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 現在、全国に100万人以上いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は今年初めて、40歳以上を対象に実態調査を行うと決めた。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。
(ノンフィクションライター 亀山早苗)

<第2回>
高野京子さん(仮名=79)、富永裕子さん(仮名=70)のケース

「疲れ果てて、娘を殺して私も死のうと思ったことがあるんです」

 衝撃的な言葉を発したのは、とある家族会講演会で出会った高野京子さん(仮名=79)だ。小柄でやせた京子さんは、そのまま口を真一文字に結んだ。49歳の娘と2人暮らしだが、この娘が30年以上もひきこもっているのだという。

娘の暴力に耐えた絶望的な8年間

「娘は高校のときいじめに遭っていたらしいんです。でも何も言わないからわからなかった。休みがちになって、そのまま登校しなくなって。夫が怒鳴りつけたので、部屋から出てこなくなりました」

 京子さんも最初は説得を試みた。自分がてきぱきしていてはっきりモノを言うタイプゆえにおとなしい娘を歯がゆく思うところもあった。「友達にもお父さんにも、もっと自己主張したほうがいい」とドア越しに話しかけたこともある。だが、事態は改善しない。娘は頑(かたく)なに部屋の鍵を開けようとはしなかった。

 京子さんにできるのは、娘の部屋の前に食事を置いておくことくらいだった。娘は夜中にそれを自室で食べ、朝になると食器だけが廊下に出ている。

 娘の部屋の鍵が開くのを待って、夫が乱入したこともあった。娘はまるで子どものように泣き叫んだ。「野中の一軒家じゃないんだから、こんな夜中に大騒ぎしないで!」と京子さんが間に入って止めた。そうこうしているうちに夫は諦(あきら)めてしまったという。

 そんな状態が20数年続き、8年ほど前、京子さんの夫が病気で亡くなった。怖かった父親がいなくなったので、娘はときどき自室から出てくるようになった。

「そこから徐々に私に対して不満をぶつけてきて……。“おまえがあんな男と結婚するから、私の人生が台無しになった”“どうして私の人生の線路を敷こうとしたんだ”と泣きわめくこともありました。突き飛ばされて転んで前歯を折ったり、肋骨にヒビが入ったりしたこともあります。私も最初は抵抗しましたが、力では娘に勝てない。“もうお父さんもいないのだから、好きに生きればいいじゃないの”と言ったら、“おまえもアイツと一緒だ”と蹴(け)られました。絶望的な日々でした」

親の高齢化を懸念『8050問題』

 2016年、内閣府は15歳から39歳までの「ひきこもり」が全国で推計54万1000人いると発表した。この調査は2010年、2015年と2度にわたって行われたが、いじめや不登校をきっかけに起こる「子ども、若者の問題」ととらえられていたため、40歳以上は調査の対象にされてこなかった。

 だが、'15年の調査でひきこもりの期間7年以上が34パーセントを超えたことが判明。当事者の年齢も上がっていると予測された。

 それを受けて内閣府は、'18年度に初めて、40歳〜59歳を対象とした全国調査の実施を決めた。ひきこもりが長期化すると、親も高齢化し、介護が必要となったり経済的にも精神的にも苦しくなったりして家族が孤立化するおそれもある。親が70代、子どもが40代での問題は「7040」問題と呼ばれてきたが、今はすでに「8050」問題も浮上している。80歳になってひきこもりの子を抱える親の気持ちを考えると切ない。本当に親だけがいけなかったのだろうか。

 49歳でなおひきこもりを続けるひとり娘と暮らす京子さんは、まさにその「8050問題」に直面する当事者親子なのだ。

 子どものひきこもりが長期化すると、親たちはどういう気持ちと苦悩を抱えて日常を過ごすことになるのだろうか。

妻から見た「夫」、娘から見た「父」

 一軒家だから家賃の心配はいらない。夫の遺族年金と京子さんの国民年金で細々と暮らしている。ただ、ひとりっ子で、頼れる親戚もいないことから、母と娘は世間から隔絶されたように生きてきた。

「長い間、娘がひきこもっていると誰にも言えなかったんですが、あるとき娘の小学校時代を知っている人に偶然会ったことがありまして。気が弱くなっていたんでしょうね、つい“娘がひきこもっていて”と愚痴をこぼしたんですよ。そうしたらその方がいろいろ調べてくれて、家族会というものがあるから行ってみたらとすすめてくれました。

 家族会に来ると、“うちだけじゃないんだな”と少しだけホッとします。だからといって解決にはならないんだけど。ただ、一時期のような切羽詰まった気持ちは少し薄らぎました」

 自分の気持ちが少しでもラクになると、娘の一挙手一投足に目を光らせなくなる。それが娘にもいい影響を及ぼしたのか、このところ罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられることはあまりないという。

「どうしてこうなってしまったのかと考えると、ときどき胸が苦しくなります。夫は娘が小さいころから溺愛していて、娘に私立高校をすすめたのも夫。ただ、それが娘には合わなかった。合わないだけでなく、父親を恨むようになったのかもしれません。夫はちょっと強権的なところはあったけど、それはあくまでも娘を愛するがゆえ」

 同じ男性であっても妻から見た夫と、娘から見た父親像にはやはり乖離(かいり)があるのだろう。娘の抱く父への嫌悪感や拒絶感を、京子さんが理解するのはむずかしいのかもしれない。京子さんの娘と父親との相性もあるだろう。

「娘にどうなってほしいという希望は、もうあまり抱いていません。ただ、私は私の人生を放棄しないために、同じ境遇の人と会って少しでも元気をもらおうと思って……」

 京子さんは弱々しくつぶやいて立ち上がり、ゆっくりと杖(つえ)をついて歩いていった。今もほとんど外出せず、自室にこもることが多い50歳になる娘。京子さんにしてみたら、せめて家事を手伝ってほしいという気持ちもあるだろう。 

 だが、「そんなことさえ、もう言わずにいるの。もう何も期待していないから」と京子さんは背中を見せた。

家族とはうまくいっているけれど

 一方、家族とはうまくいっているものの、なかなか社会に出られない40歳の息子を抱えているのは、富永裕子さん(仮名=70)だ。大学を出て就職した息子が、社内の人間関係につまずいて退職したのは25歳のとき。そこからうつ状態になってひきこもった。

「もともと明るくて元気な子だったし、病院にも通っていたから、しばらくすれば、また働くようになるだろうと思っていたんです。何があったのか聞いても詳しくは言わなかった。ところが1年たって、もう大丈夫そうに見えても仕事を探そうとしない」

 裕子さんは焦った。

「普通に働いて、普通に結婚してほしいだけなのに、どうしてこの子は働こうとしないのか」という心配が怒りにつながり、がみがみ言ったこともある。すると、息子はますます自室から出てこなくなる。

「夫のほうが大らかで、まあ、もうちょっと様子を見よう、と。少しすると、ときどき出かけるようになりました。もともとあまりお金を使わない子なので、会社員時代に多少の貯金があったようで、それを取り崩していたみたい。どこに出かけるかは言わなかったけれど、当時、好きなアイドルがいてコンサートなどに行っていたのかなと思います」

 ただ、お金がなくなってきたのか、だんだん出かけなくなっていった。その一方で、こんな変化が見られるようになった。夫にたしなめられて裕子さんが文句を言うのをやめたためか、夜になると自室から出てきて一緒に食事をとるようになったのだ。

「それでも時間だけはどんどん過ぎていきますからね。20代後半になったころ、夫が知り合いに頼んで仕事を世話してもらったことがあるんです。本人もこのままではいけないと思ったのか、働くと言って。でも1か月ももたなかった。それからはときどき短期のアルバイトをして、あとは家にいるという生活です」

「普通に働いてほしいだけなのに」

 夫は現在77歳。今もフルタイムで働いているが、賃貸マンションで暮らしていることもあり、先の不安が大きくなってきた。夫婦ふたりきりなら狭くて安いアパートに引っ越したいところだが、息子がいるため、それもできずにいる。だがこの息子、親に対して歯向かうことはまったくないのだそう。

「たまに夫が晩酌に誘ったりしても“僕には飲む権利がないから”と断るんです。本人の誕生日とクリスマスだけはワインを開けてすすめると、うれしそうに飲んでいますね」

 それでも、たまに気になることを口にする。

「私はどうしたらいいかわからなくて、家族会に顔を出すようになったんですが、そのことを息子に言ったら、“おかあさんは自分のために家族会に行ってるんだよね。僕のためだったらやめてほしい”って。“自己満足で行ってるだけでしょ”と何度かつぶやいたこともあります」

 息子は親を過干渉だと思っているのだろうか。そこから本音をぶつけ合うこともできたのかもしれないが、裕子さんはそうしなかった。

 親というものは、どこかで子どもの本音を聞くのが怖いのかもしれない。そんな親の態度を、子どもは冷静に見ながら「何か」を測っているのだろうか、とも思う。例えば自分への愛情の深さとか、あるいは自分への許容量とか。息子にとっては、小さいころから抱えてきた親への不信感があるのだ、おそらく。それに自ら気づいてほしいと思っている可能性もある。ただ、今の年齢の親にそれを求めるのは酷だという気もする。

「3人で夕飯をとって、ゆっくりしているときに“これからどうしたい?”と聞いてみることがあるんです。そうすると“人の役に立ちたい”と。そういう気持ちはかなり強いようです。当事者が集まる会とか、就労支援とか、そういうところへ出向いてくれればいいんですが、促しても行く気配はありません。息子がどうしたいのかがわからないのがつらい。下に結婚している娘がいるんですが、“病気なんだから病院に連れていけば?”と言うんですよ。ただ、一緒に暮らしていて病的なところはまったく感じないし、本人も病院へ行くことは拒絶しています」

 穏やかで世間話には応じるし、家事を手伝ってもくれる息子。だが、肝心な核が見えない。息子自身が苦しんでいるのかどうかもわからないと裕子さんは言う。

「私としては、ただ普通に働いてほしいというだけなんです。そんなに大きな願いではないと思う。なのに息子は、その話にはまったく耳を貸そうとしない……」

親子だからわかり合えるは幻想か、理想論だ

 簡単に言えば内弁慶で、他人との関係を築くのがむずかしい性格なのかもしれないが、その根っこには実は親への不信感もありそうだ。近いようで、どこをつかんだらいいのかわからないほど親子の心の距離は遠い。

 息子から見ると、自分が挫折したときの親の態度が意に染まなかったのかもしれない。それをきっかけに長年抱えていた親への不満、それ以上に自身への不満も噴き出して処理しきれていない可能性もある。ただ、人は都合のいいように記憶を修正しがち。根深いところは当事者でもわからない。

「普通に働いてほしい」という願いは、息子の思いとはかけ離れているのだろう。母親のもどかしさは十分理解できるが、そのたびに息子は「まだ自分をわかってくれていない」と考えるのかもしれない。

「親子だからわかり合える」は幻想か理想論だ。実際にはわからないまま許容しあって、いつしか依存しない関係になっていくしかないと私自身は実感している。親子が互いに理解を期待しすぎるのではないかと、裕子さんの話を聞きながらふと感じた。

【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】

かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆。