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この夏、地下鉄サリン事件などを引き起こしたオウム真理教の松本智津夫元死刑囚ら13人の死刑が執行された。その執行の様子が詳細になる中、見慣れない「教誨師」(きょうかいし)という言葉が報道された。

死刑囚が刑を執行される直前、面会が許される民間人が、教誨師(きょうかいし)だ。通常、執行が告げられた死刑囚は教誨室へと向かう。ここで死刑囚は教誨師から言葉をかけられ、教誨を受けることができる。

松本元死刑囚は、執行の直前に教誨を勧められたが、受けなかったとメディアでは伝えられ、中川智正元死刑囚は宗派の違いを理由に断ったと報じられている。また、10月6日には、今年2月に急逝した大杉漣さん最後の主演映画となった「教誨師」が公開された。

受刑者の心に寄り添い、ともすれば死刑囚の最期にも立ち会うという教誨師とは、どのような人たちなのだろうか。教誨師の活動を支えている「全国教誨師連盟」(東京都中野区)の事務長、龍田恒夫さんに聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)

●各地で行われていた教誨を明治政府が制度化

教誨師とは、全国の刑務所や拘置所、少年院などで活動する宗教家のこと。各宗派の教義に基づき、死刑囚や受刑者に対して心の豊かさを説き、改善更生に努める活動をボランティアで行う。現在、教誨師として活動する宗教家は107教団、1884人(2018年7月1日現在)で、仏教や神道、キリスト教などさまざまだ。

教誨師の活動は多岐にわたり、同じ教宗派の受刑者らがグループで教誨を受ける「集団教誨」や個人で教誨を受ける「個人教誨」のほか、親族や被害者の命日に故人の冥福を願う「忌日教誨」がある。また、神道であれば「大祓」、仏教であれば「彼岸会法要」や「盂蘭盆会法要」、キリスト教であれば「クリスマス会」なども行われる。

もともと教誨師はどのような背景から生まれたのだろうか。その歴史は、実はとても古い。近代の宗教教誨は1872(明治5)年、真宗大谷派の僧侶が巣鴨監獄や名古屋監獄で、在監者の説教を行なったことが最初と言われている。しかし、教誨活動はもっと以前からあったと龍田さんは説明する。

「近代よりも、その昔から刑務所に相当するようなものはそれぞれの地域にあり、犯罪を犯した人を収容していました。全国教誨師連盟発行資料の教誨年表によると、古くは古墳時代、483(清寧4)年に、清寧天皇が自ら囚人と話し合ったということが日本書紀に書かれています。

また、平安時代や鎌倉時代でも、僧侶が監獄で説教したとあり、江戸時代では各地の藩内で行われていました。それを全国的な制度にしたのが、明治政府です。国家機関として、教誨活動が行われるようになりました」

1881(明治14)年には、正式に「教誨師」という言葉が誕生、監獄則が制定されて法令に基づく宗教教誨制度が成立した。

ただし、明治22年に発布された大日本帝国憲法第28条では、「信教の自由」を限定され、明治41年に公布された監獄法第29条では、「受刑者には教誨を施すべし」として、受刑者に宗教教誨を強制していた歴史もある。教誨師も公務員だった。

「戦後、教誨師は民間に変わりました。1946(昭和21)年には神道、仏教、キリスト教等に対し、教誨師の派遣要請がされました。現在では、幅広い教宗派の教誨師が活動しています」

●「とにかく何でも話を聞いてもらえるのがうれしい」

現在、刑事施設法第68条1項で、教誨師は宗教家であることが位置付けられている。少年院法や少年鑑別所法も同様だ。戦後、教誨は強制ではなく、あくまで被収容者の願いに応じて行われているが、なぜ宗教家でなければならないのだろうか。

「教誨、だからです」と龍田さんの回答はシンプルだ。「教誨は宗教家が行うものです。学校の教師がなぜ教員資格を持ってないとだめか、というのと同じです。みなさんも、普段の生活で、神社やお寺にお参りしたり、クリスマスを祝ったりすることはありますよね。それはなぜでしょうか。誰もが持つ感情ではないでしょうか。刑務所や拘置所の被収容者は、そうした場に行きたくてもいけません。そのために、教誨を受けるわけです」

龍田さんは現職以前に、刑務官として全国の刑務所18カ所で勤務した経歴を持つ。現場では教誨師による活動をつぶさに見てきた。龍田さんの目に、教誨師はどのように映ったのだろうか。

「私が勤務していたのは、主に累犯の受刑者が収容される施設でした。若い頃は、何度も犯罪を犯して戻ってくる人たちに、本当に教誨を行なって意味があるのだろうか、と疑問を感じていました。誰もが、『悪いことはしないように』と言われて育ちます。しかし、それでも悪いことをしてしまった人が刑務所に入ってくるわけです。人間、そんなに変わらないだろうと思っていました」

しかし、熱心に教誨活動を行う教誨師たちの姿に、少しずつ考えは変わったという。「今は、教誨師が話しかけ、本人の心に触れることで、被収容者の人たちが少しでも変わる契機になってくれればと思います」

以前、全国教誨師連盟が募集した手記の中で、岡山少年院の被収容者は、こんなことを書いていた。「とにかく何でも聞いてもらえるのがうれしいんです」。

(弁護士ドットコムニュース)