クローン病を宣告した医師からは、「人生の半分を損したと思うかもしれない」という独特の表現で覚悟を促された(編集部撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは「1年契約の嘱託社員で、持病の難病が悪化し長期間の休職になると、会社規定で自然退職扱いになり、現在とても不安です」と編集部にメールをくれた、難病を患う41歳の独身男性だ。

アイスコーヒーのグラスが汗をかいている。クローン病を患うワタルさん(41歳、仮名)は普段、消化管に刺激を与える冷たいものは飲まない。しかし、今年の夏はあまりに暑かった。体調を崩して会社を休職中、上司から駅前のコーヒー店に呼び出されたとき、思わずアイスコーヒーを注文した。


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冷たい飲み物を頼むなんて、初めてじゃないだろうか。そう思った矢先、上司が切り出してきたのは、ワタルさんがこれまで、いくつもの会社から告げられてきたことと同じ話――。退職勧奨だった。

「このままだと、復職は難しそうですね。(就業規則で)休職できる期間が決まっていてね。その期限を過ぎると、自然退職になるんですよ。復職できるかって? 産業医の意見を基に、会社が判断するので……。最悪、復職不可、ということもあります」

「ああ、やっぱり、治らない病気なんだ」

クローン病とは、口腔から肛門まで、消化管のいたるところに、慢性的に炎症や潰瘍が生じる病気である。国による指定難病のひとつ。腹痛や下痢、下血、口内炎、発熱、倦怠感といった症状のほか、腸管が狭くなったり、穴が開いたりといった合併症を伴うこともある。症状はよくなったり(寛解)、悪くなったり(再燃)を繰り返し、完治は難しいとされる。

ワタルさんが発症したのは、高校生のとき。その後、20代半ばで、クローン病と診断された。このとき、宣告した医師からは「人生の半分を損したと思うかもしれない」という独特の表現で覚悟を促された。

すでに何度も再燃を経験していたワタルさんは「ああ、やっぱり、治らない病気なんだと思っただけ。落胆もしなかったけど、希望もありませんでした」という。

クローン病の症状には個人差がある。

ワタルさんの場合は、40度近い熱や腹痛、嘔吐、下血、貧血などに見舞われる。トイレは1日10回以上。肉類や脂質を避けるなど普段からの食事制限も欠かせない。1年に1回は入院が必要で、すでに人工肛門を造設、腸管の一部を切除する手術を受けた。ただ、寛解期には、支障なく、普通に働くことができるという。

病気が再燃するたびに退職を余儀なくされてきた

ゴールのない闘病生活は過酷だが、だが、それ以上にワタルさんが不満に思っていることは、これまで、どこに勤めても、病気が再燃するたびに退職を余儀なくされてきたことだ。

高校を卒業後、いったんは正社員として自動車工場に就職した。しかし、働き始めてから数週間経ったころに体調が悪化。休憩時間内にトイレを済ませることができなくなったほか、立ち作業をしていると貧血でふらつくようになった。

やむをえず会社を休み、自宅にいたとき、人事担当者から電話があり、こう言われた。

「申し訳ないんだけど、採用から3カ月は試用期間なので。辞表を書いていただけますか」

結局1カ月足らずで退職。ワタルさんは求められるままに辞表を書きながらも、心の中では「こんなに簡単にクビになるなんて」と納得できなかったという。

会社側、働き手側ともに誤解されがちなことだが、長期雇用を前提とした試用期間は、単なる“お試し期間”ではない。たとえ試用期間であっても、「社会通念上合理的な理由」がなければ、解雇はできない。

ワタルさんは退職勧奨に応じた形なので、正確には解雇ではない。ただ、激しい腹痛にさいなまれる中で、上司の提案を拒むことは難しかった。彼にとって、会社側の振る舞いは、事実上のクビ宣告だったろう。

一般的に、病気のせいで業務に耐えられないと会社が判断した場合、解雇できるケースもある。ただ、その場合も、会社側はできるかぎり、復職の道を探るべきだし、少なくとも就業規則に解雇事由を明記し、解雇予告など手続きを経なくてはならない。

厚生労働省が策定するガイドラインも、がんや難病などの疾病を抱えた労働者が働き続けることを前提としている。失業が働き手にとって死活問題である以上、企業側も相応の責任を果たすのは当然のことだ。採用から1カ月足らずの退職勧奨は、十分な配慮がなされたとは言いがたい。

「当時は就職氷河期で、正社員の仕事を新たに見つけるのは難しいとわかっていたので、できれば辞表は書きたくなかった」

ワタルさんの予想どおり、その後の就職活動は難航した。さらに、何とか仕事を見つけても、体調が悪化するたびに退職を促された。これまで10回以上、転職を繰り返した。いずれも数カ月から1年契約の非正規雇用で、勤続期間は1〜3年ほど。「面接だけで何百回。履歴書を出した数は、もう数えきれません」という。

ワタルさんが取材のために持参してくれた「職務経歴書」には、就労と就労の間に、「病気療養のため退社」という文言が散見された。

病気で会社を休むと、程なくして上司から連絡が来て、こう言われるのだという。「治療に専念したほうがいいんじゃない?」「休職できる期間は決まっているから」――。表現こそまちまちだが、要は「辞めてくれないか」ということだ。

ハローワークの窓口でも病気への理解は乏しい

ワタルさんは、世間はクローン病への理解が乏しい、という。ハローワークの窓口で「元気そうに見えますけど、なんで辞められたんですか?」「働く意思はあるんですか?」などと聞かれたこともあった。同じ病気を患う知り合いの中には、会社の面接時、「その病気はうつるんですか?」と尋ねられた人もいたという。


ヘルプマークを身に着けていても、電車内などで席を譲られたことは一度もない(編集部撮影)

また、普段から、難病や人工関節といった、外からはわかりづらい障害があることを伝えるための「ヘルプマーク」というバッジを身に着けているが、電車内などで席を譲られたことは一度もない。赤地に白色の十字とハートのデザインのバッジは、全国の自治体で普及が進む一方で、認知度は低いという。

クローン病というだけでは、障害者手帳がもらえず、当初は障害者雇用枠での就業支援も受けられなかったこと。人工肛門の造設後は、障害者手帳4級となったものの、障害年金は支給の対象外であること。医療費助成はあるが、収入があるときは毎月5000〜1万円ほど自己負担しなくてはならないこと。細切れ雇用なので基本、厚生年金に入ることはできないこと――。

医療や福祉制度への不満を上げればきりがない。一方で、ワタルさんにとって切実な希望は「働き続けたい」。これに尽きるという。

寛解期には普通に働くことができる。にもかかわらず、再燃するたびにキャリアや人間関係を断ち切られ、再び職探しを強いられる――。「いつ体調が悪化するのか、いつも不安でたまらない」とワタルさんは言う。

風疹が流行している、という理由で、ワタルさんは話をするときもマスクをつけたままだった。このため、その声は少し聞き取りづらかった。それでも、ぼそぼそとした口調で懸命にこう訴えてくるのだ。

「憲法は、勤労は義務だっていってます。共生社会、バリアフリーという言葉だってありますよね。『辞めてくれ』と言われるのは、もううんざりなんです。どうして、誰も『どうしたら働き続けられる?』と聞いてくれないのか。

今まで、欲しいものも、やりたいことも、家族を持つことも、たくさんのことをあきらめてきました。これじゃあ何のために生きているのかわからない。やりがいのある仕事を続けたい、ただそれだけなんです」

話を聞く中で、ワタルさんは、何度も自分のことを「員数外」といった。半人前、存在価値のない人間という意味だ。「社会から見捨てられていると感じます」という。

働き続けるには、無理をするしかない

ワタルさんは、今夏の退職勧奨を受け入れたのだろうか。

このときの勤務先は、障害がある人の就労にも力を入れているという、民間の人材紹介会社を通して見つけた仕事で、法律に基づく障害者雇用枠での採用だった。難病治療にも理解があると思っていたのに、退職勧奨を受けたのは、勤続からわずか1年ほど、休職から2カ月を過ぎたころのことだった。

毎月の手取り額は約19万円。両親の持ち家に同居しているワタルさんにとっては、何とか暮らしていける水準である。一方で、障害者雇用にはさまざまな助成制度もあるので、会社側の負担はさほど大きくないはずだと、ワタルさんは言う。

結局、ワタルさんは復職を希望、幸い産業医からの許可も出た。しかし、体調が完全に回復する前に復帰したので、朝晩の通勤ラッシュが、これまでになく体にこたえる。また、復職後は、上司から残業を求められても、断らないようにしているという。

「休職期間は通算5カ月と言われたので、できるだけ残しておきたかったんです。会社の評価が気になるので、残業も断れません。(再燃期の)疲れやすさは、この病気になった人でないとわからないと思うのですが、最近は完全にオーバーワークです。でも、働き続けるには、無理をするしかない」

ワタルさんの雇用は、首の皮一枚でつながったにすぎない。再燃を繰り返すクローン病の特徴を考えると、近い将来、休職期間切れで自然退職となる可能性は大いにある。

ワタルさんの幼いころの夢は、パイロットになることだった。しかし、今、将来について考えることといえば、「いつ治療をやめようかな」ということだという。

治療の中断――。それは「緩やかな死」を意味する。

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