独身オンナが黙ってない:「ただ、結婚してないだけなのに…」。33歳女を待ち受ける、独身ハラスメント
ーただ、結婚していないというだけなのに。
30代独身だというだけで、蔑まれ虐げられ、非難される…。その名も、独身ハラスメント。
それとは一切無縁だったはずの莉央(33)は、ある日突然、独身街道に再び投げ出される。彼女を待ち受けるのは、様々な独身ハラスメントだった。
-結婚だけが幸せの形だなんて、誰が決めたの…?
そんな違和感を強く抱く莉央。自分なりの“幸せの形”を見つけるため、奮闘の日々が始まるのであったー。
「莉央さん、聞いて!私、“独ハラ”にあったんです!」
「ド…ドクハラ?」
同僚から放たれた聞きなれぬ言葉に、莉央は目を見開いた。
「独身ハラスメントですよ!私が独身だからって、お客様から酷いこと言われたんです。結婚してないだけなのにあんなこと言われるなんて、完全な差別です!」
物凄い剣幕でまくしたてる同僚・亜樹の顔を呆気に取られて見つめながら、莉央はその日の午前中の出来事を思い返していた。
◆
事の始まりは、莉央が働くアパレルブランドのオフィスにかかってきた、一本の電話だった。
「はい、大変申し訳ありません!…いえ、そういうわけではなく…誠に申し訳ございません…!」
打ち合わせを終えた莉央がデスクに戻ると、受話器を片手に平身低頭して謝る亜樹の姿が目に飛び込んできたのだ。
「…亜樹さん、どうしたのかしら?クレームみたいだけど?」
莉央が、近くにいた女性社員に尋ねると、彼女は顔をしかめて呟いた。
「ほら、いつもの…あのお客様からのお電話です。さっきから亜樹さん、あんな調子で謝りっぱなしで、もう30分以上ですよ」
その顧客は、莉央も何度も耳にしているほど常連のクレーマーである。年間購入金額は相当のものだが、小さなアラを探してそのたびに苦情を言うので、厄介なことで有名なのだ。
今回のクレーム内容は、メールマガジンの配信時間が気に入らないというものらしい。
昨日、サーバーの不調でいつもより1時間半遅れの20時半配信になったことが、“小さな子供がいるのに夜間のメルマガは迷惑だ”という苦情につながったようだ。
すっかり困り果てている亜樹に向かって、莉央は、慌てて小声で囁く。
「亜樹さん。電話、代わりましょうか」
その後は結局、莉央が電話に出て対応すると、彼女はすぐに機嫌を直したようだ。
「まあ、マネージャーさんなら話が早いわ。さっきの仲野さんったら、メルマガが迷惑なら解除すればいい、なんて失礼なことおっしゃったの」
そして尖った声で、こう続けたのだった。
「仲野さんとは展示会で何度かお会いしてるけど…ほら、あの方ってご結婚されてらっしゃらないわよね?独身の人には、小さな子供がいる私の気持ちなんてわからないわよね」
亜樹が直面した、独身ハラスメントとは?
結婚していないというだけで、“人として問題がある”のか?
「莉央さん、迷惑かけてしまってすみません」
電話を終え、再び自分の仕事に戻った莉央のもとに、仲野亜樹がそっと近づいてきた。
「ええ、大丈夫。説明したらわかってもらえたから。でも怒ってるお客様にメルマガを解除しろなんて言うのは火に油を注ぐようなものだから、言い方は気をつけたほうがいいと思う」
莉央が穏やかな口調でそう言うと、亜樹はがっくりとうなだれたまま小さく頷いた。
「はい…。次回からは気をつけます」
莉央がブランドマネージャーを勤めるのは、「Noemie(ノエミー)」という高級レディースブランドだ。
社員数は30名程度と、決して大きくはないが、今飛ぶ鳥を落とす勢いで売れているアパレルブランドである。
新卒以来、大手アパレル企業で働いてきた莉央が、現在勤める会社の女社長と知り合ったのは、出版社主催のパーティーだった。
フランス人の父と日本人の母を持つ女社長は、12年前に独立して現在のブランドを立ち上げた。社長からブランドマネージャーとして引き抜きの打診を受けた時、ブランドの勢いと将来性、大幅な年収アップに魅力を感じた莉央は二つ返事で承諾したのだ。
そして入社して、半年が過ぎようとしている。
◆
「…それで、独身ハラスメントにあった、だなんて、一体どういう事?」
東京ミッドタウンの『ナプレ』でランチをしながら、莉央は亜樹に向かって聞き返した。
クレームの一件の後、肩を落としている亜樹を見かねて、ランチにと誘い出したのだ。
亜樹は、莉央より3歳年上の36歳だが、ポジション的には部下にあたる。
「さっき、お客様にすごく嫌なこと言われたんです。“独身のあなたにこの話は通じないから、別の人にすぐにでも代われ”って。そんな発言されて、ついカッとなって…」
「そうだったの…。それにしても“独身ハラスメント”だなんて。気にしすぎよ、亜樹さん」
励ますつもりで笑顔を向けると、亜樹は先ほどまでの剣幕はどこへ行ったのか、どこか遠いところを見つめている。
「まあ、莉央さんにはわからないか…。私より3つも若いし美人だし…何より、まもなく結婚するんだもの。今後の人生、幸せが保証されてるものね」
亜樹は深いため息をついた。確かに莉央は、5年間付き合った恋人と、2週間後に結婚することが決まっているのだ。
「でも亜樹さん…。結婚が幸せの全てってわけじゃ…」
そう言い終えるよりも先に、亜樹がキッと睨みつけてきた。
「こっちはそう思いたいけど、あいにく世の中の大半の人は、“結婚が幸せの全て”って価値観を押し付けてくるんですよ」
莉央が腑に落ちない顔をすると、亜樹は肩をすくめる。
「独身女はね、ただそこにいるだけで、まるで人として問題があるかのような扱いを受ける。それが現実なんです。幸せ絶頂の莉央さんには、理解できないか」
投げやりな口調でそう言った亜樹の言葉に、ふと疑問を抱く。
-確かに彼と結婚することは嬉しいし、幸せだけど…。結婚だけが幸せの形だなんて言い切れるのかな…?
そんな小さな違和感が、胸の中でくすぶっていた。
だけど、亜樹から「幸せの絶頂」とまで言われたこの日の夜に、まさかとんでもないドンデン返しが自分を待ち受けているとは、想像すらしていなかった。
幸せ絶頂だったはずの莉央が、突然地獄に突き落とされる。
幸せからの、転落
「…ご、ごめん直人、今、なんて言った?」
目黒駅近くのカフェで、莉央は思わず、椅子から転げ落ちそうになった。婚約者の直人が、たった今、耳を疑うような言葉を口にしたのだ。
「だから、俺と別れてほしい。結婚も、なかったことにしてほしいんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ…!」
莉央は勢い余って、人目も気にせず立ち上がる。
「いくら家族のみの小さな式とはいえど、結婚式は2週間後よ!?一体、何があったの?」
「本当にゴメン…。他に好きな子が、できたんだ…」
-う、嘘でしょ…?
確かに数週間前くらいから、結婚式が迫っているというのに、直人からの連絡は以前に比べて激減していた。少しおかしいとは思っていたものの、莉央も仕事に追われて深いことを気にする余裕がなかったのだ。
「前からずっと考えてたんだ。莉央は本当に俺と結婚したいのかなって。婚約してからも莉央は仕事ばっかりで生活のリズムも全然変えてくれないし、転職だって勝手に決めてたし…。それで悩んでる間に、今の彼女に出会って…」
-この人は一体、何を言ってるのかしら…?
莉央が仕事人間なのは今に始まったことではないし、転職の話だって、莉央自身も驚くほど急に決まったことだったのだ。それに、確かに言葉での愛情表現は苦手だけれど、莉央なりに直人を愛していたつもりだった。
「結婚式のキャンセル料はもちろん俺が払っておく。それから、コレ…。傷つけてゴメン…」
そう言って直人はおずおずと厚みのある封筒を差し出した。中からは、札束が覗いている。
「バカにしないで!お金で解決できると思わないでよ!こんなもの、いらないわよ!」
そう叫ぶと、莉央は泣きながらカフェを飛び出したのだった。
◆
それから1ヶ月、莉央は死に物狂いで仕事をした。
ちょうど展示会シーズンと重なって、毎日やることがどんどん積み重なっていく状況に、これほど感謝したことはない。直人との過去を振り切るように、莉央は仕事に夢中になったのだった。
「莉央さん、明日午後イチのアポイントは、取引額が最も大きい百貨店ですので、よろしくお願いします」
前回の展示会は莉央の入社直前の開催だったため、今回が、莉央にとってはこのブランドでは初の展示会だ。
「わかりました。亜樹さん、ありがとう」
「ここのバイヤーがね、前まではかなり横柄な人だったんです。女を見下すタイプ。その人が退職して、新しい担当になった子がすっごくイケメンなんですよ〜」
亜樹は嬉しそうにそんなことを言いながら、展示会用の資料を準備している。そのとき、社長がピンヒールを鳴らしてオフィスに現れた。
「みんな、ちょっといいかしら。明日からいよいよ展示会も始まるけど、重要な話があるの」
期せずして独身の道まっしぐらとなった莉央を待ち受けていたのは…?
「これが、噂の独身ハラスメント?」
急遽、主要メンバーがミーティングルームに招集された。
「来年から、通常のコレクションとは別に、ブライダルラインを立ち上げる予定なの」
「ブライダルですか…!」
その場が興奮でどよめく。社長は皆の顔をゆっくりと見回していたが、莉央のところで視線を止めた。
「それで、ブライダルラインの立ち上げは、莉央に一任しようと思ってるの。莉央は前職でも確か新ブランド立ち上げの経験があるし、頼りにしてるわ。莉央、やってくれるわよね?」
当然、莉央にとっては願ってもないチャンスだ。莉央が「はい、もちろん!」と威勢の良い返事をしようとしたときだった。
「社長、お言葉ですが…」と言って口を挟んだのは、新卒からこの会社に勤めており、現在8年目の優子だ。
「莉央さんは今の業務でかなり忙しいですし、通常コレクションに支障をきたすのは、ちょっと…ねぇ?」
優子は周りの皆に「そうよね?」と同意を求めると、勝ち誇った顔で莉央を見やった。
「それに…。来年にむけて、リサーチの時間もあまりないですよね。莉央さんは、ブランド立ち上げの経験はあっても…」
そこまで言いかけるとわざとらしく言葉を濁し、不敵な笑みを浮かべる。
「なんていうか、ウエディング関係にはちょっと疎いのではないかと。ねえ、莉央さん。トレンドとか、ご存知です?」
-優子さんたら、“ブランド立ち上げの経験はあっても”の後、何を言いかけたワケ?もしかして、独身の私には、この仕事は相応しくないとでも言いたいのかしら?
そう言えば優子は、1年前に結婚したばかりだ。
しかし、莉央だって婚約破棄はされたものの、式直前まで準備に勤しんでいたのだ。
ウエディングドレスだって、何軒もショップをハシゴして納得がいくまで試着したし、ドレスやジュエリー、最新のウエディング事情の研究には仕事なみのパッションをつぎ込み、プロ顔負けのレベルにまで知識を深めた。
「いえ、足りない部分は勉強で補いますし、責任を持って務めさせていただきます。ありがとうございます」
こちらを睨みつける優子の視線にひるむことなく、莉央は毅然とした態度でそう言って、にっこり微笑む。
優子の苛立ちを帯びた表情にぞっとして顔をそむけると、亜樹と目があった。そのとき、1ヶ月前に亜樹が口にしたあの単語が、とっさに頭に浮かぶ。
-独身ハラスメント…。
そして今、莉央をまっすぐ見つめる亜樹の目は、「だから言ったでしょ?」とでも言わんばかりだ。
莉央は、これから恐ろしい戦いが始まるような気がして、拳をぎゅっと握りしめたのだった。
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既婚女子からの攻撃がついに本格化。そして莉央には新しい出会いの予感…。