「住みたい街ランキング」常連の吉祥寺に起きている「異変」とは(筆者撮影)

「住みたい街ランキング」上位常連の吉祥寺が低迷している。1994年からの20年間で各種商品小売業の売り上げは半分近くにまで減少。東京都平均を3000万円も上回っていた小売業1事業所当たりの年間売り上げは伸び悩み、今では東京都平均に大きく水をあけられている。

パルコ近くのダイヤ街に2017年12月5日に開業したローソンは、1年と持たずに2018年9月末に閉店。また、リクルート住まいカンパニーによる「住みたい街ランキング」では2016年に2位に落ちた後、2017年に1位に返り咲いたものの、2018年には3位に。2015年までの5年間連続トップの人気を誇っていた吉祥寺に何が起きているのか。

吉祥寺にモノを買いに来ているのは?

吉祥寺でモノが売れてない理由を明らかにするには、そもそも吉祥寺に買い物に来ているのは誰か、何を求めてきているのかを知る必要がある。吉祥寺は銀座や新宿、渋谷のように首都圏はおろか、世界中から買い物客が集まる町ではない。ハイブランドショップがないことからもわかるように高額商品が売れる町でもない。


歩いている人の数自体は相変わらず多いものの、買い物をしている人は少ない(筆者撮影)

顧客の中心は、中央線沿線やバス便のある周辺自治体なども含めた近隣エリアに住む人たちである。このエリアは、お屋敷町として知られる御殿山があり、それ以外の地域も含めるとかつては文化人、経済人も多く居住していた。そこに住む人達が吉祥寺に求めてきたのは日常の品でありながら、高品質でほかにはないようなものだった。

そうした品ぞろえで好評を博してきたのが、かつて吉祥寺サンロード商店街(以下、サンロード)に大正13(1924)年の創業以来店を構えていたスーパー「三浦屋」だ。紀ノ国屋、成城石井などほかの地域密着型高級スーパーが取り扱う前からいち早くエスニック食材を置くなど、沿線の新しいものに敏感な人たちのニーズに対応し、地域の先進性や多様性を象徴するスーパーだった。

しかし、2009年にサンロードから撤退。個人的にはその辺りから吉祥寺が徐々に住む人のための町から、不特定多数の来街者の町に変化してきたように思う。

2001年以降の近隣商業施設、特に駅ビルとの食料品・総菜購入客争奪戦に後れを取ったのが三浦屋の致命傷となったが、2010年以降に大型店改装・出店ラッシュが続いたことを考えるとその時期が吉祥寺の転機であったことは間違いない。

2010年に駅ビル・ロンロンがアトレ吉祥寺に、2013年には駅南側の井ノ頭通り沿いにドン・キホーテが、2014年には京王吉祥寺駅ビル、都内最大規模のユニクロ吉祥寺店、ヤマダ電機LABI吉祥寺と大型店開業が続いた。そのくらいからだろうか。「吉祥寺がつまらなくなってきた」という話を聞くようになった。かつての、ここにしかない高品質なものを手頃に買うことができた町が、どこにでもある薄利多売の商品しか売っていない町になってきたのである。

背景には店舗賃料の高騰がある。1972年からこの地で不動産業を営むリベストの、中道通り店・山田妙子氏は「この2年ほど好立地でも空くとしばらく決まらない店舗が出てきた」と今までの吉祥寺ではありえない状況を指摘する。高すぎて決まりにくくなっているのだ。


寂れていた時期もあったが、今では吉祥寺の重要なコンテンツのひとつ、ハモニカ横丁。ただ、10年前、20年前に比べると物販が減少、飲食店中心に変化している(筆者撮影)

どれほど高いのか。好例がシャッター街転じて2000年前後から人気を集めるようになったハモニカ横丁の物件だ。たとえば2坪で15万円の物件があったという。しかも、1階、2階で1坪ずつ、2階へははしご利用というから、実質使えるのは1坪。それで15万円。銀座であれば座って数万円の商売も成立つだろうが、吉祥寺では難しい。

2坪15万円の賃料で成り立つ商売はあるのか

個人が初めての店を出す場合、月額賃料は10万円が目安とされることが多いが、吉祥寺では15万円、20万円でも物件がほとんどない。30万円で無理して出店したケースの不安定さは言うまでもなく、大手しか出店しようがないこともおわかりいただけよう。

そこまで賃料が上がった要因は2つ。1つは都心から大手資本を引っ張ってくる不動産ファンドの存在だ。それまでを上回る賃料を提示されてなびかない不動産所有者は少ない。山田氏はこれまで町になかった店や、にぎわいを生むのに必要な店に自ら声をかけるなどして、町作りを視野に入れた仲介をしてきているが、志だけでは賃料の魅力には勝てない。

もう1つ、吉祥寺ならではの要因が借地だ。吉祥寺には借地に建つ物件が多く、借地料を払う必要があるために店舗の賃料も上げざるをえないというのだ。しかも、所有者は寺。個人のように相続があるわけでなく、現在借地の土地は今後もずっと借地であり続ける。

ではなぜ、吉祥寺の繁華街の多くの土地を寺が所有しているのか。理由は江戸時代、1657年の明暦の大火までさかのぼる。この時の火災で本郷元町にあった曹洞宗吉祥寺が焼失し、駒込に移転するが、江戸幕府は門前の住民に未墾地の開墾のため武蔵野への入植を命じた。それが「吉祥寺」がないのに、地名が吉祥寺である理由なのだが、この時、新たな入植地の中心に寺が作られたのである。

当時の寺は宗門人別帖という、今で言うところの戸籍を管理していたところで、公的な役割を担っていたほか、精神的にも頼られる存在だった。その役割に鑑みると、鉄道敷設時、寺社の所有する土地に鉄道駅が作られたのは不思議ではない。

「新田開発時には駅の北にある五日市街道を中心に幅約36m、奥行き約1140mの、南北に細長い短冊状に地割が行われ、現在の吉祥寺の繁華街の中心部には月窓寺、光専寺、蓮乗寺、安養寺という4寺が配されていました。その所有地が現在のサンロード付近から東急のある通り・公園通りまでを含んでいるのです」と、20年余りにわたって吉祥寺の歴史を研究している明星学園の高橋珠州彦氏は説明する。

つまり、現在の問題の遠因は江戸時代にあったのである。といっても借地が悪いのではない。ハモニカ横丁が現在まで残ってこられたのは、権利関係が複雑であることに加え、借地所有者が営利第一ではない寺社だったから再開発が行われてこなかったことも理由である。相続税が安くて済む借地だったから残ってきた建物や事業はほかにもある。

大手に気を許したらシャッター街化も

今も寺社が土地価格から乖離した高額の借地料を求めているわけではないはずだ。だが、借地料が家賃をより上げる方向に働いているのも事実だろう。

高額でも店を出す人がいるからと市場原理に任せていると、人気の町の賃料は止めどなく上がり、収支が合わなくなってくる。吉祥寺の場合、そこにファンドや借地という条件が重なり、危機的な状況に陥りつつあるのだ。

「景気がよく、吉祥寺店が多少赤字でもほかの店舗の収益でやっていけている間は大手チェーン店も出てくるでしょうが、いったん何かあった場合には不採算店は切り捨てられる。気を許したらシャッター街化もありうるかもしれません」と山田氏は懸念する。といっても、上がりすぎた賃料を不動産会社がどうこうできるはずはなく、行政も同様。土地の価格に応じて税金を払わざるをえない以上、賃料を下げてくださいとは誰も言えない。

加えてここ数年、吉祥寺の大顧客層である御殿山の購買力が高齢化で著しく落ち続けている。常連客が来られなくなったことで売り上げが大幅減した店もある。相続などで放出された土地にはマンションなどが建てられ、居住人口は増えているが、新たに入居するファミリー層の購買力はかつてのお屋敷族とは比べるべくもない。そもそも、地元で買い物をしない人たちも多く、吉祥寺の顧客は減る一方なのである。

問題を列挙していると気分が重くなる。どこかに問題解決の糸口はないのか。そんなときに有効なのは歴史を振り返ることだと前述の高橋氏は言う。

「吉祥寺に入植したのはもともと、本郷という都会に住んでいた人たち。農作業より商売になじんでいたはずで、実際、五日市街道沿いでは農業の片手間に店を出す人が多かった。そうした積み重ねからか、古くからこの地で商売してきた人は長期的な視点で町全体を考えられる商売人が多い。排他的でなく、新しい人たちを受け入れ、仲良くしてきた。危機にあたっては『人が出入りする場所という町のDNA』を振り返ることが大事でしょう」

歴史は問題を作り出した要因であると同時に解決を示唆してくれる存在でもあるのだ。確かに低迷と言いつつ、吉祥寺には新たな成長企業も入ってきている。

「吉祥寺力」で危機を乗り越えられるか

2014年に中道通りから路地を入った地に1店目を構えたベンチャー企業ノットはその代表格だ。これまで考えられなかったほど安価で若い人でも買えるメードインジャパンの、しかも好みに合わせて会話しながらカスタムオーダーする時計を手掛けている。

これこそがかつての吉祥寺にあった、高額ではないがここにしかない商品である。しかも、この店を盛り立てたのは地元の情報発信力のある人たちだった。新しい人を受け入れ、いいと思えば助ける。吉祥寺らしさが新たな成長企業を後押ししたのである。

そのほかにも2018年6月にサンロードにオープンした、個性的な品ぞろえの日本酒店「未来日本酒店 KICHIJOJI」では、そのすべてを試飲することができる。今年12月にパルコの地下2階にオープンするミニシアターのシネコン「アップリンク吉祥寺パルコ」など今後の成長株も登場しつつある。


12月、パルコ地下2階にオープンする予定の「アップリンク吉祥寺パルコ」。店頭でビラを配るなどPRが始まっている(筆者撮影)

現状は決して明るくはないが、吉祥寺の人たちは、これまでも大型商業施設を商店街の周囲に回遊できるように誘致してきたという商売人たちである。目の前の危機を認識し、お寺さん(ここが多分すごく大事)などの地元の地主も取り込んで、「吉祥寺力」で立ち向かっていけば道は開けていくのではないか。親に連れられての買い物以来、吉祥寺を愛してきた身としてはその日を願ってやまない。