突如僕の人生に現れた黒髪の美女・ひとみ。僕はその美貌と清楚な雰囲気に夢中になったけれど、実態は異常な女だった。

ひとみによって巻き起こされるトラブルを解決してくれた、昔からの女友達・雅子と結婚したのにも関わらず、ずっとずっと僕の人生に付きまとってくる。

でも。

新居にも押しかけ、狂った小包を送りつけてきたひとみのことを…

僕は何故だか見捨てることが出来ず、それが、さらに恐ろしい事態を引き起こしていた。

ついに、妊娠中の雅子のもとに突然押し掛けたひとみ。それは警察沙汰へと発展し、ようやくひとみはユウキの前から姿を消した。

そしてその頃、ユウキと雅子の夫婦間にも変化が訪れていた。




雅子:「私は、本当に幸福な妊婦だ」。


「順調ですよ」

女医さんがモニターを見ながら、ニッコリと微笑む。そこには、お腹の中で元気に成長している赤ちゃんの姿が映し出されていた。

妊婦の私の体重は5キロほど増えてはいるが、幸運なことにそう重いつわりはない。このままいけば無事に安定期を迎えるだろう。精神的なストレスや引越しの疲れを物ともせずにたくましく育つ我が子が誇らしかった。

「女の子かなぁ…」

思わずそう呟く私を見て、先生は、さぁどうでしょうねぇ?と優しく対応する。

こんな場面を切り取ってみたら、誰もが私を幸福な妊婦だと思うだろう。

私の体には大きなトラブルがなく、順調に育つ我が子を確認できている。

これ以上を望んでは、バチがあたるほどの幸せだ。

世の中には、金銭的に困窮している母親や、様々な不安を抱えてお産に挑まなければならない母親も沢山いるというのに。

私はいつの間にか、意識的に自分よりも恵まれない人の立場に想いを馳せることで、自分の精神のバランスを保つようになっていった。

ごく小さい頃にもそうした時期があったことを、思い出しながら。


雅子の恵まれない幼少期。彼女があの時ドアを開けてしまった本当の理由とは?


あの子の気持ちがわかる気がした


私の両親は共働きだった。

ユウキの実家のように裕福ではなかったけれど、洋服や靴は沢山あったし、食べるのにも困らなかった。

でも、小学校へ上がる頃に、母親が夜遅くまで家に帰ってこないことは当たり前ではないと気がついてしまう。

学校でみんなの話を聞いて、母親というのは子供と一緒におやつを作ったりご飯を食べたりするということに、心底驚いたのだ。

記憶の限り、私は6歳の時にはすでに1人で夕ご飯を食べていたように思う。

毎日毎日、スカートのポケットに鍵を入れて、無くさないように登校した。学童保育から帰宅してからの膨大な1人時間を潰すために、家中の本を読む日々。

その頃は、特に”マッチ売りの少女”が好きだった。私はこの子と違って裸足じゃないし、お母さんは生きていて、空腹で仕方がないこともない。学校の友達は羨ましいけれど、この子よりはマシだと思えたからだ。

そしてお腹が空いたら用意してあった夕ご飯を食べて、布団に入って寝る。でも、母が帰ってくる音がするまでは寝付けなかった。

寂しさのあまり、私はいつも布団の中で泣いていた。早く、早くお母さんが帰って来ればいいのにと祈りながら。

私は布団の中で、ドアが開くのを、ガチャリというあのドアの音が鳴るのを、いつも待ち望んでいたのだ。




ある晩、あまりにも母の帰りが遅くて、堪えきれずにその日学校の友達から聞いた警察の番号に電話したことがある。

「お母さんが、帰ってきません」

今思えば、他にいくらでも方法があっただろうに、私は仕事で忙しそうにしている母に直接訴えることが出来なかったのだ。

結果大騒動になり、多忙だった父は母が私に1人で夕飯を食べさせていることを知らなかったと言い、結局母は仕事を変えて前よりも家にいてくれるようになった。

幼いながらに、これでお母さんがずっとそばにいてくれる、と安心したことを覚えている。

けれど仕事を変えてからも忙しいことに変わりはなく、本心から母に甘えた記憶はあまりない。

あの時。

ドアの向こうでシクシクと泣き始めたひとみの母親の話を聞いて、私はつい幼い頃の自分とひとみを重ね合わせてしまったのだろうか。寂しかった、少女時代の悲しい記憶のせいで。

でも世の中には、自分よりももっと大変な境遇で育った子もいる。

私なんかは、まだマシな方だ。

衣食住は与えられ、虐待されていたわけでもなく、教育にはお金をかけてもらえたし、今でも普通に話す間柄なのだから。

私の人生はまだマシな方だ。

いくら夫が、あんな風になってしまったとはいえー。


事件の後、ユウキはどうなってしまったのか?


それでも人生は続く


「雅子さん、何か不自由はないかしら?足りないものはない?何か困ったことがあったらいつでも言ってちょうだい。主人からも、くれぐれもよろしくと言われているから。赤ちゃんのものも一緒に買いにも行きたいけれど、自分で欲しいものを選びたいなら遠慮なく教えてね」

「お義母さん、ありがとうございます。まだ性別がわからないので何とも言えませんが、必要なものがわかったら、またこちらからお願いの電話をさせていただきます」

電話を切って、確信した。ほうら、私は恵まれている。

世の中に、こんなに物分りの良い義母がいるだろうか。実の母よりも頻繁に、そして絶妙な距離感で妊婦の私を気にかけてくれるお義母さん。

ユウキの本当の母親が家を出て行ったあと、後妻として堂島の家に入ったお義母さんには、子供が出来なかったようだ。ユウキの兄はまだお部屋にこもっているし、今やユウキも…。

血の繋がりがないとはいえ、新しく産まれる子供の誕生が楽しみで仕方ないのだろう。

それに、義父の頼りになることと言ったらどうだろう。

事件のあった池袋のマンションをさっと売却し、今度は目白にマンションを購入してくれたのだ。

子供が生まれるからと、安全で、住民の質が良いと評判の地域に、広めの3LDKの部屋を見つけてくれた。

夫婦2人には贅沢過ぎる間取りと内装で、キッチンで料理をするたび思わず鼻歌が出てしまう。

だが、その広い間取りがたたったのか…。

ユウキは1日のうちの大半を自分の部屋で過ごすようになった。




16帖の広いリビングに個室が3つ。夫婦の寝室、未来の子供部屋、そしてユウキの書斎。

あの事件があってからというもの、ユウキは五反田の事務所に行くことが出来なくなり、引っ越しを機に自宅に事務スペースを設けたものの、今度は家の外に出ることが出来なくなった。

会社勤めではないといっても、家の中だけで全ての業務が完結するわけではもちろんない。外の人間と話すことが出来なくなったユウキのフォローをしているうちに、義父は子育てが落ち着いたら私に色々と任せたい、というようなことを会話に出すようになった。

とはいえ、ユウキはお兄さんのように完全に部屋に引きこもっているわけではない。

私の作るご飯は食べるし、会話だってする。しかし、私と話しながらもいつも違うことを考えているのか、心ここにあらずという感じがする。

一体ユウキは何を考えているのか気がかりだけど、それでも唯一の救いは、彼が家にこもるようになった今でも、怒ったり感情を放出させることは決してなく、穏やかで優しい性格のままだということだ。

だから、暴力的な夫がいる人や、借金まみれの夫がいる人に比べたら、私の人生は随分と幸せだと思う。彼はきっと、優しいお父さんになるだろう。

私の人生は、十分すぎるほど、幸せだと思う。

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次週、最終回。異常な女によって人生を掻き回された男の結末は?そして、ひとみはどうなったのか…?