”の顔」の写真・リンク付きの記事はこちら

マーベル・コミックの“顔”として知られるコミック原作者のスタン・リーが、11月12日(米国時間)にロサンジェルスで亡くなった。95歳だった。

“有名キャラクター”の突然の死は、さながらリー好みのストーリーのように降って湧いてきた。

「スタン・リーが死んだって? そんな! そんなはずはない!」

大いなる力には、大いなる責任が伴うであろうことを最初に理解した人物。ジャック・カービーやスティーヴ・ディッコといったコミックの巨匠とともに、アメコミのスーパーヒーローの世界の半分を根本から創造した、あるいは共同でつくりあげた人物。スパイダーマン、ファンタスティック・フォー、ハルク、アイアンマン、ブラックパンサー、ソー。数えればきりがないが、リーは間違いなくそれらを生み出してきたのだ。

関連記事:追悼、スティーヴ・ディッコ──正当に評価されなかった天才コミック作家

いまでこそ、興行収入トップ10のうち4つがマーベルのキャラクターに基づく作品になることもある。だが、リーがタイムリー・コミックス(のちにアトラス・コミックスとなり、そしてマーベル・コミックとなった)で仕事を始めた1940年の状況を思えば、いまのような状況は想像もできない。

そのころは「コミックブック」という概念が生まれてから、1年くらいしか経っていなかった。のちのDCコミックスでは、ボブ・ケインとビル・フィンガーが生み出したバットマンや、ジェリー・シーゲルとジョー・シャスターによるスーパーマンが、あらゆるメディアで注目され始めていたころだ。

「グラフィック・ノヴェル」なんて、まだなかった。人がいつごろから、静止画と吹き出しに入ったセリフ、そして擬音を組み合わせたかについては議論の余地があるだろう(4万年前に洞窟の壁に掘られたのか、あるいは1900年代初頭の新聞の漫画が最初なのか)。しかし、60年代にリーがマーベルを席巻するようになったときのことについては、争う余地はあるまい。

リーがヒーローに与えた「能力」

アメコミは当時、すでに一度は死んでから蘇っていた。50年代にはコミックが過剰に暴力的かつ同性愛的であるという論争が湧き起こり、不適切とされた要素が排除された。

そこでマーベルの宿敵であるDCは、死したヒーローであるフラッシュとグリーンランタンを遠い過去から生き返らせ、以前よりも現代的な衣装と原子力の時代にふさわしい科学的な力を与えた。同じようにすればいいと勧められたリーは、さらにキャラクターにスーパーパワーを加えることにした。それは「苦悩」である。

1/31978年5月、「スパイダーマン」の新聞漫画をチェックするスタン・リー。PHOTO: GERALD S. WILLIAMS/NEWSDAY:GETTY IMAGES 2/32017年6月に「スパイダーマン:ホームカミング」のプレミアに出席した際のスタン・リー。カメラの前で、クモの糸を放つポーズでおどけて見せた。PHOTO: TODD WILLIAMSON/GETTY IMAGES 3/3今年4月、「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」のプレミアに出席した際のスタン・リー。PHOTO: AXELLE/BAUER-GRIFFIN/FILMMAGIC/GETTY IMAGES

ハイアート(純粋芸術)とパルプ・フィクション(安っぽい作品)のどちらも好んでいたリーは、スーパーマンのようなヒーローは根本的に“退屈”であることを理解していた。ヒーローが傷ついたりしないとしたら、いったい何が難題だというのだろうか?

リーと共同制作者たちは、ヒーローに精神的な葛藤となり得るものを与えた。スパイダーマンはオタクでいじめられている少年だが、その強大な力を決して自分のために使ったり、個人的な復讐に使ったりはしない。誰かを救うためだけに使うという戒めを背負っていた。

ファンタスティック・フォーはチームであり家族である。彼らのひとりは、父親代わりである人物の科学への過信のおかげで、怪物のような姿に変わってしまった。X-メンは自ら制御できない生物学的な力のせいで、社会や両親からさえ憎まれ、恐れられている少年少女たちである。アイアンマンは、心臓を守る“鎧”を外すことのできない億万長者のプレイボーイである。これらは大衆的なパルプ・フィクションであると同時に、純粋なアートでもあるのだ。

終わりのない物語という発見

こうした作品にまみれるなかで、リーは柱となるメタファーを見つけだした。けばけばしいタイツに身を包んだ男女が殴り合うようなストーリーは、それだけでは終わらなかった。DCのヒーローは「神」にして支配者であり、自信に満ちた特権階級の白人たちだった。これに対してマーベルのヒーローは、社会から疎外された人々であり、偏見の犠牲者であり、スパイダーマンが放つどんな糸よりも強靭な道徳のしがらみにとらわれていた。

こうしたヒーローの存在は、同じような思いをしている人々の心に訴えかけるものがあった。リーやほかのマーベルの作家たちが、初のアフリカ系やアジア系のヒーローや強い女性ヒーローを生み出し、夏休みシーズン向けのクロスオーヴァー作品に何人も登場させられるほど揃えるよりも、ずっと前からだ。

2017年12月には「東京コミックコンベンション2017」(東京コミコン)に出席するために来日。スティーヴ・ウォズニアックとともにステージに立った。PHOTO: JUN SATO/WIREIMAGE/GETTY IMAGES

60年代にマーベルの人気が右肩上がりになり、そして作品が洗練されていくにつれ、リーは自分の物語には終わりが必要ないことに気づいた。悪役は正体を明らかにされ、マッド・サイエンティストの島の隠れ家は破壊され、変身するエイリアンは故郷の銀河へと大慌てで送り返されたが、ヒーローたちの根本的な個人的な問題は悪化していく。それは続きが気になる展開と、劇的な出来事の連続による潜在的に終わり得ない物語だったのである。

リーは連続ドラマの鍵を解き明かした。それが現在も続く永遠のフランチャイズ作品の礎となったのだ。リーなくしては、『ハリー・ポッター』も『スター・ウォーズ』もあり得なかった。

有名人の“裏”の顔

おそらくは、毎月の連載を大量に書かねばならない必要性から、リーは「マーベル・メソッド」として知られるようになる手法を生み出した。まず、リーが主要な要素を含む物語の短いあらすじを書き出す。それに沿ってアーティストが、吹き出しのスペースを空けたままストーリーを描いていく。続いてリーが、たいていはメロドラマのようなシェイクスピア風のセリフで吹き出しを埋めるのだ。

こうしたやり方は、実際のところ評判がよくはなかった。リーとカービーとの長年の協力関係が不仲によって解消されたのは、ふたりが一緒につくりあげた成果に対して、リーのほうが評価されすぎているとカービーが感じていたからだ。それは、もっともなことである。アーティストは単に絵を描くだけの存在ではないのだ。

そうは言っても、リーもただ書いて編集しているだけではなかった。彼はすべてのマーベル作品に掲載されていた毎月のコラムを執筆していた。そこで、おかしなファンたちを持ち上げたり、いかしたスーパーヒーローたちをからかったりしていたのだ。

彼はマーベルのファンクラブ「Merry Marvel Marching Society」の会員たちことを、「真の信者」と呼んだ。アーティストと作家は全員がニックネームをもらっていた(カービーは「ザ・キング」だった)。

リーときにライヴで登場したり、ナレーションをしたりもした。70年代にはX-メンの現代版が大ヒットし、その10年後には年齢がさらに上の読者層を狙ったシリアスでリアルなコミックが大人気を博した。その人気の一部は、リーと共著者たちが作品に盛り込んだもう少し大人向けのテーマによって実現されていた。

そのころには、リーは有名人になっていた。80年代、彼はスパイダーマンのアニメのナレーションをした。年老いてめったに執筆しなくなってからも、彼は多くのマーベル映画にカメオ出演した。ある年齢層のコミックファンにとって、リーの存在はコミックというメディアの「顔」そのものだった。

カービーがマーベルを去った理由

リーに向けられていた怒りをひと言でまとめると、当然のことながらカネだった。マーベルのために誰かが制作したものは、すべて職務上の著作とされた。リーはクリエイターと会社の顔という2つの役割を果たすことで稼いだが、ほかの作家やアーティストの手には入らなかったのである。

その結果としてカービーは激怒してマーベルを去り、DCに移ってしまった。のちに彼は、リーをモデルにした悪役を生み出すことになる。退屈で、うぬぼれていて、金に貪欲なファンキー・フラッシュマンである。スーパーヒーロー映画がアスガルド人を当惑させるほどの莫大な富を生み出している現在も、キャラクターを創造した人々は公正な報酬を求めて争っている。

ロサンジェルスにある「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」には、ファンからの多くの花などが供えられていた。PHOTO: AARONP/BAUER-GRIFFIN/GC IMAGES/GETTY IMAGES

晩年には、リーの創作活動によるアウトプットは、おそらく60年代や70年代には及ばなかったであろう。女優でモデルのパメラ・アンダーソンと協力してリーが生み出したキャラクターの「ストリッパレラ」は、ブラック・ウィドウのような持久力をもっていそうにはない。

リーはほかのエンターテインメント企業と協力関係にあったが、その一部とは金銭的・法的な争いをすることになった。彼は否定していたが、リーの世話人が彼を利用しているのではないかと、この1年ほど業界の人々が心配していた。

リーはあらゆる点で、彼が創造したキャラクターと同じくらい複雑だった。彼が創造したというよりも、共同制作した、あるいは制作の現場にいた、とでも言うべきだろうか。彼の独創性やアイデアは、20世紀と21世紀のポップカルチャーに神秘的な領域を生み出し、オタク世代の人々に責任や道徳、愛について教えた。

そんなリーの死はある意味、彼自身がコミックのキャラクターのために書いたであろう“死”よりも永遠ではありえない。なぜなら彼が始めた物語は、すべて永遠に続いていくのだから。