1982年の春、オジー・オズボーンの人生を大きく変える出来事があった。

1979年にブラック・サバスを解雇された後、オジーは再び立ち上がり、ヘヴィ・メタルを再定義するほどのヒットとなったアルバムを2枚作り、かつてのバンドに匹敵するファンを獲得していた。

オジーのこの快進撃の大きな要因は、彼がクリエイティヴ・パートナーとして選んだ華やかな若きギタリスト、ランディ・ローズだ。ローズはオジーが持っているアイデアをサバスでは実現できなった方向へと花開かせる大きな助けとなった。しかし1982年の3月19日、ローズは飛行機事故で急逝してしまう。あの風景は今でもオジーの脳裏にこびりついていると言う。

「今でも……いま君にこの話をしているこの瞬間も、あの事故現場で墜落した飛行機と燃え盛る家を見ている自分を鮮やかに思い出すんだ」と、今年の初めにオジーがローリングストーン誌に語った。「あんな出来事を乗り越えるなんて誰にもできない。ずっと衝撃を受けたままだよ」と。

彼のマネージャーであり当時恋人だったシャロンが、もがいてばかりはいられないとオジーに言った。彼は「俺はシャロンに言ったよ。『もう音楽なんてできない』って。そしたらシャロンが『ここであなたがやめたいなら、私たちは止めないわ』って。最悪な状況だった」と教えてくれた。

しかし、シャロンはすぐさま後任を探し出して、ツアーは10日後に再開された。後任となったのはバーニー・トーメというアイルランド人ギタリストで、ディープ・パープルのヴォーカリストだったイアン・ギランのソロ・バンドでプレイしていた男だ。トーメはこの仕事が永続するものとは思っていなかった。

あくまでもピンチヒッターで、7公演を終えたら自分のソロ活動に戻るつもりでいた(バーニー・トーメ&ジ・エレクトリック・ジプシーズ名義で活動していた)。そしてトーメの後はナイト・レンジャーのギタリストのブラッド・ギルスが引き継ぐ予定だった。しかし、たった7回という短いツアーだったが、オジーとトーメにとっては極めて重要な時間となったのである。2人にとって、それまで一度も経験したことのないつらいライブとなったのだ。

「アメリカに移動する前日か前々日にレコードを聴いたって状態だった」と、トーメがローリングストーン誌に語った。「だから、俺にできたことといえば、彼らと一緒にプレイする前に、音がハッキリ聴こえないウォークマン(カセットプレーヤー)で曲を聴くことだけた。楽曲は全部気に入ったし、ランディのプレイは天才的だった。でも、あの短時間では、曲の構成とランディのフレーズが入るタイミングを覚える以上のことはできなかったのさ。まず大枠で楽曲を覚えて、あとでディテールを入れることしか思いつかなかった。プレイしながら徐々に細かいことを覚えるしかなかったのさ」

トーメがオジーのバンドと会ったのはロサンゼルスで、ランディの死後1週間くらい経った頃だった。バンドのメンバーは彼に優しく接したが、「俺を歓迎する人は一人もいなかった。みんなにとって、あの場所はランディのものだったんだ」と、当時を振り返ってトーメが言う。

トーメはみんなの士気を高めて、前に進ませた人物がシャロンだと明言する。実はツアーが始まった頃から、このバンドには既に亀裂が入っていた。オジーの最初の2枚のソロ・アルバムで演奏したリズム・セクションはバンドを離れていて、後釜にローズのクワイエット・ライオット時代のバンドメイトだったベースのルディ・サーゾと、ブラック・オーク・アーカンソーのドラマー、トミー・アルドリッジを迎えていたのだ。つまり、オジー以外のオリジナル・メンバーはローズだけだった。

「オジーにとってランディはカギとなる人物で、オジーの新たなキャリアの根幹を成す存在だったし、友人でもあった」とトーメ。「だからランディが事故死してしまったとき、オジーは何もできなくなったんだと思う。誰だってそうだよ。オジーはボロボロだった。何度も涙を流したし、声を上手く出ないという健康面での問題も抱えていた。そのため、かなりの数のライブをキャンセルせざるを得なかった。ライブ後にステージを降りるオジーが泣いているときもあったよ。本当につらかったに違いない。でもオジーは何とか耐えて、ステージでは最高のパフォーマンスを見せていたのさ。そんな苦悩なんて一切見せずにね。あと、オジーはライブのある日は絶対に酒を飲まなかったよ。楽屋にビール1缶すら持ち込めなかった。禁止されていたからね」(トーメは、オフの日はその範疇ではなく、あるときなど朝10時からカクテルのアレクサンダーを何杯も飲んだ、と教えてくれた)。

しかし、何よりもステージでのパフォーマンスが最もつらかった。「最初のライブ(ペンシルバニア州ベスレヘム)は俺がやった中で一番つらいものだった。本当につらいなんてものじゃなかった」とトーメが言う。「でも、俺よりもランディ抜きでプレイする他のメンバーのほうがもっとつらかったはずだ。彼らがどうやって演奏できたのか、俺には想像もできない。特にオジーとルディはね。演奏だけじゃなくて、気持ちの面でも相当にこたえていたはずだから」

オジーとトーメが一番覚えているライブは、トーメが参加して3本目のニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)公演だ。「マジでシュールなライブだった」と、過去にオジーがこのライブについて語っていた。マディソン・スクエア・ガーデンはローズが楽しみにしていたライブだったのだ。

特にこの日はトーメにとって奇妙なことばかりだった。このツアーで使った城を型どったステージセットでは、落とし格子の門の前に置かれたドラムライザーの両端にトーメとソーザが立った。これは階段状のピラミッドになっていて、オジーはスモークの中から登場することになっていた。いつも通り、紗幕が上がる前にシャロンが幸運のキスをするためにステージ前方にいるオジーの向かって走ったのだが、このライブではオジーに近づけなかったのである。

「観客の中に花火か何かに火を点けたヤツがいて、それが紗幕の内側に入ってきて飛び跳ねた。そしてシャロンの首に当たって爆発したんだよ。パンって。俺の目の前でね」とトーメがその状況を語る。「シャロンは縫いぐるみみたいに倒れて血を流していた。2人のクルーが急いでやってきて、彼女を抱きかかえて舞台袖に消えていったよ。残されていたのはシャロンの血溜まり。俺はマジで彼女が死んでしまったと思った。しかし、この光景を目撃したのが俺だけだったってことが奇妙なんだ」

「それから10秒後に幕が開いて、トミーが『オーバー・ザ・マウンテン』を弾き始め、俺たちがそれに合流した」と言い、トーメは続ける。「オジーは何も知らなかった。っていうか、バンドのメンバーは俺以外、シャロンの事件に気づいていなかったし、(ライブが始まったため)オジーに教える暇さえなかった。ましてやローリング・ストーンズのキースみたいにミックに近づいて、『なあ、お前の嫁さんに何か当たったぞ』とか教えられる雰囲気のライブじゃなかったのさ。だから、クルーの一人がシャロンは大丈夫だって舞台袖から合図してくれるまでは、俺は気もそぞろだった。そんな状況だったけど、ライブ自体は良かったね。俺のプレイもかなり良かった。ただランディがMSGでのライブを楽しみにしていたことを知っていたから、俺にとってはかなり悲喜こもごものライブだったよ。あのステージに立つべきはランディで、俺じゃなかったから」

ちなみに、現在オジーのギタリストを務めるザック・ワイルドが”暗闇の王子”を初めて観たのがこのライブだった。「当時の俺は14か15で、ランディを見るためにチケットを買った」と、ワイルドが以前ローリングストーン誌に語っている。「オープニング曲が『オーバー・ザ・マウンテン』で、俺と(ブラック・レーベル・ソサエティのベーシストの)D.J.の記憶に残る究極のギターだった。まさしくランディのトーンで、驚異的なんてもんじゃなかった」と。このライブがその後の彼の人生を決めたのである。

「バーニーのギターは良かったんだが、観客は『ランディをよこせ』とバーニーに向かって叫び続けた。彼にとっては本当につらいライブだったはずさ」と、オジーがあの日を振り返る。

このツアーでトーメがオジーとプレイした最後のライブは4月10日のニューヨーク州ローチェスターだ。これでトーメのツアーは終わり、後任としてジェイク・E・リーが参加して、オジーの次のアルバム『月に吠える』のレコーディングを行った。1年後に2人は一瞬挨拶を交わしたことがあったが、オジーが今年ノー・モア・ツアーズ・2・ツアーでスウェーデンに訪れたとき、トーメはあれ以来初めてオジーに会った。「何十年もヤツとは会っていなかった」とオジー。「楽屋の外でバーニーが待っているって誰かが教えてくれて、俺は『マジか!?』って。バーニーは『オジー、あんたと一緒にプレイしたあの時期は一生記憶に残るよ。本当に楽しかった』と言ったんだ。俺は彼の姿形すら覚えていなかったよ。それだけ昔のことだったから」

トーメが言う。「オジーは最近レコードが売れないことを嘆きながら、俺に(レコードは)売れるかって聞いてきたよ。だから『オジー、俺のレコードは売れたことが一度もないよ』って答えて、2人で大笑いした。俺にとってはあのつらい記憶に終止符を打つ素敵な時間となったね」と。

また、今回はトーメの素晴らしさを公言するワイルドと会うこともできた。「俺はザックのプレイが大好きだし、本当に評価しているギタリストに褒めてもらえるなんて最高だよ」とトーメが言う。「彼は15歳のときにランディを見るためにMSG公演のチケットを買ったと教えてくれた。俺はランディじゃなくて俺で申し訳なかったと謝ったよ。でも、ザックはあの日の俺のプレイを褒めてくれたんだ。当時の彼はまだ15歳だぜ。すごいと思わないか?」

現在トーメはイギリスで「最後の情事」と銘打ったツアーを行っている。「Come the Revolution(原題)」というハード・ロック曲のニューシングルをリリースしたばかりで、今月後半にアルバム『Shadowland(原題)』がリリースされる予定だ。

オジーも現在ツアー中だ。メジャー・ツアーとしてはこれが最後のツアーと宣言したツアーで世界を駆け巡っている。しかし、2020年にこのツアーが終わってもライブ活動を終えるわけではない。オジーがローリングストーン誌にこう話していた。「これ以外に得意なことがないんだよ。文字通り、これしかできないから」と。