スターバックス鎌倉御成町店の外観(写真:スターバックス コーヒー ジャパン)

国内各地に出張すると、その町の景観にそぐわないチェーン店を時々見かける。

山形県で地元の取材先に案内された歴史的建造物に入り、中から風情ある庭園を見たら、大型スーパーの店舗が目に飛び込んできた。兵庫県では、伝統的な酒造の町に似合わない大型量販店が、ひときわ存在感を示していた。進出した店側にも言い分はあるだろうが、地域との一体化という視点では違和感を抱く。

一方、ニュースでは「周囲の景観に合ったスターバックスの店」が時々報じられる。調べてみると、意識して店づくりを行っているようだ。どんな意識で取り組むのか、その活動を探った。

横山隆一氏の旧宅跡に出店

人口約17万人に対して、年間2000万人以上もの観光客が訪れる古都・鎌倉――。鶴岡八幡宮の玄関口としてにぎわうJR鎌倉駅東口とは違い、人の少ない西口駅前を歩くこと5分。焦げ茶色の外観の建物に着いた。「スターバックス コーヒー 鎌倉御成町店」だ。

「この店ができたのは2005年で、もともとは『フクちゃん』で有名な漫画家・横山隆一氏の旧宅でした。駅からも近く、横山氏の生前は、鎌倉文化人が集まるサロンのような存在だったそうです。そんな歴史を踏まえ、故人が愛した桜の木、藤棚、プールなどを残しました。ご遺族の方の要望に寄り添いながら、新たなサロンを実現する思いで建築したのです」

こう話すのは郄島真由さんだ。スターバックス コーヒー ジャパンで店舗開発本部・店舗設計部部長を務める郄島さんは、一級建築士で、建築にかかわる実務に精通する。大学で都市計画や建築を学び、歴史的な建造物の大切さ、地域の人の愛着も認識していた。

取材を行った場所は、プールに近いテラス席だ。少し涼しい日だったが、木の葉の緑とプール水面の水色が目に心地よい。特に人気の時季は、藤の花が咲く4月末から5月初めだという。


鎌倉御成町店


プールのある中庭は藤の時季が人気だ

「店の前の道路の先には鎌倉山があります。それを背景にして溶け込むよう、落ち着いた外観にしました。店内は季節や時のうつろいを楽しめるように自然光が入るデザインにし、店内と庭を連続的につなぐ縁側も設えた。イスも特注で、今でも活躍しています」(郄島さん)

この店に向かう途中で出会った、近くに住む女性に聞いてみた。「私は最近あまり行かないけど、地元の人もよく利用しますよ。週末はいつも混んでいますね」と話していた。

全国に23店ある「リージョナル ランドマーク ストア」

日本における、スターバックスの店舗数は1363店(2018年6月末現在)とカフェのチェーン店としては国内最大だ。同社は、店を自宅や職場や学校ではない「サードプレイス」(第3の居場所)と位置づける。このコンセプトを踏まえて、それぞれの立地に合わせて店を展開するのだ。

現在力を入れているのが、日本の各地域の象徴となる店「リージョナル ランドマーク ストア」を広げることだ。「鎌倉御成町店」は その1号店だった。

「2005年当時、出店場所の候補先は、スターバックスの世界観にふさわしい立地で、人の通行が多い場所という条件でした。その意味で、鎌倉駅の東口に比べて人通りが少ない西口の、この場所は異端でした。でも、開業したら予想以上の集客があった。この店に来られるために、わざわざ西口に降りられたお客さまも目立ったほどです」(郄島さん)

歴史や文化の色づく地域の象徴として、周囲の景観に配慮して建築された「鎌倉御成町店」の成功で、「京都二寧坂ヤサカ茶屋店」「神戸メリケンパーク店」「鹿児島仙巌園店」など各地に23店の展開が進んだ。


京都二寧坂ヤサカ茶屋店


神戸メリケンパーク店


鹿児島仙巌園店

「当社の店づくりは『人と人をつなぐ』ことを軸に置いています。そこには地域と人、時間と人をつなぐなども含まれます。『リージョナル ランドマーク ストア』は、その地域の歴史・伝統工芸・文化・産業のすばらしさを再発見できる店を意識しています」(郄島さん)

出店計画時は「赤字決算」だった

現在、スターバックス コーヒー ジャパンの業績は好調だ。2017年度の売上高は1709億円(前年比6.4%増)、営業利益は143億円で、2位のドトールコーヒーの売上高725億円にダブルスコア以上の差をつけている。

だが、鎌倉御成町店の出店計画が始まった2002年当時は、赤字に転落していた。メディアでは「シアトル系カフェの終息」ともいわれた時期だ。そうした出店計画も遅々とする状況のなか、最後は当時のCEO・角田雄二さん(スターバックス コーヒー ジャパン創業者)の決断により、建築にゴーサインが出た。角田さんが、葉山の老舗料理店「日影茶屋」の元社長で、鎌倉の歴史や文化に知見があったのも幸いした。

実は、同社の店づくりは社員デザイナーが1店ずつデザインするのが特徴だ。設計もできるだけ外部に委託せず、社内で担う。2001年に入社した郄島さんにとって、「鎌倉御成町店」は、インハウスのデザイナーとしてのやりがいを与えてくれた案件だったという。


店舗設計部部長の郄島真由さん(筆者撮影)

「横山先生のご遺族の理解もあり、『庭を活用して、広く一般の人に親しまれる空間にしたい』など要望も明快でした。お孫さんが若手建築デザイナーだったのも幸いし、彼女とその友人とともに、景観に配慮した建築やインテリアを実現しました。まずは地元に愛される店にしたい。近くに住む年配男性が読書をしたくなる店をめざしたのです」

歴史的な場所に出店する場合、自治体や地域住民との調整に時間をかける。デザイナーも歴史や文化の勉強を欠かさないが、時には認識不足で、地元の住民代表からしかられることもあるという。慎重に調整を進めた結果、10年がかりで開業した店もある。

「デザイナーも、人や社会のために貢献したい人を採用します。優れたデザインは、より人を大切にするためのもの。インハウスのデザイナーが、自分の世界観だけにこだわる人では困ります」

米国企業が日本で成功する秘訣は「溶け込む」

日本のカフェ文化史を研究してきた筆者は、スターバックスを、「日本の喫茶業界を変えた黒船」として評価しており、著書にも記してきた。

特に、1996年の日本1号店の開業以来、「女性をコーヒー好きにした」こと、スタバに影響を受けた競合カフェの「ドリンクメニューの多様化が進んだ」功績は大きい。昭和時代の喫茶店は男性客中心で、商品開発も今ほど盛んではなかった。「当時はブレンド、アメリカン、アイスコーヒーの3メニューで、注文の6割がまかなえた」(競合チェーン店の社長)という店も目立ったからだ。

もうひとつ興味深いのは、米国企業にありがちな「本国のやり方をそのまま貫く」のではなく、日本の生活者を理解しようとする柔軟性があること。実は、ここが大きなポイントだ。

たとえば日本市場からの撤退がうわさされる、世界最大級の小売業であるウォルマート(本社はアメリカ)が西友を買収した際、西友の売り場商品には「Rollback」(ロールバック=長期間の安売り)という文字が並び、米国流の販売手法にこだわった。だが日本の、特に都市部に住む人の自宅は総じて狭い。アメリカほどクルマで来店してまとめ買いする文化も少なく、長期間の安売りなら、その日のうちに買おうとはしない。

もちろん、スタバの看板商品「フラペチーノ」のように新たな提案も必要だが、米国系企業が日本市場に学び、溶け込んだ結果の成功例はある。アイスクリームのハーゲンダッツは「グリーンティー(抹茶味)」が、マクドナルドは「月見バーガー」が大ヒットとなった。

建築でも「やり残したこと」がある

スターバックスの店づくりの話に戻ろう。1店ごとに店を開発するのは、手間もコストもかかるが、設計をできるだけ社内で行うことで費用を抑えている。「どの什器や調度品にこだわるか、などの部分的なこだわりでもほかの店との違いは生み出せる」という。

さらに「リージョナル ランドマーク ストア」のような、こだわりの店には、別のサイフもある。社内で通称「ロマンス予算」と呼ばれる予算だ。近年は一定の枠内で、この予算を使うことができる。

「現在の店舗設計部の業務の半分は、『リモデル』と呼ぶ既存店の見直しです。店内でモバイル機器を使うお客さまが増えるなど、お店での過ごし方が変わってきました。それらも踏まえて、この店ではどんなリモデルをするかを、つねに考えています」(郄島さん)

「リージョナル ランドマーク ストア」の残された課題については、こう語る。

「地元産の木材を使うなど、地域の特産品を使う取り組みも進めたい。実はいま、東京都港区の『みなとモデル』にも参画しています。森林のない港区が、国産材の活用を推進することで、林業をどう再生させるかという取り組みです」(同)

同社が掲げる「地域と人をつなぐ」や「時間と人をつなぐ」にも結び付く活動だ。10月3日、一連の活動が評価されて「リージョナル ランドマーク ストア」は、2018年グッドデザイン賞「グッドデザイン・ベスト100」に選出された。

スターバックスが日本で事業を開始して22年になる。店舗数も売上高でも国内No.1の存在となったからこそ、求められるのは「企業の社会的責任」だろう。同社の店舗づくりが、「売り手よし、買い手よし、世間よし」になっていくのかも見守りたい。