「イイ女こそ、結婚なんかにすがらない」災難だらけの“35歳のヤバい女”が悟った新境地とは
ー女の市場価値は27歳がピーク、クリスマスケーキの如く30歳以上は需要ゼロなんて、昭和の話でしょ?ー
20代の女なんてまだまだヒヨッコ。真の“イイ女”も“モテ”も、30代で決まるのだ。
超リア充生活を送る理恵子・35歳は、若いだけの女には絶対に負けないと信じている。
周りを見渡せばハイスペ男ばかり、デート相手は後を絶たず、週10日あっても足りないかも?
しかし、お気に入りのデート相手・敦史が26歳のCA女を妊娠させたことをきっかけに災難が続く。
そして現れた忘れられない男・悠介に、理恵子はまたしても騙されてしまう...!?
「悠介さん、最近あの女子アナと婚約したんだぜ!?」
名前も知らぬハイエナ顔のダミ声が、理恵子の鼓膜を突き破るように刺激する。
「実は俺、悠介さんの自宅の婚約パーティーにも行ったんだよな。仙石山のタワーマンション、超豪華でさ。でもやっぱり一番ヤバいのは、女子アナの奥さんだなー!」
この男は、何を言ってるのだろうか。ちがう。悠介の住まいは仙石山ではなく神宮前にあるはずだ。理恵子はつい先週、彼とそこで一夜を過ごしたばかりなのだから。
しかしハイエナ男はスマホを取り出し、頼んでもいないのに自慢気に画像をかざす。
そこにはテレビでお馴染みの女子アナが満面の笑みで巨大なダイヤをカメラに向けており、その肩を抱くのは紛れもない悠介だった。
「理恵子?どうした?」
呆然と立ち尽くしていると、友人の裕司に心配そうに顔を覗き込まれた。
「べ、別に...」
「で、理恵子の彼氏って誰?俺も知ってる男なんだろ?勿体ぶらずに教えろよー」
ニコニコと微笑む裕司を前に、思わず居たたまれなくなる。
理恵子はクラッチバッグを掴むと、無言のまま駆け足で店を飛び出していた。
二度も悠介に騙された理恵子。修羅場が訪れるか...!?
イイ女に、結婚なんて似合わない
理恵子は夜の六本木通りを歩きながら、悠介に何度も電話をかけた。
呼び出し音はいつまでも不快に耳に鳴り響いたまま、彼の声に切り替わる気配はない。
つい先ほど、悠介は仕事に戻らなければならないと言っていた。しかし実際は、婚約者の女子アナが待つ自宅に戻ったのだろうか。それも理恵子が訪問した神宮前ではなく、仙石山の。
理恵子はデジャヴのような感覚に包まれる。というよりも、5年前の苦い出来事を再び繰り返しているのだ。
独身だと信じて疑わなかった悠介に、離れて暮らす妻がいた。
離婚して独り身になったという悠介は、婚約したばかりだった。
最近は多くの災難に見舞われてばかりだったが、同じ男に二度も騙されるなんて、うまく現実を受け入れられない。
-話があるんです。なるべく早く会えませんか?
しかし、さらに残酷なことに、理恵子の送ったLINEが既読になったのは翌日のことだった。
◆
「どうしたの。君が深刻な顔してるのは珍しいね...」
数日後、青山の『NARISAWA』で待ち合わせた悠介は、不穏な空気を感じ取ったのか、心配そうに理恵子の手を握った。
白とグレーを基調にしたモダンで薄暗い店内で、皮肉なことに、悠介は普段よりさらに魅力的に見える。
「あの...」
周囲には外国人の客が多く、まるで海外にいるような気分だ。隣のテーブルから聞こえた中国語訛りの英語にふと気をとられると、悠介は思い出話を始めた。
「隣のカップルは、香港の人みたいだね。何だか、あの英語を聞くと思い出すな。理恵子と離れて寂しかった香港生活を」
なんてズルい男だろう。
悠介はさも自分が失恋したような口調で、悲しそうな表情を浮かべる。だが実際に捨てられたのは理恵子の方で、彼は妻の元へと戻っていったのだ。
そして「次こそは」と思った今回も、また同じことが起きようとしている。
「悠介さん...。言いましたよね。私はずっと大切な存在だって」
プライドの高い理恵子にとって、自分から男へ愛情を確認するのは容易なことではない。しかし今度こそ、
この関係をハッキリさせる必要があった。
「そうだよ」
「なら、私と結婚する気はありますか?」
思い切ってそう口にすると、さすがの悠介も驚いたのか、いつもの余裕が消えている。
顔が火を噴いたように熱く、不安と期待で身体中が一杯になる。
「一体、どうしたの?何か嫌なことでもあった?突然結婚だなんて、君らしくないな。そうだ、今夜は日本酒でも頼もうか。ここのは美味しいよ」
話を逸らそうとする悠介を、理恵子はなおも真っ直ぐに見つめる。もう、彼に言い包められるのは懲り懲りなのだ。
「...参ったな。結婚...か。詳しく話してなかったけど、離婚時は結構揉めたんだよ。結婚生活も、良いものだったとは決して言えないし...」
-もう少し、待ってくれないか。愛してるのは理恵子だけなんだー
かつて、悠介に何度そう言われただろう。この言葉を信じて待っていれば、二人は必ず結ばれると疑わなかった自分が憎い。
「なぁ理恵子。君みたいな素敵な女性に、結婚なんて勿体ないよ。今はイイ女ほど結婚という古い制度は似合わない時代なんだ。そんなものに縛られなくても、僕たちはいくらでも...」
「わかりました」
もう、十分だった。
悠介の意思を嫌というほど確認した理恵子は、ニッコリと微笑んでみせる。そのまま平和に食事を終えると、悠介は再び神宮前の部屋に誘ったが、理恵子はそれを丁重に断った。
一人タクシーに乗り込むと、震える指先で悠介のLINEをブロックした。
ジンと目頭が熱くなるが、涙を流すのは癪な気がして必死に堪える。
そして自宅前に到着すると、意外な人物が理恵子を迎えた。
“あの男”が、とうとうアクションを起こす...!
プライドの高さは、保身の証
「...何...してるの?」
マンションの前で佇んでいたのは、新太郎だった。
「あなた、まさかストーカー?通報するわよ」
理恵子はこれ以上ないほど冷たく言い放つ。
結果的に新太郎の忠告は正しかった訳だが、今は彼の毒舌に耐えられる余裕はない。先手必勝で、さっさとこの場から追い払ってしまいたかった。
「...いや、違うんだ。...この前は悪かったなと思って反省したんだよ...。ていうか理恵子、大丈夫か?お前、目が真っ赤...」
しかし新太郎はその場を動こうとせず、神妙な顔で理恵子に近づく。
「ちょっと飲み過ぎただけよ」
「いや、お前いくら飲んでも顔に出ないだろ。どうしたんだよ...」
「うるさいわねっ。私に構わないでよ!!!」
理恵子は思わず大声を上げていた。同時に今まで堪えていた感情が堰を切ったように溢れてくる。
「新太郎の言った通り、彼には婚約者がいたわ。しかも有名な女子アナよ。笑いたいなら笑いなさいよ。私を馬鹿にするのは、あなたの趣味みたいなものでしょう!」
そう。いくら何でも相手が“女子アナ”という市場価値Sランクの女では、さすがの理恵子も歯が立たないのは重々承知だ。
「...なんだよ、それ。で、お前フラれたのか?」
「別に。私からLINEをブロックしてやっただけよ」
そうして一連の流れを説明すると、なぜだか今度は新太郎の顔が赤くなっている。
「ちょっと、理恵子のスマホ貸せよ」
「は?何言ってんの?」
「そいつに電話すんだよ。住所聞いて、家に乗り込む」
「何また意味不明なこと言ってんのよ。いいのよ、彼は何も知らずブロックされたんだから。いい気味じゃない。そもそも、あんな不実な男は私の方からお断り。婚約者の彼女も、ご愁傷様だ...」
―ガンッ。
すると新太郎は赤い顔のまま、突然足元の電柱を思い切り蹴り上げた。
「お前さ、いつまで無駄に強がってんの?普段は強気ぶってデカい口叩いてる癖に、いざ男に傷つけられたら泣き寝入りかよ。ダセェんだよ」
一体なぜ、新太郎がキレているのか。理恵子は状況が掴めず唖然としてしまう。
「つーかお前、そいつに抱かれてんだろ?ムカつかねーの?傷ついたんじゃねーの?ならカッコつけずにハッキリ言えよ。女子アナの婚約者?ふざけんなよ。週刊誌にスキャンダル売ってやれよ!?
何が“ご愁傷様”だよ。一番可哀想で嫌な思いしてんのは理恵子だろ!?」
ポロリ、と涙が流れた。
そうだ。自分でもよく分かっていなかったが、失態を繰り返して情けないとか、プライドが傷つけられたとか云々よりも、理恵子は深く深く傷ついていた。
それは悠介だけに限らず、ここ最近の災難すべてに当てはまる。けれどその傷に目を向け、向き合うことは避けていた。
プライドという鎧で身を固め、何でもない風を装うことでしか自分を守る術が分からなかったからだ。
「理恵子...お前本当はそんなに強くないだろ。無理にイイ女ぶるのやめろよ...」
一度溢れた涙は止まらず、理恵子は気づけば小さな子どものように泣きじゃくっていた。思えばこんな風に涙を流すのなんていつぶりだろう。
下手すれば、大好きな愛犬が亡くなった中学生の頃まで遡るかもしれない。
すると突然、今度はふわりと温かなぬくもりに包まれた。
―!?
次の瞬間、新太郎に抱き締められていると気づく。
彼の吐く息が後頭部に感じられ、その身体からは干し草のような懐かしい匂いが漂う。
理恵子は新太郎の行動よりも、思わず胸が大きく高鳴った自分自身に驚いた。しかし、反射的に新太郎を突き飛ばしてしまうと、その場を全速力で立ち去っていた。
35歳のヤバい男女...。その着地点は...!?
アラフォー女の誓い
―理恵子、今夜は19時に『フレンチキッチン』よ。遅れないでね!!
数日後。
理恵子は茜からのLINEに急かされるようにグランドハイアット東京へと急いでいた。
あれから、新太郎とは連絡を取っていない。というより、いつもしつこい連絡はパタリと止んでいた。
あの夜は、新太郎のお陰で嫌というほど一晩中泣きじゃくる羽目になった。
そのため翌朝は信じられないほど顔が腫れ上がり、自分の美しい顔がこれほど醜くなれるものなのかと驚愕したくらいだ。
オフィスにも行けずに家で仕事をするという理恵子らしくない選択をしたし、化粧もせずに部屋着のまま家に引きこもるのも実に久しぶりだった。
けれど、とことん廃人染みた1日を過ごしたせいか、その翌日には体の毒がすべて抜けたように心が軽くなり、不思議なくらいすっかり元気を取り戻していた。
そして今夜は、茜と久しぶりにディナーの約束をしている。
最近は彼女の夫の束縛もだいぶ弱まり、夜も外出できるようになったそうで、大層張り切っている様子だ。
そうして店で茜の名前を告げると、ダイニングを通り抜け、奥のシェフズテーブルに案内された。
―あれ、個室...?
「パンパンパンッ」
何かの間違いかと思いながら足を踏み入れると、今度は大量のクラッカーの音に迎えられる。
「理恵子、お誕生日おめでとう〜!!!」
よくよく部屋の中を見渡してみると、そこは理恵子の友人知人で溢れていた。茜はもちろん、後輩の麻美、会社の仲間もいれば裕司のような古い友人たちもいる。
祝福の言葉を浴びせられ、賑やかに乾杯が交わされる中、理恵子は驚きのあまり声も出ない。
―そうだ。私、誕生日だったんだわ...。
すると今度は、突然部屋が真っ暗になった。
「わぁ、コレって...」
そして運ばれてきたケーキを見て、理恵子は思わず歓声を漏らす。その黒い箱が特徴的な美しいケーキは、“幻”と名高い『ete』のものだったのだ。
予約困難であるため、興味はあってもなかなか手に入らない憧れのケーキだ。
「すごい...。どうしたの、これ...」
これほどのサプライズに嵌ったのは、ひょっとすると人生初かも知れない。
「新太郎くんよ。理恵子はお祭り騒ぎが大好きだからって、彼が全部企画してくれたの」
「え?」
「ほら、コレも新太郎くんからよ。ニコライ・バーグマンでオーダーしたんですって。どうせなら、誕生日の理恵子はゴージャスな気分を味わった方がいいって」
そうして出てきたのは、巨大な真紅のバラのアレンジメントだ。しかし、この部屋に新太郎の姿はない。
「な、なんで新太郎が...」
理恵子がなおも戸惑っていると、茜は呆れたように大きく溜息を吐いた。
「そのくらい分かるでしょ?本当、二人して素直じゃないんだから...。新太郎くんも“俺がいたら理恵子が嫌がる”なんて言い出してドタキャンするし」
胸がキュッと締め付けられた。あの夜の、新太郎の怒った赤い顔が思い出される。
「ねぇ、理恵子。私は自由な理恵子が本当に羨ましいし、理恵子らしい人生を楽しめたらいいと思ってる。
でも...本気で自分を想ってくれる男性って、短い人生で何人出会えるかな。そういう人を見過ごして欲しくはないとも思うの」
めずらしく真面目に語る茜の言葉が、すんなりと心に沁みる。
36歳。とうとうアラフォーに突入したにも関わらず、未だ若者のような色恋沙汰を繰り返し、結婚や出産への危機感もそれほど抱けない自分は、きっと新太郎の言う通り一般的には「ヤバい女」だろう。
―あの歳で独身なんて“難アリ”に違いない。
―もう子どもも産めないんじゃないか?
なんて、世間に冷たい目を向けられることはしょっちゅうだ。
けれど誕生日にこうして大切な仲間に囲まれ、自分を心から気遣ってくれる友人がいることは理恵子の誇りだ。
そして何より、今この瞬間、理恵子は実際に幸せで一杯なのだ。
この気持ちだけは、誰に否定されようとも絶対に変わらない。
そして茜の言う通り、他人にどう思われようと、自分にとって大事なモノだけはきちんと見極められる女でいたいと強く思う。
「理恵子、はやく新太郎くんに会ってきなよ。どうせその辺でお鮨でも食べてると思うわ」
茜がそう言い終える前に、理恵子は花束を抱えたまま、その場を飛び出していた。
とにかく、新太郎の顔が見たい。
そして今日だけは、どんな憎まれ口を叩かれようとも、きちんと仲直りをして、自分がお鮨を奢ってあげよう。
理恵子は心の中でそう誓った。
―Fin