日本において、「雑音」や「異音」に対する寛容性は明らかに低下している(写真:Olmarmar/iStock)

ある商店街の総菜屋の入り口の目立つところに張り紙があり、こう書いてあった。

「2階席でお子様が泣いてしまうと、ほかのお客様から『ゆっくり食事ができない』との意見を頂戴します。申し訳ございませんが、未就学のお子様の2階席へのご入店をお断りさせていただくことといたしました。ご理解、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます」


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2階は、1階で売っている総菜を座って食べられるレストラン形式となっている。といっても、客の平均単価はお酒など頼まなければ、1000円にも届かないだろう。カジュアルなイートインといった雰囲気だ。大人がゆっくり優雅に食事を楽しむようなところでもない。ちょっと小腹がすいた忙しい子育て中のお母さんが立ち寄って、ささっと食べるには便利そうな場所なので、「子連れのお客様はお断り」という、しゃくし定規で冷たい対応に驚いた。

店員になぜ、こういう張り紙をするようになったのかその経緯を聞いてみたが、「わからない」という返事だった。店の雰囲気からして、赤ちゃん連れの母親が集まって、おしゃべりをするような感じの場所でもない。この文面を見ると、たまたま客が、泣く赤ん坊に出くわし、腹を立てて文句を言った、という感じなのだろう。何人の客が文句を言ったかもわからない。

騒音の苦情騒動が増えている

赤ん坊の泣き声や子どもの騒音がうるさい。都会の密集地のマンションなどで、そういった苦情騒動は増えている。全国の地方公共団体の相談窓口に寄せられた苦情に基づく公害等調整委員会の平成28年度の調査では、大気汚染など「典型7公害」のうち、騒音が32.8%と最も多かった。

この背景には、日常生活で発生する物音が騒音ととられるケースも増えていることもある。都会ではマンションやアパートなど、多くの世帯が近接して生活することも多く、物音が気になりやすい。最近では、他人が発する音を異常に嫌がるmisophonia(ミソフォニア=音嫌悪症候群)という症状があることもわかってきた。

人が食べ物をクチャクチャとかむ音、人の息遣い、ヘッドホンの漏れ音など特定の音に敏感になり、どうしても耐えられないという症状で、赤ちゃんの泣き声や子どもの声などを極端に嫌悪する人もいるという。もちろん赤ちゃんの泣き声は、そういった症状のない普通の人にとっても、心地よいものではないが、特にセンシティブな人もいるということだ。

人と人とのつながりの希薄化も影響している。地域の結び付き、近所付き合いなどが少なくなるにつれ、これまでは日常に存在していた生活の音が不快になったりするということもあるだろう。かつては、路地や町中にあふれていた子どもたちの笑い声や叫び声も、少子化に伴って少なくなり、それが、つねに身の回りにある音ではなくなった。保育園などの建築への反対運動や、現在ある保育所や幼稚園など学校への苦情といったケースは後を絶たない。子どもの声を「騒音」ととらえる国で、少子化が進むのはやむをえない話ではないだろうか。

「人の雑音」に対しての許容度

特に日本は、そうした「人の雑音」に対して、許容度が低いところがあるように感じる。たとえば海外では、公共交通機関内での携帯電話の使用に目くじらを立てられることはない。狭い空間の中でも平気で大声で話し、お構いなしだ。

さらに特殊なのがエレベーターだ。あの中での私語がマナー違反だということになったのは、ここ十数年のことだろうか。最初は、会社の情報が社外の人に聞こえることが問題なので、仕事の話はしないように、ということなのかと思っていたが、私語そのものが、他人にとっては迷惑という解釈のようだ。かつて聞かれたような「おはようございます。どうだった、昨日は?」「いやあ、飲みすぎちゃいまして」なんていう会話はもう、はるか昔の思い出だ。一方、海外で、エレベーターが「私語禁止の空間」などといった認識はあまりない。

こうした「私語」に対するアレルギー反応は、オフィスにまで広がっている印象もある。先日、以前働いていた新聞社を訪ねたが、建て替えで今はやりの「オープンオフィス」構造になっていた。ワンフロアまるごと仕切りがなく、はるか遠くまで見渡せる。驚くのは、恐ろしいほど、物音がしないことだ。吹き抜けになっているので、階下の物音まで聞こえてきそうなほどの静寂だ。

社員同士のコミュニケーションを促進するとして、アメリカなどでも急激に導入が進んだ、仕切りのない「オープンオフィス」。これが実は生産性を下げるという研究結果が最近、話題になった。今年の7月に、ハーバード大学の研究者が発表したもので、職場の物理的な障壁をなくすとコミュニケーションや集合知が生まれにくくなることが明らかになった。ある企業で、オフィスを従来型からオープン型に変更したところ、社員同士が対面でコミュニケーションする時間は70パーセントも減った一方で、電子メールの量は22〜50パーセント増加したという。企業としての生産性も低下するという意外な結果を招いた。

筆者も以前勤めていたPR会社が移転して、オープンスペースのフロアになった経験があるが、部署ごとに部屋が分かれていたときのほうが、部内では話しやすかった印象がある。空間が広がったからといって、部署を超えたコミュニケーションが活発になった感じもなく、むしろ、どこまでが同じ部なのかがわからなくなり、部内の結束まで弱まった感じがした。

つねに人に見られ、プライバシーのない状態が、社員にストレスを与えると同時に、コミュニケーションを促進するどころか、阻害している。これは、皮肉なことだが、日本の「孤独」の構造と非常に似通ったところがある。日本の社会や会社という抑圧的で、同調的・衆人環視な環境に身を置くと、ストレスを感じ、人とのかかわりそのものから逃れたいと感じる。

「個」としてのプライバシーが確立されていれば、自発的につながりを作ることに喜びを感じ、「個」と「集団」の時間の上手なバランスをとろうとするが、つねに「個」のない状態に置かれると、「集団」そのものから逃れたいという意識が先に立ち、結果的に、孤立しやすい。個の自立、つまり、「個独」がない状態に置かれるほど、「孤独」になりやすいということだ。

希薄になりがちな人間関係

そもそも、日本では「私語」が生産性の敵のように考えられているような印象があるが、何げない会話が実は、創造性の源泉、という考え方もある。ミシガン大学の研究では、10分の和やかでフレンドリーな会話は脳を活性化し、集中力や決断力、問題解決力を高める結果になったという。反対に、お互いの優位性を競い合うような内容の会話には何の効果もなかった。

日本では職場のおしゃべりを不快に思う人も多いようで、ネット上でもそういった不満の声が多い。確かに、始終おしゃべりばかりしている社員を不愉快に感じることはあるだろう。しかし、単なるおしゃべりが、職場によっては、「ブレスト」にもなりうるわけで、多分野の知見が入り混じることで新しいイノベーションも生まれる。人とのちょっとしたおしゃべりの中で、ビジネスのヒントを得ることも多い。

日本の職場では、言葉のやり取りがセクハラ、パワハラととられかねないと、コミュニケーション恐怖症になっているきらいもあり、「飲みにケーション」もままならず、職場の人間関係も希薄になりがちだ。人に不快を与える「私語」は控えるべきだが、職場に空気を通すための「会話」は必要だろう。

結局は、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。ゼロか1ということではなく、バランスなのだろうが、日本において、「雑音」や「異音」に対する寛容性は明らかに低下している。その一方で、外国人労働者受け入れ、訪日外国人観光客の増加、職場のグローバル化など、急速に日本も「多様性」を帯びつつあり、「価値観の多様化と対立」の時代に、もはや万人が納得する「絶対解」などない。

「異質」なものを見せつけられ、聞かされる日常にざわざわし、怒りを蓄積していくのか、「誰もが違う価値観を持っているもの」と受け入れていくのか、そのせめぎ合いになっていくであろう。人や自分と折り合うことで最適解を求め続けていくしかないということだ。