-なぜ今、思い出すのだろう?

若く、それゆえ傲慢だった同級生・相沢里奈の、目を声を、ぬくもりを。

これは、悪戯に交錯する二人の男女の人生を、リアルに描いた“男サイド”のストーリー。

一条廉は3歳年上の美月と結婚し、駐在先のシンガポールで新婚生活をスタートさせる。

しかしその心には、特別な思いを抱く大学時代の同級生・里奈がいた。

腐れ縁のように少しずつ距離を縮めていくふたりは、やがて一線を超えてしまう。

不貞を疑われながらも再び美月との穏やかな生活を取り戻した廉だったが、里奈が妊娠したことを知ると、動揺から妻に要らぬ一言を言ってしまう。

すると、これまで従順だった妻・美月が突如、別人のように態度を変え、ついには離婚されてしまった。




バツイチとなってから


離婚後の孤独は、予想以上に堪えた。

せめて家族が日本にいれば少しは救われたかもしれないが、両親はカナダから戻る気配もないし、すでに結婚して家を出ている姉は、僕が話した(と言っても概要だけだが)離婚理由に「呆れた」と言っただけだった。

自由が丘の実家は独りで暮らすには広すぎるし、至るところに結婚生活の名残があって、目に入るたびにどうしても罪の意識を感じてしまう。

僕はこれを機に都心で一人暮らしをすることに決め、六本木の賃貸マンションに移り住んだ。

…そういえば、里奈と二階堂が暮らす家も六本木だ。

だが、どれだけ近くにいても偶然に出会うことなどなかった。不思議なもので、どれだけ離れていても引き寄せられるタイミングがある一方で、縁のない時にはとことんないらしい。

美月と離婚した日に僕が里奈に送ったメールも結局、返事が届かなかった。

その代わり、というわけではないが、離婚したことをどこからか聞いたらしい未祐が、再び僕に連絡をよこしたのだ。


再び廉に接触してきた未祐の、本心とは…?


未祐:どうしようもないのに、惹かれる男


一条廉という男に、私は別に興味なんてなかった。

いつも輪の中心にいて、男女問わずいつも誰かに囲まれていた廉。しかし当時、完成された年上の男に囲まれていた私の目に、彼は随分幼く映った。

廉と里奈が、他メンバーとは明らかに違う絆を築いていることは、学生時代から私も知っていた。

しかし里奈も私と同様、多くを手にした男からいかに贅沢させてもらうか、を基準にして生きていたし、彼女が廉に本気になるなんてありえないと思っていた。

そして実際、里奈は廉ではなく、直哉さんと結婚したのだ。

最初は、夫である直哉さんとは違うタイプ…つまり一介の商社マンではあるが、人の懐に入るのが抜群にうまく、男女ともに愛されるサークルの人気者との秘め事を、束の間楽しんでいるのだと思っていた。

「さすが里奈」などと小気味よく思っていた私だったが、しかし意外にも彼女が廉に純粋な恋心を抱き、本気で彼に溺れているのだと知った時。

-まさか。

驚きとともに、私の中で、里奈に対する説明のつかない黒い感情と、廉に対する止めようもない好奇心が生まれてしまった。

私はどうしても、廉と二人きりで会ってみたくなったのだ。




「聞いたよ、廉。…離婚したんだって?」

サークル仲間から風の噂で彼の離婚を聞きつけた私は、ミッドタウン日比谷の『DRAWING HOUSE OF HIBIYA』に、再び廉を呼び出した。

離婚原因が、すべて彼の自業自得であることを私は知っている。

しかし「ああ」と小さく、自分を嘲笑うように呟く廉の横顔には妙な色気が漂い、私は思わず目を瞬かせた。

やつれたのだろうか。少し前に会った時より痩せた頬が、顎のラインを男らしく、シャープに見せている。

一条廉という男に、なぜ女たちは惹かれるのか。

あの里奈までもが、気づけば廉にのめり込んでいた。ついに離婚したのだって、彼女はあれこれ理由を並べてはいるが、主な理由は廉に違いないのだ。

この男の何が、女を惑わすのだろう。

商社マンになった途端にチャラチャラと女を取っ替え引っ替えし、美月とかいう包容力だけをウリにしたような女と結婚した男。

その癖ずっと“友達”という隠れ蓑を使って自分も周りも欺いてきた里奈と、わざわざお互い既婚者同士で不貞を働き、挙げ句の果てに離婚した。

客観的事実だけを並べれば本当に、ただのどうしようもない男である。

…しかしそんな男こそ、女は本能で放っておけないのかもしれない。

「妻は何も悪くないんだ…俺が全部悪い。さすがに、自分が嫌になったよ」

廉が私の前で一切の強がりを捨て、弱々しく無防備な声を出した瞬間。

私はほとんど衝動的に、投げ出された彼の手を包んでいた。

「ねぇ、廉。…私なら、慰めてあげられるよ?」


傷心の廉に、未祐がまさかの誘惑…?そして知らされる、思いもよらぬ事実


廉:僕は一体、何を守っていたのだろう?


-慰めてあげられるよ?-

未祐に突然手を握られ、上目で潤んだ目を向けられた時は…さすがに動揺した。

美月とも里奈とも違うタイプだが、未祐は美しい女だ。僕も男だから、スタイル抜群の美人に誘われて嫌な気はもちろんしない。

しかし僕は学生時代から未祐に対してなんとも言えぬ警戒心を抱いており、こうして少なからず距離が近づいたあとも、簡単に心を許す気にはなれなかった。

言葉にするのは難しいが、未祐が僕を見る目はいつも、僕自身を通り越し、その後ろや周囲にある何かを見ている気がするのだ。

彼女には「私の何を知っているの」と言われてしまうだろうけれど。

「…ありがと。未祐って案外、優しいんだな」

僕はそう言ってさりげなく手を解くと、からかうように彼女に笑ってみせた。

しかし、そっと盗み見た未祐の表情が悲しく歪むのを見て、僕は慌ててしまった。自分ではうまく交わしたつもりだったが、思いのほか傷つけてしまったのかもしれない。

「…結局、廉は里奈なのよね」

暫しの沈黙の後、彼女は吐き捨てるように呟いた。

「言うつもりなかったけど、ムカつくから教えてあげる。

…離婚したのは、あなただけじゃない。里奈も直哉さんと別れたの。あなたのせいで、ね」

「え…?」

-離婚した…?里奈も…?

思いがけず知らされてしまった事実は、ギリギリのところで保っていた僕の心をどうしようもないくかき乱した。

里奈は、里奈だけは、幸せに暮らしているのだと信じていた。

そうであって欲しかった。

彼女が今幸せであるならば、二階堂の元へ戻るよう告げたことも、断腸の思いで里奈との別れを選択したことも、意味があったのだと思うことができたのに。

しかし里奈が、里奈まで離婚しているなら…僕は一体、何を守っていたのだろう。結局何一つ守れず、誰一人幸せにできなかったということなのか。

「そう、だったんだ…」

掠れた声で呟く僕に、未祐は大げさなため息をつく。そして「私、帰る」と言うや否や、彼女は席を立ってしまった。




里奈からのメール


店に一人残された僕は、無意識のうちにスマホを取り出していた。

そしてぼんやりとした頭で何度も何度も、里奈へのメール文面を書いては消す、を繰り返した。

二階堂と離婚した里奈は、今どこで、どんな生活をしているのだろうか。子どもはどうしているのだろうか。

里奈のことが気になる。放っておけない。

もういっそ、素直にそう言ってしまえばいい。

いつまでも形にならないメールを眺めながら、そんな風に思ったりもした。

しかしながら里奈が、最後に僕に見せたあの目を思い出すと、また拒絶されてしまうのではないかと怯え、どうしても直球勝負に踏み出せない。

そうして結局、僕は逃げ道を残した、様子を伺うような内容しか送ることができないのだった。

随分と時間をかけて作った文面ではあったが、里奈は読んでくれないかもしれない。

そもそも、少し前に送ったメールだって、返信は届かなかったのだ。

送信ボタンを押したあと時間が経つにつれ、僕はどんどん弱気になっていった。

けれども予想に反し、5分と空けずに里奈から返信が届いたのだ。


思いがけず届いた、里奈からの返事。そして、同タイミングで独身に戻った二人が再会する。


“廉は東京にいるの?元気にしてる?”

思いがけず届いた里奈からのメールに、しかし僕はすぐに返信することができなかった。

未祐の暴露で、僕は里奈が離婚したことを知ってしまった。しかし彼女の前では知らないふりをしておくべきだろう。

その一方で、僕のほうも美月と離婚したことを彼女に伝えるべきなのかどうか…瞬時には判断できなかったのだ。

“実は、離婚したんだ”

数日悩んだ末に、僕がその事実を伝えたとき。

里奈がそれをどう受け取ったかは知る由もない。しかしその後すぐ、彼女の方から「もう一度会って話がしたい」と言われたのだった。


再会


里奈と待ち合わせた『ザ・カフェ by アマン』へと向かう道中で、僕はひとり、ある決心を固めていた。

今度こそ…僕の素直な気持ちを里奈に伝える。

僕たちは、もう十分すぎるほどにすれ違ってきた。

20代前半、僕たちはとても近い場所にいた。しかしもともと大人びていた里奈といつまでも子どもっぽい僕とでは、人生を歩むスピードが完全に違っていたのだろう。

あの頃、僕たちは恋と友情のあいだを行ったり来たり、どうしてもうまく心を通わせることができなかった。

あの時、素直になっておけば…。

たらればを言っても仕方ないことは、百も承知だ。しかし彼女との思い出を振り返れば振り返るほど、そう思わずにいられなかった。

そして今。なんの巡り合わせか、僕と里奈はほとんど同時に再び独身に戻った。

もちろん、里奈には二階堂との間にもうけた娘の存在がある。そのことを考えると、僕が今になって行動を起こすのは、非常識だと言われても仕方がないことだと思う。

…しかし、それでも僕はもう、逃げたくなかった。

このタイミングを逃してしまったらもう二度と、僕と里奈の運命が重なることはないだろうから。




「里奈」

先に着いていた彼女が、こちらを振り返る。

正直かなり緊張していた僕だったが、「久しぶり」と呟く里奈の声を聞いた瞬間、不思議と心が解けていくのを感じた。

ふと彼女の隣を見遣ると、ベビーカーの中に、とても小さな可愛らしい女の子が眠っている。

「レミちゃん、だっけ?すごいな、こんなに小さいのにママ似の美人だなぁ」

触れるのは気が引けてやめておいたが、子どもの無垢な寝顔と、そしてそんな娘を愛おしそうに見つめる里奈を交互に見つめていると、無条件に「この存在だけは、絶対に守らなければ」という気持ちになる。

それは、僕が人生で初めて感じた、とても温かく、穏やかな感情だった。

彼女に会うのは随分と久しぶりだったし、何よりも僕たちは、お互いの人生を狂わせてしまうほど愛し合い、そして傷つけあった。

にも関わらず、話し始めると自分でも驚くほどに自然で、ふたりの間に流れる空気は、出会った頃から何も変わらない。

「里奈がシングルマザーなんて似合わなすぎるだろ。どうせ、またすぐスーパーマンみたいな男が登場しそうだな」

それゆえ僕としても急にキャラを変えるわけにもいかず、そんな軽口で彼女の近況を探ってみたのだ。

しかしこれが、間違いだった。僕は今度こそ、変わらなければいけなかったのだ。

「実は…そうなんだ。実は今、まさにスーパーマンみたいな人がいて…」

しばしの沈黙の後、里奈はそう淡々と語り出した。

彼女の話を呆然と聞きながら、僕は心の中に用意していた言葉をぎゅっと握り潰す。

-今度こそ俺に、里奈を守らせてほしい-

…本当は、そう伝えたかったのに。

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またしてもすれ違う廉と里奈。恋と友情のあいだを彷徨う、二人の結末は…?