不倫問題で集中砲火を浴びた私が「今」ホスト小説を書いた理由

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乙武洋匡氏が書いた『五体不満足』が刊行されたのは1998年。累計600万部を超えるベストセラーとなり、乙武氏は一躍有名人の仲間入りを果たした。

それから20年。教員免許を取り、小学校教諭として教壇に立ったり、政界入りを打診されたり……「乙武氏と言えばクリーン」というイメージが先行したが、2011年に発覚した複数の女性との不倫スキャンダルでそのイメージは一変。バッシングの嵐を浴びたことは記憶に新しい。

その乙武氏が『車輪の上』というホストクラブを舞台とした小説を執筆した。なぜ「今」ホストを主人公とした小説を書こうと思ったのか――。

「すごいね」と言われる理由

足がないのに、子どもの頃から下駄を履かされ続けてきた。

「歩けるなんてすごいね」

「字が書けるなんてすごいね」

「自分一人で食べられるなんてすごいね」

周囲と同じことをしているはずなのに、なぜか私は褒められた。子どもながらに、その「なぜか」を必死に考えた。答えは、わりとすぐに出た。

あなたは障害者だから何もできない――。 

多くの人の胸の内には、そんな前提が横たわっている。だから、手も足もない小さな子が目の前で車椅子から降りて歩き出したり、肩と頬の間にペンを挟んで字を書き始めたりすると、人々は目を見開いて驚き、そして惜しみない賞賛の言葉を注いでくれた。

そのカラクリに気づいてしまうと、私は人々がかけてくれる賞賛の言葉を素直に受け取れなくなってしまった。もっと正確にいえば、言葉の根底にある「障害者だから何もできない」という前提に反発を覚えるようになっていった。

そこでまた考えた。私は健常者と同じことしかできていない。だから自分だけが褒められることにモヤモヤするのだ。ならば、健常者よりも秀でたことができるようになればいい。きっとその褒め言葉を素直に受け取れるようになるはずだ。そうして私は努力するようになった。

「清く正しい乙武クン」なんかじゃない

1998年に『五体不満足』が出版されて多くの人に知られる存在になってからも、基本的にその構造は変わらなかったように思う。自分自身がたいした人間でないことは痛いほどよくわかっていた。だから、聖人君子のようなメッキを剥がされる前に、自分から剥いでしまおうとずいぶん露悪的に振る舞った時期もあった。だが、「また謙遜ばかりして」「チョイ悪な面もまた魅力」などと期待と違う効果を生み出すことが多く、そうした振る舞いに頼ることもやめてしまった。

このカバー写真の笑顔が「乙武君」のイメージとなった人は多いのではないだろうか。

そもそも、なぜ私は聖人君子のように扱われてきたのだろう。『五体不満足』で描いたのは「非の打ちどころのない優等生」エピソードなどではなかったつもりだ。車椅子に乗って得意げになっていた小学校時代。不良少年とつるんで先生に睨まれていた中学校時代。アメリカンフットボール部の活動にのめり込んで赤点ばかり取っていた高校時代。どこを切り取っても優等生然としたところはない。

それでも世間から抱かれるイメージは「清く正しい乙武クン」。そんな虚像が長期間にわたって一人歩きを続けてきたのには、やはり私の境遇が大きく影響しているのだろう。「障害者なのにこれだけ頑張っているから」というバイアスが、幼少期に引き続いて、とてつもなく高い下駄を履かせ続けてくれたのだ。

明文化されていない「量刑の基準」

この下駄とは一生付き合っていかなくてはならない。そんなあきらめにも似た思いを抱いていたが、二年半前に決別する機会が訪れた。プライベートなことで世間から不興を買い、集中砲火を浴びた。このこと自体、申し開きできることはつゆほどもないし、またするつもりもない。多くの方々に迷惑をかけてしまったことは事実であるし、とても申し訳なく思っている。

ただひとつ、改悛の情とはまた別の次元で、当時から抱いていた思いがある。批判を承知でここに吐露させてもらうとすれば、「私刑とはじつにいい加減なものだ」ということだ。

この年、私と同様に週刊誌のターゲットとなった著名人は数多くいた。しかし、その扱われ方は様々で、まるで何事もなかったかのようにメディア出演を続けていた人物もいれば、その後の人生設計に大きな変更を余儀なくされるほどのバッシングに遭った人物もいた。その量刑の基準は明文化などされておらず、すべてが世間のさじ加減に委ねられていた。

この“さじ加減”は、言ってみればギャップの大きさに強く影響されていたように思う。「いかにも」と思われていた人物ほど傷が浅く、「意外だ」と思われていた人物、言い換えれば「誠実」「清楚」などのイメージを付与されていた人物ほど火柱が高く上がった。犯した罪の重さは同じでも、与えられる罰の重さは人それぞれだった。

私は、後者に属した。人々の抱くイメージが「清く正しい乙武クン」だったのだから無理もない。これまで長年にわたって履いてきた下駄を脱がされ、そしてその下駄で思いきり頭を殴られた。私が履いていたのは硬くて重い鉄下駄だったことを、そのとき初めて知った。

「障害者なのに」にうんざり

被害者ぶるつもりは微塵もない。叩かれて当然のことであり、繰り返しになるがそのことについて申し開きをするつもりもない。ただ、これまで履かされてきた下駄が、今度は凶器となって襲いかかってきたというだけの話だ。

「障害者なのに」と賞賛され、「障害者なのに」と非難される。正直に言えば、うんざりだ。障害があろうがなかろうが、車椅子に乗っていようがいまいが、私から生み出された結果そのものを直視してほしい。バイアスとか、色眼鏡とか、カテゴライズとか、私の人生につきまとって離れない影法師のような存在を、私はずっと煩わしく、そして忌々しく思ってきた。たとえ他者から「恩恵を受けてきただろう」と冷水を浴びせられたとしても。

しかし、いくら私が嘆いてみても、いくら私が叫んでみても、おそらくは生涯この影法師から逃れることはできない。いつか手足が生えてきて、健常者としての人生を生きる。そんなことは起こらない。私は死ぬまで障害者として生きることになる。そうであるかぎり、人々は私を「障害者だ」と認識し、私を「障害者として」評価するだろう。

ならば、すべてを引き受けて生きていくしかない。恐ろしいまでの粘着力で貼りつけられたレッテルをみずから剥がすことができないのならば、そのレッテルとともに生きていくしかない。それを覚悟と呼ぶ人もいれば、あきらめと笑う人もいるだろう。何と言われようとも、そうして生きていくしかない。

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乙武洋匡(Hirotada Ototake)さん(@ototake_official)がシェアした投稿 -

2018年8月21日に開設した乙武氏のインスタグラム(@ototake_official)より。「足がないのにサッカーが好きです」の文言と共に見事なプレーを公開

いろんなレッテルを書きたかった

そんな物語を、描いてみたいと思った。これは、きっと私だけの物語ではないと思ったから。「障害者」というレッテルを「男性」や「女性」、「金持ち」や「貧乏」といった世間に流布するあらゆるレッテルに置き換えれば、それはそのまま誰かの物語になるはずだから。いつのまにか世間から貼られたレッテルに反発しながらも、いつしか自分自身がその呪縛に絡め取られて身動きが取れなくなってしまっている人は、きっと私だけではないはずだと思ったのだ。

だから、「私だけの」物語にはしたくなかった。一人でも多くの読者とこの物語を共有したかった。だから、フィクションという形にした。舞台はホストクラブ。私にとっては、なつかしい、なじみのある場所だ。

私の親友はホストクラブの経営者。二十代の頃は、よく彼の店で飲んでいた。親友のバースデーイベントがあるときなどは人手が足りなくなるため、黒いスーツを借りて“臨時ホスト”として接客したこともあった。従業員達とも仲良くなり、一緒に旅をしたこともあった。親交を深めるなかで彼らの身の上話を聞くこともあったが、「ホストに憧れてこの業界に入りました」という青年は一人もいなかった。

「気づいたら歌舞伎町に流れついていました」

「ホストくらいにしかなれなかったんですよ」

国籍や家庭環境など、彼らにも多種多様なレッテルに悩み苦しみ、人生を翻弄されてきた過去があった。それらのレッテルに打ちのめされる者もいれば、いまだ抗おうとする者、すでに受け入れて前に進もうとする者など、さまざまいた。だから、今回の物語を構想したとき、舞台をホストクラブに決めたのは私にとって自然なことだった。

タイトルの『車輪の上』は、もちろんヘルマン・ヘッセの名著『車輪の下』に端を発している。『車輪の下』の主人公・ハンスは神学校に通うエリート。周囲の期待を一身に集めていたが、やがてそうした状況に心身ともに疲弊させていく。いわば、レッテルに苦しみ、身を破滅させていった一人だ。

今作の主人公・シゲノブは、車椅子という“車輪の上”でどんな悩みを抱え、どんな答えを出すのか。あなたの友人を見守るような気持ちで読み進めていただければ幸いである。

乙武洋匡さんのサイン会が開催されます。
10月16日(火)19時〜
三省堂書店池袋本店書籍館4階 イベントスペース「Reading Together」にて。
お申し込みは、「『車輪の上』刊行記念 乙武洋匡さんサイン会特設サイト」までどうぞ→http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/3689