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「トヨタ車」が1台売れたとき、かわりに売れなくなったモノはなにか。多くの人は「ホンダ車」などのクルマを思い浮かべるが、これは正しくない。クルマを買わなければ、旅行や外食などに消費したかもしれないからだ。これを行動経済学で「機会費用」という。私たちが無視しがちな「機会費用」の中身を解説しよう――。(第2回)

※本稿は、ダン・アリエリー(著)、ジェフ・クライスラー(著)、櫻井祐子(訳)『アリエリー教授の「行動経済学」入門 お金篇』(早川書房)の第2章を再編集したものです。

■失われた機会

なぜお金に関する決定は複雑になるのか? それは機会費用のせいだ。

汎用性と分割可能性、貯蔵可能性、代替可能性、そしてとくに公共財というお金の特性を考えると、お金を使えば、ほとんどなんでもできることがわかる。だが、ほとんどなんでもできるからといって、なにからなにまでやるわけにはいかない。選択が必要だ。なにかを犠牲にし、やらないことを選ばなくてはならない。つまり私たちはお金を使うたびに、意識的にであろうとなかろうと、機会費用について必ず考えなくてはならないということだ。

機会費用とは代替案だ。なにかをするために、今または未来にあきらめることになるものごと、つまり選択を行うときに私たちが犠牲にする機会のことだ。

機会費用についてはこんなふうに考えるべきだ。あるものにお金を使えば、そのお金は今もこの先も、ほかのなにかに使うことはできない。この世にリンゴとオレンジの二種類の品しかないとすれば、リンゴを買うことの機会費用はオレンジをあきらめることで、オレンジを買うことの機会費用はリンゴをあきらめることだ。

■いまお金を使うことで何を諦めることになるか

機会費用がどれほど重要か、しかしなぜ十分考慮されていないのかをよく理解するために、こんな例を考えてみよう。あなたは毎週月曜日に500ドル与えられ、一週間そのお金だけでやりくりするものとする。週初は自分の決定がおよぼす影響なんて考えない。夕飯を買い、一杯やり、目をつけていたすてきなシャツを買うとき、自分がなにをあきらめることになるかを自覚していない。

でも500ドルあったお金が減っていき、金曜になって43ドルしか残っていないことに気づく。そのとき初めて機会費用というものが存在することや、週初の出費が今の残金に影響をおよぼしていることを痛感するのだ。夕飯やお酒、おしゃれなシャツにお金を使うという、月曜の決定のせいで、日曜には難しい選択を迫られる。新聞とクリームチーズベーグルのどちらか一方は買えるが、両方は買えない。

月曜にも機会費用を考えるべきだったが、あのときはよくわかっていなかった。そしてようやく機会費用を理解するようになった日曜には、もう手遅れだ(よいほうに考えれば、ぺたんこのお腹で新聞のスポーツ欄を読んだほうがかっこよく見えるが)。

というわけで、機会費用とは、お金に関する決定を下すときに必ず考えなくてはならないことだ。今お金を使うという選択によって、どんなものごとをあきらめることになるのかを考える必要がある。なのにほとんどの人が機会費用を十分に、またはまったく考えない。これこそがお金に関する最大のあやまちであり、ほかの多くのまちがいの原因でもある。これが、私たちのお金の「家」の不安定な基盤なのだ。

■より大きな視点でとらえると

機会費用は、個人のお金だけの問題ではない。ドワイト・アイゼンハワー大統領が、軍拡競争に関する1953年の演説で述べたように、それは世界に影響を与えかねない問題なのだ。

1丁の銃をつくるのも、1隻の軍艦を進水させるのも、1発のロケットを発射するのも、つきつめれば、食べものがなくて飢えている人や、着るものがなくて寒さに震えている人から盗むのと同じことだ。軍国主義は、ただお金を費やすだけではない。労働者の汗や科学者の才能、子供たちの希望を無為にするのだ。

最新式の重爆撃機一機分の費用があれば、30以上の都市に近代的なレンガ造りの学校を一校ずつ建設できる。6万人に電力を供給する発電所を二基建設できる。完全な設備を備えた立派な病院を2軒建てられる。50マイル(約80キロ)分のコンクリート舗装道路を敷設できる。戦闘機1機分の費用があれば、50万ブッシェル(約1万3500トン)の小麦を購入できる。駆逐艦1隻分の費用があれば、8000人以上が住める住宅を新築できる。

私たちが日々考えなくてはならない機会費用が、戦争の費用よりリンゴの費用に近いのが、せめてもの慰めだ。

■車を買うことで失うもの

数年前、ダン(・アリエリー)は研究助手とトヨタの販売代理店に行って、お客に「新車を買ったらなにをあきらめることになりますか」と聞いて回った。ほとんどだれも答えられなかった。お客のだれ一人として、車に費やすつもりの数万ドルがあればほかのことができるという事実を、じっくり時間をかけて考えていなかった。

そこでダンはもう一歩踏み込んで、「トヨタ車を買ったら、具体的にどんな製品やサービスを買えなくなりますか」と聞いてみた。トヨタ車を買えば、ホンダ車などの単純な代替物を買えなくなると答えた人がほとんどだった。その夏のスペイン旅行と翌年のハワイ旅行をあきらめることになるとか、今後数年間は毎月2回のすてきなレストランでの外食を我慢しなくてはとか、大学のローンを5年も余分に払うことになる、などと答えたのはほんの数人だった。

ほとんどの人は、自分が今使おうとしているそのお金があれば、この先の一定期間にわたっていろいろな経験やモノを獲得できるということを考えられないか、考えたがらないようだった。お金はあまりにも抽象的で漠然としているから、機会費用を想像したり考慮したりするのが難しい。お金を使うときは、買おうとしているもの以外の具体的なものは頭に浮かばないのだ。

■私たちは機会費用を意識していない

私たちが機会費用を考えられず、考えることに抵抗を覚えるのは、車の購入に限った話ではない。私たちはだいたいにおいて、お金のほかの使い道を十分意識していない。そして困ったことに、機会費用を考えずに下す決定は、自分の利益にならないことが多い。

ステレオを買うときのことを考えてみよう。これはシェーン・フレデリック、ネイサン・ノベムスキー、ジン・ウォン、ラビ・ダール、スティーブン・ナウリスの「機会費用の軽視」という、うまいネーミングの論文からの引用だ。

彼らはある集団に、1000ドルのパイオニア製ステレオと、700ドルのソニー製ステレオのどちらを選びますかと尋ねた。別の集団には、1000ドルのパイオニア製ステレオか、ソニー製ステレオとCDの購入にだけ使える300ドルがセットになった、1000ドルのパッケージのどちらかを選んでもらった。

実際には、どちらの集団も1000ドルの使い道のなかから選んでいた。一つめの集団は、1000ドル全額をパイオニア製品に使うか、または700ドルをソニー製品に、300ドルをなんでも好きなものに使うかを選んだ。二つめの集団は、全額をパイオニア製品に費やすか、または700ドルをソニー製品に、300ドルをCDに費やすかを選択した。結果、ソニー製品は、300ドル分のCDとのセットのほうが、ずっと人気が高かった。なぜこれが不思議なのだろう?

それは細かいことをいえば、使い道が限定されない300ドルはなんでも買えるのだから、CDにしか使えない300ドルよりも価値が高いはずだからだ。なのに300ドルがCD専用として提示されると、彼らにはより魅力的に感じられた。なぜなら300ドル分のCDは、300ドル分の「なにか」に比べて、ずっと具体的で明確だからだ。300ドル分のCDといわれれば、なにが手に入るかがはっきりわかる。それは実体があって価値を評価しやすい。

だが300ドルが抽象的で漠然としていると、使い道が具体的に浮かばないから、強く感情に訴えかけないし、強い動機づけにならない。これは、お金が漠然としたかたちで表されると、同じ金額を具体的に表象するものが存在する場合に比べて、過小評価されがちだという一例だ。

■機会費用を考えないのは抽象的だから

もちろん、この研究で用いられたCDは、今では絶滅危惧種だが、基本的な考え方は今も通用する。旅行であれ、大量のCDであれ、お金の使い道がほかにもあるといわれると、人は少し驚く。その驚きから察するに、人はふつうほかの使い道を考えないようだ。しかしほかの使い道を考えなければ、機会費用を考慮できるはずがない。

機会費用を軽視するこの傾向は、私たちの思考の基本的な欠陥を表している。今もこの先もいろいろなものと交換できる、というお金の特質は、たしかにすばらしいが、それは私たちがお金に関してとってしまう問題行動の最大の原因でもある。支出は機会費用という観点から考えなくてはならないが、それは抽象的すぎて難しい。だから決して考えようとしないのだ。

そのうえ現代生活に欠かせないクレジットカードや住宅ローン、自動車ローン、学生ローンなどの無数の金融商品のせいで、支出が未来に与える影響はさらに──往々にして意図的に──わかりづらくなっている。

お金にまつわる決定について本来考えるべき方法で考えられないとき、または考えようとしないとき、私たちはいろいろな心理的抜け道に頼る。そうした抜け道の多くは、お金の複雑さに対処する助けにはなっても、もっとも望ましい方法や理にかなった方法で行動する助けになるとは限らないし、ものごとの価値を誤って認識する原因になることも多いのだ。

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ダン・アリエリー
デューク大学教授
1967年生まれ。過去に、マサチューセッツ工科大学のスローン経営大学院とメディアラボの教授職を兼務したほか、カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン高等研究所などにも在籍。また、ユニークな実験によりイグ・ノーベル賞を受賞。著書に『予想どおりに不合理』『不合理だからうまくいく』『ずる』『アリエリー教授の「行動経済学」入門』『「行動経済学」人生相談室』(すべてハヤカワ・ノンフィクション文庫)がある。
ジェフ・クライスラー
コメディアン、作家、コメンテーター
プリンストン大学卒。弁護士を経て、お金と政治を扱うコメディアン、作家、コメンテーターになる。著書に風刺エッセー『Get Rich Cheating』がある。

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(デューク大学教授 ダン・アリエリー、コメディアン、作家、コメンテーター ジェフ・クライスラー 写真=iStock.com)