ーただ、結婚していないというだけなのに。

30代独身だというだけで、蔑まれ虐げられ、非難される…。その名も、独身ハラスメント。

それとは一切無縁だったはずの莉央(33)は、ある日突然、独身街道に再び投げ出される。彼女を待ち受けるのは、様々な独身ハラスメントだった。

-結婚だけが幸せの形だなんて、誰が決めたの…?

そんな違和感を強く抱く莉央。自分なりの“幸せの形”を見つけるため、奮闘の日々が始まるのであったー。

アパレルブランド「Noemie(ノエミー)」のブランドマネージャーとして働く莉央は、結婚式目前に突然婚約破棄をされてしまう。

独身の同僚・亜樹が「女は結婚していないだけで、まるで人として問題があるかのような扱いを受ける」とぼやくのを半信半疑で聞いていたが、早速、既婚女子・優子から独身ハラスメントと思われる発言をされたのだった。




「莉央さん、まずは初日、お疲れさまでした!」

展示会初日。ぎっしりと詰められたアポイントに追われながら、一日中取引先対応をこなし終えた莉央は、心地よい疲労感に酔いしれる。

「亜樹さんもお疲れ様です。今回のコレクションも大好評で、出だしは順調ね」

「ねえ、ところで莉央さん。“マサキくん”、言ったとおりかわいかったでしょう?」

それまでグッタリしていたはずの亜樹が、急に瞳を輝かせて莉央に小声で囁いてきた。

「…マサキくん???誰、それ?」

「やだなあ、午後一のアポでお会いしたでしょう。佐野将暉さん」

きょとんとする莉央に向かって、亜樹は、大手百貨店の担当者の名を挙げた。“佐野将暉”は、バイヤーに昇格してまだ1年目の29歳だという。

莉央は昼間に挨拶をした青年の顔を思い浮かべる。確かに言われてみれば、整った顔立ちをしていた気がするが、それより印象に残ったのは25,6歳と言われても信じてしまいそうなフレッシュさであった。

それでも彼の勤務先では、7年目でのバイヤー昇格は最短コースだというから、将暉が優秀であることには違いないのだろう。

「イケメンでかわいいからうちの女性社員はみんなファンで、影でこっそり“マサキくん”って呼んでるんですよ。彼の前任のバイヤーがかなり癖ある人物でみんなかなり苦戦したから、彼とのギャップも、マサキくんファンが多い理由のひとつですね」

亜樹はなぜか得意げに説明したあとで、今度はにやりと笑った。

「それにしても、莉央さんと名刺交換したときのマサキくんの顔、見ました?アレは間違いなく、莉央さんに見惚れてましたね…!」


「美人なのに、どうして結婚してないの?」既婚者たちが言いがちなその言葉の真意とは




「美人なのに、どうして独身なんですか?」


「莉央さん、すっごく美人だし、スタイルも抜群だもの。20代の若者からしたら、“綺麗なお姉さん”って感じで憧れるんだろうなあ」

亜樹が羨ましそうに、莉央の頭のてっぺんから足の爪先までをゆっくりと見たあとで、オフィスの部屋の入り口に視線を移した。

「あっ。優子さん、お疲れ様です」

亜樹が無邪気に話しかけると、優子は莉央たちの元へ近づいてきた。

「ねえ、優子さんもそう思いません?莉央さん綺麗だし、マサキくんが見惚れちゃうのも納得ですよね」

莉央は最近、優子と少し気まずい。先日のミーティングで、ブライダルラインの立ち上げが莉央に任されると決定して以来、優子は妙によそよそしいのだ。

しかし意外にも、優子は大きく頷いた。

「うんうん。そういえば私、莉央さんの前の会社に知り合いいるんですけど、莉央さんって、仕事ができる超美人として若手たちの憧れの的だったって聞きましたよ」

-あらっ。優子さん、意外にも嬉しいこと言ってくれるのね…。

ここ最近の冷たい素振りとはコロッと態度を変えて、優子はにこやかに微笑んだ。こうして真っ向から褒められると、莉央も決して悪い気はしない。

しかしその直後、優子はこんなことを言ったのだった。

「その子、不思議そうに言ってましたよ。“でも莉央さん、独身でしょ?”って。どうしてあんなに綺麗なのに、結婚してないんだろうって、みんないつも噂してたんですって。会社の七不思議のひとつだったらしいですよ〜!」

-七不思議って言われても…。ほっといてほしいわ。

しかし、莉央はこうしたことを言われても、あまり気に留めないようにしている。

「美人なのに、どうして独身なんだろう」。そんなセリフは、恋人がいた莉央でも、後輩や既婚者たちから散々言われてきたのだ。彼らも決して悪気があるわけではなく、純粋な疑問として口にしていることがほとんどだろう。

莉央は「そんなことより、優子さん」と言って話題を変えた。

「今日の展示会、どうでした?優子さん担当の、新規お取引先のショップ、特に問題なさそうですか?」

莉央が尋ねると、優子は途端に表情を曇らせ、ため息をつく。

「…ああ。あそこの担当バイヤーの方、すごく気難しくて…。コレクションや商品のご説明しようとしても、一人で見たいから話しかけるな!なんて言われちゃって。私、ああいう人ってすごく苦手。気が重いなあ」

そう呟くと、優子は肩をすくめ、自分のデスクに戻っていった。



無事に展示会も終え、その週の金曜夜。

莉央は亜樹に誘われ、とあるレセプションパーティーに来ていた。亜樹の前職の同僚が西麻布にレストランをオープンするらしく、その開店をお披露目するパーティーである。

「莉央さん、今日は付き合って頂いてありがとうございます。優子さんや他のみんなにも声をかけたんですけどね、あっさり断られちゃいました。みんな、家庭があるから仕方ないですよね…」

亜樹は寂しそうにぼやいている。莉央も本当はさっさと帰宅したいほどに疲れていたが、店のオーナーがアパレル業界出身のため、今回のパーティーにもその関係者が多く集うと聞いて興味を抱いたのだ。

会場に着くと、すでに店内は大勢の人でごった返している。そのとき、亜樹が「あっ」と小さな声をあげた。

「莉央さん、あそこにいるのって、マサキくんじゃないですか!?」


その純粋さに調子が狂う。マサキとの思わぬ再会


年下の男


「佐野さん!先日は弊社展示会にお越しいただき、ありがとうございました」

人混みをかき分けるようにして、莉央と亜樹は、佐野将暉のもとになんとかたどり着いた。声をかけると、将暉は一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに爽やかな笑みを浮かべる。

「吉永さん、仲野さん!先日はこちらこそありがとうございました!お二人も今日いらしてたんですね。話には聞いていたけど、本当に業界関係者ばかりみたいですね」

将暉は会場をぐるりと見回しながら、すでに多くの取引先や知り合いに会ったのだと語る。この店のオーナーとも、将暉がアシスタントマネージャー時代に仕事で知り合い、親しくしていたそうだ。

しばらく3人で会話に花を咲かせていると、亜樹がそっと莉央に耳打ちした。

「莉央さん。優子さんが話してた、例の新規ショップの担当者もいらしてるみたいです。私、さりげなく話しかけに行ってみますね」

「わかったわ。私も後からご挨拶するから、先に行っていてもらえる?」




亜樹が去ってしまい、2人であれこれと仕事の話をしていた。しかし会話が途絶えたタイミングで、将暉は急に少し照れたような顔をした。

「実は展示会でお会いする前から、吉永さんのことは噂に聞いていたんです。ノエミーに敏腕ブランドマネージャーが来たらしい、って話題でしたから。うちのアシスタントマネージャーの女性も、吉永さんの大ファンなんですよ」

莉央は、前職でブランドの立ち上げを経験した後、そのブランドを大きく成長させた。当時はファッション系のメディアから取材を受けることも多かったため、業界内で莉央の存在はそこそこ知られているのだ。

莉央は、柔らかいライトにぼんやりと照らされる将暉の顔をそっと見つめた。

亜樹が言っていたとおり、あらためて見ると確かに彼は整った塩顏をしていて、身長も180cm以上あるだろう。いつも10cm以上のヒールを履いている莉央も、少しだけ彼を見上げる形になる。

-イケメンだけど、4つ年下だし、なんだかちょっと若いよね。弟みたいな雰囲気。

心の中でそんなことをそっと考えていると、将暉が莉央を見つめているのに気がついた。

「僕も展示会の前からすごく楽しみにしていて…お会いできて、本当に嬉しかったです」

きっぱりとそう言った将暉の瞳があまりに真剣なので、莉央は一瞬言葉を失ってしまう。

仕事で成果をあげるようになって以来、こうしたお世辞とも本気ともつかぬ褒め言葉を浴びる機会は星の数ほどある。それをかわすことは、莉央にとってはもはや慣れっこだ。しかし将暉の口ぶりは、社交辞令とは思えない真剣さを帯びている。

「そ、そんな風に言っていただけて、光栄です」

かろうじてそう口にしたものの、将暉のやけにキラキラとした瞳に、なんだか調子を狂わされる。この戸惑いが顔に出てはいないだろうかと案じながら、莉央は笑顔を繕うのだった。


翌日、優子から言われた“なんとなくカチンとくる一言”とは?


「莉央さん、今日はありがとうございました」

レセプションパーティーの後、莉央と亜樹は『オークドア』で飲み直していた。

「何気に莉央さんと二人でゆっくり飲むのって初めてですよね。なんかこうやって、時間も忘れて美味しいお酒飲んでる時は、独身最高!って思っちゃう」

亜樹はワイングラスを見つめながら、嬉しそうに笑っている。

莉央もこうしてゆっくり飲むのは久しぶりだ。最近毎日がむしゃらに仕事をしていたが、本当は婚約破棄の一件からまだ立ち直ってはいなかった。

だけどこうして女同士で心ゆくまで語り合っていると、疲弊した心が癒されていく。こんな時間が莉央には必要だったのだ。

「亜樹さん、今日はこちらこそありがとう」

莉央はそう言って、微笑んだ。


女の勝ち負けなんて、存在しない!?


「亜樹さん。金曜のパーティー、どうでした?」

翌週の月曜日、昼休みに優子が亜樹に向かって話しかけていた。

「ねえ亜樹さん。ナンパ、されました?」

優子はにこにこしながら、亜樹に尋ねている。

「ナンパって…。そういうパーティーじゃないですよ」

亜樹が怪訝な顔をすると、優子は大げさに頭を振った。

「ダメですよ、亜樹さん。そんなこと言ってちゃ。婚活女子は、あらゆる出会いをチャンスに変えないと。自分からガンガンいかないとダメですよ!」

「だから、そういうのじゃないんだってば…」

亜樹が明らかに不快そうにしているのを見て、莉央は思わず咄嗟に「そういえば」と口を挟む。

「そういえば、優子さん担当の新規のバイヤーの方も、そのパーティーにいらしてたのよ。最初は確かになかなか心を開いてくれなかったけど、話してみたらとってもいい方でしたよ。優子さんがいなくて、残念だったわ」

すると優子は大きなため息をつく。

「はあ、皆さんはいつも楽しそうだし、自由でいいなあ。私もそんな素敵なパーティー行ってみたかったけど、夫に夕飯作ってあげたいので、急なお誘いをいただいても無理なんです。家庭があるとホント窮屈で、独身時代が恋しくなるわ。莉央さんや亜樹さんが羨ましい〜!」

口ではそう言っているが、羨ましさをあまり感じないのは気のせいだろうか。そして優子は「ランチに行くので失礼します」と、どこかへ行ってしまった。



「莉央さん、さっき助けようとしてくれましたよね。ありがとうございます」

オフィスを出た莉央の後を、亜樹が慌てて追ってきた。

「助けるだなんて、大げさね…」

「優子さんの発言って、もしかしたら悪気ないのかもしれないけど、毎回すごく傷つくんです。ああいうこと言われるたびに、結局自分は独身で負け組なのかって思えてきちゃう」

俯く亜樹を、莉央は正面から見据える。

「負け組って何よ。未婚だろうが既婚だろうが、勝ちも負けもないでしょう」

「でも…」

莉央にだって、亜樹の気持ちが全くわからないわけじゃない。

先日、ブライダルライン立ち上げの担当を任命されたとき、優子から「未婚なのにブライダルラインの仕事なんて相応しくない」と言わんばかりの目線を向けられて、正直に言えばすごく悔しかったのだ。

でもそれと同時に、莉央は気がついた。未婚だろうが既婚だろうが関係なく、自分の使命はただ一つ。この場所で結果を出すことだ。

「ここは職場なんだから。どうしても勝ち負けをつけるっていうなら、私は本気で仕事に取り組んでいるひとが勝ちだと思う。亜樹さんのこのブランドへの情熱はよく知ってるし、社長も評価してる。…だからあなたは、勝ち組になれるんじゃない?」

莉央はそう言い切ると、さっさと歩き出す。

「莉央さん…」

亜樹は涙声で莉央の名を呼び、小走りで追ってくる。

「私、もっと仕事頑張ります。結婚では勝てなくても、仕事では勝ちたいから…!」

「だから勝ちも負けもないって言ってるのに…」

莉央が呆れて振り返ると、亜樹は目に涙を溜めながら笑っている。ぐちゃぐちゃの笑顔だったけれど、亜樹の表情は何かを吹っ切ったかのように晴れやかだった。

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