世界から見える日本人の「ここが変だよ!」とは?(写真:たっきー / PIXTA)

『世界でバカにされる日本人』(谷本真由美著、ワニブックスPLUS新書)というタイトルを見た瞬間にピンときたのは、おそらく私自身が心のどこかで、このことを気にかけていたからだ。

マスメディアをにぎわす“日本礼賛ブーム”に対して、なんだかモヤモヤする思いを抱いていたということである。

といっても、こういった番組を頭ごなしに否定したいわけではない。それどころか、しばしばあの手の番組を眺めては、ツッコミを入れたりもしていたのだ。だから、偉そうなことを上から目線で語る資格はない。

しかし、それでいて、こうした風潮に対する違和感をぬぐえなかったのも事実。だから、そんな自分のスタンスの中途半端さも含め、モヤモヤしていたということだ。

ロンドン在住の著者は、元国連職員。過去には日本、イギリス、アメリカ、イタリアなど各国での就労経験があるという。つまりは「海外から日本はどう見られているのか」を実際に肌で感じてきた人だということになる。

だから本書に、「そうだよね〜」とうなずきたくなるような「共感」と「痛快さ」を期待したのだ。ところが予想に反して、第1章「『ここが変だよ! 日本人』-BEST7」を確認してみた結果、「あれ?」という気持ちだけが残ってしまったのだった。

ここは、「考え方」「働き方」「マスコミ」「政治」「社会」「文化」「行動」について、日本人の「おかしい」部分を列記した章である。その内容自体はあながち的外れだとも思わないのだが、圧倒的に外側からの視点で語っているところが、どうしても気になってしまったのだ。

端的にいえば、日本たたきが目的だと誤解されても仕方がない書き方をしていることは否めないのだ。でも、基本的には納得できる主張だからこそ、誤解を誘発するような書き方をするのはもったいない気がしたということだ。

しかし、続いて第2章「世界は日本をバカにしている」を読み進めてみると、印象は大きく変わる。ここでは1960年代から現在に至る、経済と連動した「世界における日本のイメージ」の変遷に焦点を当てているのだが、その解説はとてもわかりやすい。そして、著者がこの問題をきちんと理解していることが手に取るようにわかる。

東日本大震災が突きつけた日本の現実

特に納得できたのは、バブル崩壊以降に日本(人)に対するイメージが大きく変わったという指摘だ。それ以来、日本の債権処理問題や金融引き締め策が取りざたされ、日本に関する前向きな報道が激変したことについては知られた話。特に2000年以降は、著名な大手企業による金銭スキャンダルのように、日本を代表する企業の内部通報や内部告発、不正疑惑が大きく注目されるようになったわけである。

そして、それを踏まえたうえで、最も注目すべきは東日本大震災について書かれた箇所だ。

日本に関する報道で国内外に大きな影響があったのは、やはり2011年の東日本大震災ではないでしょうか。日本で発生した自然災害の大きさは世界の度肝を抜いたのですが、なによりも驚かされたのは福島第一原子力発電所(福島第一原発)に関するさまざまなニュースでした。
復興が驚異的に早くて道路が数日間で直ってしまった、災害があったのに暴動にはならず秩序が保たれた――といった前向きなニュースもありました。しかし、それ以上に注目されたのは、原発で働く人々への冷徹な待遇とか事故を起こした関係者が処罰されないこと、被災者に対する支援が不十分なことでした。(62ページより)

こうしたことは現実的に、日本国内ではあまり積極的に報道されない部分だ。しかし、本来であればなによりも先に報道されるべきことでもある。ところが報道姿勢が変わらないこともあり、この時期に日本のイメージはとても悪い方向に進んでしまったということだ。

バブル崩壊までのわが国は、世界経済をリードして未来を象徴するようなキラキラと輝いた国だったのに、今や災害で悲惨な目に遭った人たちをないがしろにしているのです。(63ページより)

この指摘は、単に「耳が痛い」と感想を述べるだけで済ませられる問題ではないだろう。

日本人は世界でまったく注目されていない?

とはいえ、東日本大震災がもたらした大きな津波被害と原発事故が、予想外のトピックスとして世界を震撼させたのは事実だ。しかし、だからといって海外の人々が抱く日本のイメージが変わったわけでもない。

少なくとも、冒頭で触れたような「日本スゴイ!」系のテレビ番組で放送されるような、「海外で注目を浴びる国」では決してない。あくまでワン・オブ・ゼム(One of them)にすぎず、たくさんある国のなかのひとつにすぎないということだ。

まず心に留めておくべきは、このことではないかと感じる。持ち上げられてうれしいとか、注目を浴びていないなら悔しいとか、そういう次元の問題ではなく、それが「現実」であるということだ。だとすれば、それは直視する必要がある。

そしてもうひとつ無視できないのは、「教育レベル」の問題だという。

どこの国でも同じことがいえるのですが、外国のことをよく知っているのは教育レベルが高い人、海外と交流が多い人、さらには好奇心から海外に興味があるような人に限られてしまうことが少なくありません。(62ページより)
アメリカやヨーロッパの大都市であっても、外国に興味がない人の場合は日本と中国の違いさえわからない。大学を出ているような高学歴の人であっても、日本と北朝鮮は陸つづきになっていると信じている人だっています。
そんな一般的なレベルの人たちは日本のコンビニエンスストアがいかに便利で日常生活に密着しているかということには興味がないし、ましてや憲法第九条の何たるかなんてまるで関心がない。アメリカ軍が日本の各地に駐留していることさえ知らない人が多くを占めます。そしてまた、かなりの日本人が西洋式の家に住んでいることもわかっていない外国人だって大勢いるのです。(62ページより)

大げさだと感じるだろうか? しかし、「日本からすると、チェコスロバキアとウクライナがいったいどこにあるのかわからない人が多いのと同じようなもの」だと言われれば、納得せざるをえない部分はあるはずだ。

ところで「教育レベル」に関しては、とても納得させられたエピソードが登場する。この点について、まず重要なのは「情報源」だ。特に若い人や子どもの間では、いまやネットで得る情報は動画が中心。したがって、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかを見ることで、日本のイメージを知ることができるというのだ。

海外からなめられている日本

注目すべきは、ネット動画の世界に、日本人をあざ笑うような多くの外国人が存在するという事実。そして、その代表格として取り上げられているのが、2018年初頭に「青木ヶ原樹海の遺体動画」事件を巻き起こしたローガン・ポール氏だ。

ご存じのとおり、さまざまないたずら動画を投稿して莫大な再生回数をたたき出し、決して少なくない収入を得ているアメリカのユーチューバーである。子どもたちの間では大人気であるものの、やることがあまりにも過激かつ下品なので、子どもに悪影響を与えるのではないかと困り果てている親も少なくないという。

そんな彼にとって、格好のターゲットは日本だ。だから、来日時には渋谷や築地など各所で非常識かつ下品ないたずらをし、それらを動画としてアップしたわけである。

彼の動画を見ると、「あまり教育レベルが高くない外国人」が日本に対してどんな感情を抱いているのかがよくわかると著者は指摘する。

ローガン・ポール氏はオハイオ州出身のいわゆる“田舎者”で、教育水準が決して高いとはいえないごくごく一般的なアメリカ人といっていいでしょう。そういった人たちに、日本人だけではなく東洋人全般は、「体が小さくてクレームをつけない、ちょっと奇妙な人種」だと認識されているのです。(中略)東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとっては甘くみられてしまいがちです。
だからローガン・ポール氏たちはアメリカやヨーロッパでなら絶対にしないようないたずらを日本ではたらき、亡くなった人の遺体をビデオで撮影するようなことができてしまう。こうして我ら日本人を困らせたり怒らせたりして楽しんでいる。自分たちと同じ人間とは思っていないからこその暴挙でしょう。(74〜75ページより)

誤解すべきではないのは、著者が決して、すべてのアメリカ人(もしくは外人)がそうだと言っているわけではないということだ。重要なのは、「あまり教育水準が高くないマジョリティ」という点である。


しかしいずれにしても、彼らが日本人を誤解していることは事実であり、だからこそ「日本すごい!」と手放しで喜んでいられるようなことではないということだ。

ただし個人的には、そのことをきちんと認識することができれば、それだけで本書の役割は完結するようにも思えた。

上記のようなことを踏まえたうえで、以後は「バカにされない日本人になるための方法」として、さまざまな主張がなされている。「本質を見よ」「所属先にこだわるな」「他人と自分は違うと心得よ」「自信を持って行動しよう」「感性を磨け」といった具合だ。

つまり冒頭で触れた「ここが変だよ! 日本人」と同じ視点に立ち戻っているわけだが、ここで展開される「〜せよ」というようなメッセージは、むしろわれわれ一人ひとりが、自分自身で考えていくべきことではないかと考えるのだ。

そういう意味では、「現実」をフラットな視点で客観的に見つめた第2章にこそ、本書の意義がある。ほかの章がだめだと言いたいわけではなく、第2章に書かれていることを読者が真摯に受け止め、「日本人はどう進むべきか」を自分の視点で考えてみることこそが大切だと感じるのである。