企業が”公表”している「求める人物像」は、参考程度にするだけで構いません (写真:Fast&Slow / PIXTA)

企業の採用基準はどうなっているのか――。

9月25日の配信記事「就活『学歴フィルター』がなくならない真因」で、学歴フィルターの話にも触れましたが、企業は「優秀な人材」を採用することに躍起になっています。学歴をその尺度として使っている企業がまだまだ多いというのが現実ですが、一方で優秀な人材は、企業によって実は微妙に異なっています。


A社から内定を得られたのに、B社の内定は得られなかった人がいる一方、B社の内定を得たが、A社には縁がなかった……このような例はたくさんあります。こうした採用結果が企業によって、なぜまちまちに起こるのかというと、「求める人物像」が企業によって異なるからです。

企業が求める人物像は、企業が採用するときに提示されています。「主体的に行動し、何にでもチャレンジできる人」や、「コミュニケーション力があり、問題解決力がある人」といった言葉が、募集要項の中に記載されています。

求める「優秀な人材」は企業によって違う

では、その公表している「求める人物像」を、どれだけ信用していいものなのか。私自身の経験や、人事の方と話して思うのは、信用度に差があるものの、基本的に参考程度でよいということです。公表された言葉をそのまま鵜呑みにするより、掲げていることがどの程度信用できるか、企業と直接会って判断してほしいということなのです。

そう思う主な理由としては、(1)求める人物像だけを採用していたら計画に必要な採用人数を採用しきれない、(2)そもそも公表している「求める人物像」がズレている場合がある、(3)求める人物像をいくらキッチリ掲げていても、面接官の判断はその通りにならない、ということなどがあるからです。

まず1つめの「必要採用人数」の話です。

これは誰でもわかる話ですが、今は売り手市場のため、どの企業も必要採用人数の確保に苦労しています。求める人物像を決めて、ピッタリの学生だけを採用することにこだわっていたら、人数が確保できないということが起こりえます。人気企業は別として、多くの企業がどこかで妥協をしているのです。

多くの企業が求める人物像の中でも、絶対にはずせない要件(MUST要件)と、あったらよい要件(WANT要件)とで、実際にはわけています。公表された求める人物像の全てを満たしていなくても、「どれか満たされていれば、可能性はある」くらいに考えてよいと思います。

2つめの「公表している求める人物像」のズレですが、そもそも求める人物像がしっかり練られていない企業が少なくありません

新卒社員の採用の場合、基本的に総合職採用が多く、誰がどんな職種につくかわからないという特性があります。本来は職種によって適性はだいぶ変わってくるのですが、採用してから配属を決めていくため、まずはどんなところでも活躍できそうな基準を軸に、非常にあいまいな人物像を設定しまいがちです。

採用レベルが低い企業になればなるほど、掲げた人物像が判断基準として成立していないこともあります。採用レベルの高い企業の場合、企業の理念と、その理念をベースにしたビジョンまでを考え、ビジョンを達成するために不足している人材、必要な人材はどんな人材かを考え、そこから求める人物像を設計しています。採用レベルが高い企業は、自社に必要で合う人材を適切に決めているのです。

「どこでも通用する人物像」を掲げる企業も

一方、採用レベルが低い企業は、理念が適当か、もしくはビジョンがありません。本当に必要な人材が見えていないため、未来ではなく、今たまたま活躍が目立つ人材のイメージや一般的に好まれる人物のイメージを重ねあわせ、「コミュニケーション能力がある人」「情熱のある人」「積極的な人」というような、どこでも活躍できそうな、よくある「求める人物像」を作ってしまいます。

「コミュニケーション能力がある人」「情熱のある人」「積極的な人」というのは、どの企業でも求める人物像ですが、残念ながらいずれも能力を測りにくく、何を根拠に能力があると判断するのか、不明瞭なものばかりです。

たとえばコミュニケーション能力について、「いつでも気軽に連絡がとれる友だちが300人います」という学生がいた場合、それでコミュニケーション能力があると判断する人もいれば、「その300人の内訳は? 学生以外の友だちが100人以上いるなら評価できる」「そもそも友だちの数はコミュニケーション能力の基準にならない」などと、判断は人によってあまりにも違ってきます。何がコミュニケーション能力かという定義も、人によってだいぶ異なるでしょう。

その結果、求める人物像として掲げたものの、採用の判断基準としては成立していない事態が起こります。

実際には、コミュニケーション能力は普通に会話が成立するレベルがあれば十分で、それよりも煩雑な事務をミスなくこなすことができる人材が必要なのに、本当に必要な人物像が練られていないため、求める人物像では、ただ「コミュニケーション能力がある人」と公表してしまっていることがあるのです。

また、ズレには、経営陣と現場のズレというのもあります。

まずは、どちらかというと長く歴史がある企業に多い、と感じる事例です。経営陣は未来の経営に対する危機感が強く、時代の変化に合わせられる強い人材を切実に求め、「挑戦心を持つ人材」「新しい価値観を持つ人材」などという人物像を掲げ、それに従って人事は求める人物像を公表しますが、現場はどちらかというと保守的で、挑戦心や新しい価値観より協調性や真面目さを重視する場合があります。そちらのほうがマネジメントしやすいイメージを持つからです。結局、現場の面接官が経営陣だったらほしいと思う人材を、選考で落としてしまうということがあるのです。

これは、経営陣が見ている視界と、現場が見ている視界の違いから生まれる「選考基準のズレ」から起こる悲劇です。

こうした問題が生じる企業の背景には、経営陣の考えが現場まで浸透しきれていないことや、今の現場にはいない新しい人材を採用したいのにもかかわらず、経営陣が採用に対する関わりを疎かにし、現場に採用を任せきってしまっていることが挙げられます。

こんなズレの例もあります。求める人物像にマッチした人材に出会い、「すごく優秀な人材が来た!」と自信を持って人事から推薦したのにも関わらず、経営陣から「確かに優秀だけど、うちの会社でこの優秀な人材を本当に使いきれるの? そんなに任せられることがある? 先輩社員と一緒に働いて失望して辞めない? オーバースペックのような気がするけど、どう?」などと言われて、不採用にしてしまうことがあります。

社員より優秀すぎる人材はつなぎとめられない

新卒採用で多くの人事は、企業に今いる人材より能力が1〜3割増し程度の優秀人材を入れられれば、組織を活性化させて、組織力を向上させられると考えています。しかし同時に、その企業に今いる人材の能力を超える素質を持つ新卒を、選考中も入社後も、企業に長い間つなぎとめていくのが本当に難しいという悩みは、人事の間でも共有されます。

結局、掲げた求める人物像がすごく立派なものでも、その企業で長く活躍できるのは、今の企業の人材のレベルから大きく離れていない人だということは、企業側もわかっています。しかし、採用する人材レベルを落としたいわけではないので、あえてリアルに求めている人物像を公表するのではなく、より優秀な人物像を掲げ、最終的には、ちょっと背伸びをして届く範囲の人材を採用したいという思惑があったりするのです。よって、優秀すぎて選考されないというケースもあるのです。

3つめの「面接官の判断」ですが、結果的に、いくら求める人物像を固めても、なかなか面接官がその通りに判断してくれないのが実状です。面接官に選ばれるような社員の多くは、それなりのポジションにいる方なので、自分の考えや経験に自信を持っている方が多く、いくら人事が人物像を設定しても、独自の考えや経験を重視して判断することが多々あります。論理的に考えた選考基準が、その面接官の独自基準で一気に吹き飛ぶことがあるのです。

たとえば「声が小さい人はダメ」「選考で〇色のネクタイしてくる学生はダメ」「最初に立ってあいさつしなかった人はダメ」「魚をきれいに食べられない人はダメ」「〇〇大学の××学部出身はよい人材が多い」「野球部出身者はよい」「最後に質問ありますかと聞いて、△△を聞いてくる学生はよいが、□□を聞いてくる学生はダメ」などなど……。その面接官の経験から来る思い込みが判断基準となっており、そこに論理的な根拠はほぼないということがあります。

人事関係者で集まり、「社内の面接官が言い放った、ビックリする合格理由、不合格理由」というテーマで話をしたら、まちがいなく盛り上がると思います。面接での選考判断基準はあいまいになりがちなので、一概に面接官を責められないのですが、設定した判断基準とあまりにも関係ないことで選考される場面も、決して少なくないのです。

面白いのは、書面やデータ上では論理的に判断しようとする傾向が強いのに、いざ人と直接会うと、いい意味でも悪い意味でも、判断基準が論理ではなく感情に左右されやすい、という印象があります。ほしい人物像をしっかり理解している面接官でも、学生と直接会って、学生の持つ雰囲気や発する言葉などに影響され、自分の好みの人物像で判断しまうことがあります。

ほかにも、判断基準が多すぎて見極める時間がなくなり、最終的に面接官の単なる印象で決めてしまっている企業の話、特に人が集まらない企業ほど、学生の情熱に弱い傾向がある話などもありますが、今回は割愛したいと思います。

あいまいな理由で選考が通過しないこともある

いずれにしても、公表している求める人物像は、「嘘ではないが完璧に正確なものでもない」ということです。

学生の立場から見れば、無駄な活動を少しでもなくしたいので、企業側が求める人物像を明確に設定し、どんな人が受かるのかを分かりやすくしてほしい、という要望はあるでしょう。企業側もできる限りその努力をすべきだと思うのですが、これまで書いてきた通り、求める人物像の正確な明確化はかなり難しく、労力をかけて設定したところで、その設定に無い判断基準が多く生まれてしまうということはあります。

そこで学生の皆さんに強くお伝えしたいのは、言葉で書かれていることを鵜呑みにせず、まずは直接、企業に足を運ぶことを重視した方がいいということです。企業の価値観や風土について、直接感じ取ることを積極的にしてほしいのです。

また、選考基準が明確にできないということは、あいまいな理由で選考が通過しないこともあるということです。よって、選考通過しないことがあっても、そのことをあまり引きずらず、縁がなかったと割り切り、次にどんどん進んでほしいのです。選考に通過しなかったことで、自分に自信を無くし、行動を止めることはマイナスです。自分の可能性を、限られたある一部の見方による評価で、勝手に判断する必要はありません。

多くの企業や、そこで出会う人を通じて、働くことへの理解と世界が広がり、自分に合った企業や職場がより明確に見えてくることは、よくあることです。一生懸命な就活を通じて学生が成長するという話も、人事間で盛り上がる話です。

身だしなみや、エントリーシートのエピソードの作り方、面接時の話し方など、選考に通過するために必要なスキルがあることは事実です。スキルの話はまた別の機会で触れますが、そうしたノウハウ系の事柄は、学習して訓練すれば、ある程度身につけることができます。

いくらスキルを身につけても、自分に合った企業に就職するには、その企業とまずは出会わなければいけません。求める人物像が自分と合致し、能力を最大限発揮できる企業と出会うためには、幅広く企業に興味を持って直接足を運ぶことを、できる限り行ってほしいと思います。