小学校との連絡手段は主に紙!なぜこんなにアナログなのでしょうか?(写真:U-taka/PIXTA)

新聞記者を辞めた後、会社員と女性活躍に関する発信活動、さらに大学院生と3足のわらじを履きながらバリバリ働いてきた中野円佳さん。ところが2017年、夫の海外転勤により、思いがけず縁遠かった専業主婦生活にどっぷり浸かることに。そこから見えてきた「専業主婦」という存在、そして「専業主婦前提社会」の実態とそれへの疑問を問い掛けます。

連絡手段が紙ベース

「子どもが小学生になって保育園時代より両立はラクでは?と言われるけど、むしろ大変! ずっと大変!」


この連載の一覧はこちら

前回記事で、子どもが小学校に上がった共働きの親たちがそう嘆く背景や理由について紹介した。至れり尽くせりだった保育園と違い、小学校にあがった途端、子どもの宿題やら放課後の居場所やらのフォローでてんてこ舞いになる親は多い。今回の記事ではさらに踏みこんで、親たちを困惑させる「学校の仕組み」について迫ってみたい。

親の負担感を増大させるのが、学校によっては非常に「前時代的な仕組み」が残っていることだ。たとえば学校からの連絡。紙ベースまたは口頭での連絡のみ(それを子どもが連絡帳に書いてくる、もしくは覚えてきて親に伝える)など、複雑かつ煩雑なのだ。家中に学校からのプリントが散らばっていて、頭を抱えているという親も少なくない。

・持ち物やイベントの告知がいろいろなプリントにバラバラに書かれていて、見つけにくい。保護者会や家庭訪問の日時の連絡が1週間前とギリギリ
・学校からの連絡のプリントの多さ、情報が多い割に整理されておらず違う内容が複数のプリントで届くなど、とにかく把握と整理だけでも大変
・プリントやお知らせの確認、管理、対応。逆に何のお知らせもなく、子供に伝えて終わることも

紙ベースなのは学校からのお知らせだけではない。千葉県の公立校に息子を通わせる女性が入学時に驚いたのは、家庭から学校への主たる連絡手段が「連絡帳」であること。電話は原則NGで、たとえば病気で休まないといけないとき、近くに住んでいる同級生などに連絡事項を書いた連絡帳を持って行ってもらわないといけない。

「下校時刻が異なるのでなるべく同じ学年の子に預けましょうと言われ、入学したてのときに家の近くの人を探すため、教室に模造紙を掲示してあって、家の場所にシールを貼った」とか。こうした学校はまだまだあることがスリールのアンケートからもわかる。

・欠席連絡を含め、何かあっても連絡は基本的に連絡帳。電話をかけてはいけない
・小学校へ休みの連絡は連絡帳。近所に同級生がいないため、友達へ届けるのも手間がかかる。子どもはおばあちゃんちへ預け、連絡帳は友達へ届け、帰りも友達の家へ取りに行く

病欠の場合、具合の悪い子どもを置いて友達の家まで行ったり、通学路で連絡帳を届けてくれる小学生を待ち構えたりしないといけない。親同士が、そのために連絡を取り合う必要もあり、近所の親同士のネットワークを作る必要も出てくる。当然のことながら、連絡帳を託される家庭のほうにとっても負担だ。

にもかかわらず、この前時代的な方法が続いている理由は、電話だと回線が限られる、先生たちも多忙で電話対応していられない、メールは先生たちが保護者と私的にアクセスできないようになっている……などのようだ。

変わらない理由

だが、学校の代表連絡先があってメールや電話で連絡を入れられる学校や、民間業者のお知らせメールシステムを導入していて、それで出欠登録ができる学校もある。自治体や学校により、かなりアナログ度合いには幅がある。どうしてこんなに差が出てしまい、またアナログ学校がなかなか変わらないのはなぜなのだろうか。

9月、文部科学省は全国の教育委員会などに対し、子どもの荷物の重量などに配慮するよう求める通知を出した。子どもの荷物が重すぎることが問題視され、宿題に使わない教科書などを学校に置きっぱなしにしてもいいという話だが、文部科学省がお達しを出さなくては判断ができない構造を浮き彫りにもしている。

ある公立校の保護者によれば、この通知が出てからも一向に状況は変わらず、学校に問い合わせたところ「まだ教育委員会から連絡がないので……。各家庭でご判断を……」とのことだった。上から通達がないと動けない学校。「こんなに自主性のない学校で子どもの自主性は育つのでしょうか」と保護者は首をかしげる。

これに加え、予算の少なさも拍車をかけている可能性がある。経済協力開発機構(OECD)によれば、国内総生産(GDP)に占める教育への公的支出の割合は日本は3%程度。比較可能な34カ国中、つねに最低クラスだ。教育社会学者の本田由紀氏は『「家庭教育」の隘路』や『社会を結びなおす』で、日本は教育の公的支出が諸外国より少なく、家庭(主に母親)が教育の重要な役割を担って公的な仕組みを補ってきた構造を指摘している。

先生たちはすでに長時間労働で余裕がない。文科省が実施した2016(平成28)年度の公立校教員の勤務実態調査によると、中学校教諭の約57%、小学校教諭の約33%が、「過労死ライン」(おおむね月80時間超の時間外労働)を上回っていた。保護者の利便性を向上させるためにもっと働いてくれというつもりはない。教師たちも保護者も楽になるようなインフラ、場合によっては人材への投資が必要ではないか。

これまで小中学校の事務職員は基本的に学校全体でたった1人の配置だ。文部科学省は、従来教員がやってきた授業の準備や配布物の印刷などの事務作業を代行する「スクール・サポート・スタッフ」を全国の公立小中学校に配置する方針を決め、今年度から実施をしている。こうした国全体の姿勢で、今後変わっていくことを期待する。

PTA、授業参観で有休が足りない

小学生の親たちの中でもとりわけ共働き家庭を特に苦しめるのは、親が駆り出される学校関連の活動が平日昼間にしょっちゅう行われることだ。

・PTAの活動が平日。パトロールが14:30くらいから2カ月に1回あるが、出られないときは代理を立てなくてはいけない
・PTAの委員を引き受けたが、委員会は平日昼間にしか開催されず、生産性が大変低い打ち合わせで、作業改善を提案しても聞き入れてもらえない雰囲気
・授業参観やPTAの仕事は、すべて平日の昼間に行われ、仕事をしていても関係なく招集される。毎月2日くらいの頻度のため有休だけで対応するのは困難
・PTA活動や保護者会が平日で、仕事に早退も遅刻もできない時間に開催されるので、参加できない

PTAについての現状や歴史的経緯は黒川祥子『PTA不要論』、岩竹美加子『PTAという国家装置』などに詳しい。学校により温度差はあるようだが、これらの書籍からは、おそらくときに怒りに震えながら、非効率で強制的な「苦行」をしなければならなかった理不尽が綴られている。

背景には、主に母親の労働力を基本的に「無料」として扱ってきた社会の構造があるだろう。専業主婦が大半であった時代には、それでよかったかもしれない。しかし、ベルマークを集めて仕分けする、といった前時代的な活動に象徴されるが、そこに機会費用がかかっていることは見過ごされている。

実はアメリカの教育社会学の文献を読んだり筆者自身がシンガポールでインターナショナル校に子どもを通わせたりするなかで、親が度々学校を訪れ、ときにボランティア活動をするのは日本だけではない……どころか、日本よりも高頻度であるように感じる。ただし、他国では通常「任意」であり、ボランティアはできる人がすればいいという姿勢で、親たちはそれを平等に負担することを求めない。

たとえば、著者の息子が通う学校では、もうすぐPTA的な親の組織主催のハロウィンのイベントが平日の放課後に開かれる。参加する家庭は子どもがゲームなどに使えるチケットを5ドル(400円程度)で購入するのだが、親が当日設営を手伝う場合は5ドルは免除され、チケットが無料でもらえる。そもそも参加しなくても何の問題もない。やれる人がやる、できなければお金で解決する選択肢も、そもそも参加しない選択肢も作る。日本のPTAにもこのくらいの柔軟性があればいいのだが…。

学校の仕組みだけが問題なのではない。学校の活動に参加したいと思っても参加しにくいのは、日本の職場状況にも起因する。シンガポールに住んでみて、もう1点日本と大きく異なると感じるのが職場での「子ども関連行事」に対する見方だ。もちろん職種などによるが、いわゆる会社員において、父親であれ母親であれ子どもの学校の行事などに参加するために仕事を休むのは「普通」だ。

これに対し、日本の職場で小学生ママたちがかけられる言葉は、「もう小学生になったから、仕事に全力かけられるよね」「いつまでママキャラでいるつもりなの?」といったもの。小学生の子どもを持つ親たちが、連絡帳だのPTAだの、こんなにカオスな状況を抱えながら仕事をしているとは職場の上司や同僚は想像もつかないのではないか。

法制度面のサポートも手薄だ。労働基準法の看護休暇も対象は就学前の場合。インフルエンザの蔓延で学級閉鎖が起こり、元気なのに学校に行けず預かってくれる場所がない……ということも起こる。就学前は使えた時短勤務が使えなくなるケースも多い。

女性活躍の歯車をまわすために…

前回記事でも紹介した株式会社スリールが今年実施した調査によれば、「小1の壁」が原因で転職などの働き方を検討したというケースは25%に上る。ある外資系企業に勤めていた女性は、公立学童が18時15分閉所で、定時の18時まで働いてお迎えに行くと間に合わず、民間学童も入所を断られた。「6歳に鍵を持たせて1人で留守番させることは心情的にできなかった」と退職して一時、専業主婦になった。

別の女性は実家のサポートを得ながら会社員として忙しい毎日を送っていたが、1学期が終わる頃に子どもが正しい書き順でひらがなを書けないことなどに青ざめ、パートに切り替えたという。フリーランスや短時間正社員など、幸い働き方は多様になってきてはいるが、小1の壁は女性活躍推進を目指す企業にとって、管理職になってほしい年代の女性がこぼれ落ちていってしまう要因にもなっている。

しかも、残念なことに問題は小1では終わらない。子どもが小学3年生になって働き方を変えた管理職の女性は、「小1の壁って、1回突破したら終わるかと思っていたら、小3とか小4の壁もあって、学童保育が使えなくなるというのと、それくらいで急に勉強が難しくなるんですよね……。課長レベルならどうにかなったかもしれないけど、昇進するにつれ難しくなった」と話す。

学校側があり方を見直していくこと、そして企業側も子育て家庭で起こっていることの状況を理解し、サポート体制をつくっていくこと。エコシステム全体がアップデートされなくては、共働き急増社会、そして女性活躍の歯車は回らない。

送り迎えに父親が来ることも多くなっていた保育園時代と異なり、PTAは会長職を除いて、保護者会などもさらに父親が少なく参入しにくい雰囲気で、母親の負担が重い世界と指摘する声もある。さびついた体制を前に、母親が家庭に縛り付けられてしまう状況がまだまだ残る。