あの「競艇少年」が15年の時を経てプロデビュー戦を迎える(数原魁選手)

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 局長・西田敏行が号泣した物語が現実となった──。関西で人気のバラエティ番組『探偵ナイトスクープ!』(朝日放送)で15年前に「天才競艇少年」と紹介された6歳の少年が、プロのボートレーサー(競艇選手)としてデビューする。

 ボートレースの数原魁(かい)選手(21)が11月8日に尼崎競艇場でデビュー戦を迎える。生家の近くに尼崎競艇場があり、幼くして競艇に魅せられた数原少年は、2003年『探偵ナイトスクープ!』に「ボートに乗ってモンキーターンがしたい」と依頼し、同番組に採用された(放送日は同年6月13日)。

 当時ディレクターだった朝日放送の梶原英明氏はこう振り返る。

「彼と会ってその知識と情熱が伝わり、僕らもおもちゃのボートに乗せてお茶を濁すのではなく、ちゃんとした本物のボート、本当の会場(尼崎競艇場)で、レース形式でやろうということになりました」

 数原少年がやりたいと依頼した「モンキーターン」とは、競艇でコーナーを回る際の高等テクニック。高速で旋回する艇上で立ち上がって外側に体重を移動させる動作が枝の上に立つ猿の姿に似ていることに由来する。転覆の可能性もあり、時速80km超で走るボートの上で立ち上がることは、かなり恐怖を覚える操縦である。

 当時、安全上の問題から「子供が乗るのは難しい」と競艇場職員は難色を示したが、数原少年は「写真を見ただけで選手名をフルネームで言える」と “競艇愛”を猛アピール。尼崎競艇場の競技委員長に直接掛け合い、「教官のOKが出れば」という条件を引き出した。

 その後、教官2人が競艇の基礎知識について講義しようとすると、数原少年は「知ってる」と先回りして解説をする。さらに「まくり」や「差し」といったレース展開についても詳しく話し始め、教官たちもその知識量に舌を巻き、ついにモンキーターンの許可が下りたのだった。

 本番までの1週間、数原少年は自宅でレース映像を見ながら、タイミングよく立ち上がる練習を繰り返した。当日は2人乗りボートの前に数原少年が乗り、競艇選手が後ろで操縦。他の競艇選手が操作する2梃とレースし、実際のレースと同じく実況も行なわれた。前出・梶原氏が語る。

「撮影本番で立てなかった場合でも、そのまま放送するつもりだったので、数原くんには『一発勝負やからな』と説明していました。普段は手持ちカメラだけでロケをするのですが、モンキーターンをする瞬間に腰を上げるところをアップで撮影したかったので、スーパースローカメラもセット。中継車を含め100万円くらい経費がかかりました。『たった数秒のためにそこまで要るか?』と上司に難色を示されましたが、説き伏せました」

 本番では、後ろの選手が『モンキーターン!』と声をかけると同時に数原少年はしっかり立ち上がり、その雄姿もスローカメラで鮮明に捉えられていた。レースも1着になり、局長を務める西田敏行もスタジオでVTRを見た後、涙をハンカチで拭いながら『大感動や』『素晴らしいね』と絶賛した。

 あれから15年、デビュー直前の数原選手に当時の思い出を聞いた。

「怖かったという記憶はないですが、エンジン音がすごく大きくて『こんなに大きな音なんや』という印象は強く残っています。周りから聞いた話では、撮影が終わった後も『楽しかった』と繰り返し喜んでいたそうです」

 来たるプロデビュー当日、数原選手には“奇跡”が待っていた。何と8日のレースには、15年前の撮影時に同乗し、後ろで操縦してくれた水野要選手(64)も出走することになったのだ。「師弟対決」を前に、数原選手が語る。

「まだプロになる前に水野さんから『はよう(プロの試験に)受からんと(俺は)辞めるぞ、待たれへんぞ』と言われ、合格した際も電話で『おめでとう、良かったな』と声をかけていただきました。競艇選手になるきっかけの選手でもあり、本当に感謝しています」

 競艇の世界では地元の先輩選手に指導を受ける「師弟関係」があるが、水野選手からは「(年齢的に)俺は無理やぞ」と言われているという。幼い頃に手ほどきを受けた「師匠」に向けて数原選手はこう話す。

「水野さんに『1人でもモンキーターンができるようになりましたよ』というところを見せて恩返しをしたい。選手として勝ちにこだわりたいですね。『ナイトスクープ』では僕が夢をかなえていただきましたが、今度は僕が子供たちに夢を与えるような選手になりたい」

 15年の時を経た師弟対決の結果はいかに。

●取材・文/白石義行(ジャーナリスト)