9月18〜21日にドイツで開催された国際鉄道見本市「イノトランス」で、JR東日本はシミュレーターを用いた乗務員訓練の模様を再現した(記者撮影)

「デパーチャー・シグナル、プロシード(Departure Signal, Proceed)」――。信号が青になっていることを確認すると、運転士と車掌が同時に指を差し、こう声を発した。日本語に訳せば「出発進行」だ。JR東日本(東日本旅客鉄道)はドイツ・ベルリンで9月18〜21日に開催された国際鉄道見本市「イノトランス」に出展し、シミュレーターを使った乗務員訓練の模様を英語で再現した。


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シミュレーターを開発したのはミュージシャンの向谷実氏が社長を務める音楽館。鉄道ファンで知られる向谷氏だけに細部までこだわり、モニター上にはCGではなく実際の走行時の風景が表示され、より現実に近い訓練を行える。4年前のイノトランスに出展された新幹線シミュレーターも向谷氏が手掛け、モニターに映し出された時速320kmの世界に、来訪者の誰もが興奮した。

「指差し確認」を見た外国人の反応は?

そして今回。JR東日本は「テクノロジーが進歩しても日々の運行業務を担うのは人間だ」として、単にシミュレーターを展示するだけでなく乗務員訓練の公開に踏み切った。

大勢の外国人ギャラリーが、運転士と車掌の所作を興味津々の様子で見つめる。ぱりっとした制服、制帽を身に付けた乗務員が白い手袋で指差喚呼(しさかんこ)をする姿は日本ではおなじみの光景。鉄道業界では古くから行われており、近年では製造業、建設業など幅広い産業が取り入れている。

「指差喚呼によってヒューマンエラーの発生率が下がる」と、JR東日本の最明仁・国際事業本部担当常務は胸を張る。鉄道総合技術研究所は、1994年に行った実験で指差喚呼を行った場合は何もしない場合と比べ、作業の誤りの発生率が約6分の1に減少するという結果を得ている。

指差喚呼は英語で「Pointing and Calling」と訳される。ニューヨークの地下鉄は日本に倣って1996年に指差喚呼を取り入れた。だが、これはむしろ例外であり、指差喚呼が世界の鉄道業界に普及しているとはいえない。目で見て確認しているものをわざわざ指を差したり口に出す必要はないと海外の鉄道業界では考えられているようだ。あるいは、リスク削減は作業手順の改良ではなく、機器やシステムの改良で行うべきと考えているのかもしれない。このデモンストレーションによって、指差喚呼が世界中の鉄道会社に広がると考えるのは早計だろう。

JR東日本もこうした現状は把握している。同社は昨年12月からイギリスのウェストミッドランズ旅客鉄道事業の運営に参加しているが、「きちんと機能している現地のやり方をすぐに日本流に変えるつもりはない」(最明常務)。しかし、日本の新幹線方式が採用されるインド高速鉄道のようにゼロから作る鉄道であれば、最初から日本流の運行スタイルを取り入れることもできる。実際、2007年にやはり新幹線方式で開業した台湾の高速鉄道では日本流の指差喚呼が行われている。

今回、JR東日本は英語が堪能な6人の乗務員を現地に派遣した。そのうちの1人、主任車掌の前崎さんは普段は秋田新幹線に乗務する。外国人旅客に英語で接客する機会は少なくない。

また、主任運転士の林田さんは今回のデモの舞台でもある横須賀線の運転士を務めるが、運転士交代のため途中駅で下車した際に外国人対応をすることがあるという。とはいえ、英語での運行業務は当然ながら今回が初めて。何日もかけて練習するなど入念な準備で臨んだ。

乗務員たちは外国人の反応をどう受け止めたのか。前崎さんは「運行中に何が起きるかわからないという気持ちで訓練に臨んでいます。来訪者の様子をうかがう余裕はなかったです」と話す。


JR東日本の訓練を披露した乗務員たち。日本でおなじみの鉄道の制服や制帽は海外では珍しいようだ(記者撮影)

一方、林田さんは、「デモの合間に会場の様子を見て歩いた際に、制服・制帽姿をあちこちで珍しがられた」という点を挙げた。制服・制帽は乗客の安全を守るという責任感の表れ。だが、運転士が私服姿で運転することもあるヨーロッパの鉄道からみれば、奇異な習慣なのだろうか。

東京メトロの相互直通に注目集まる

日本の運行会社としては、東京メトロ(東京地下鉄)とJR東海(東海旅客鉄道)もイノトランスに出展した。イノトランスは隔年で開催されており、東京メトロはJR東日本同様、2010年以来、5回連続の出展。同社は2013年からベトナム・ハノイで都市鉄道の運営支援を行っており、イノトランス出展を今後の海外展開に生かしたいという狙いがある。

東京メトロのブースで来訪者の関心を集めたのは、相互直通運転の仕組み。「トラブル時の各社間の意思疎通をどう行っているのかという質問が相次いだ」(同社)。指差喚呼や制服と同じく、日本で当たり前に行われていることが、外国では珍しい。

JR東海は今回初参加。同社はアメリカ・テキサス州ダラス―ヒューストン間で新幹線方式による高速鉄道導入を目指す。これまで新幹線の海外向けPRは同社肝いりで設立されたIRHA(国際高速鉄道協会)に頼ってきた。

今回のイノトランスへの参加はアメリカ以外への展開を考えてのことだろうか。「それはありません」と、ブースにいた国際部担当者は否定する。そのうえで、「海外の技術を取り込んで新幹線をより強くしたい。そのためにはまず海外のメーカーに当社を知ってもらうことが必要なのです」と力強く語った。

会場にはJR九州の青柳俊彦社長の姿もあった。同社は世界各地の観光見本市に出展し、パネルを使って九州観光のPRを行っている。「イノトランスの出展はお金がかかる。当社の規模では(出展は)無理ですよ」と青柳社長は話す。でも、豪華列車「ななつ星」の車内モックアップ(実物大模型)を会場に展示したら、外国人がどんな反応をするか見てみたい気もする。


日立製作所は今年のイノトランスで巨大なブースを構えた(記者撮影)

話題が尽きない日本の鉄道会社に対し、車両メーカーは二極化の様相だ。元気なメーカーの代表格が日立製作所だ。巨大なブースにはシーメンスやアルストムなど業界“ビッグスリー”も顔負けのにぎわいを見せる。「私が2004年に初めて参加したときはブースも非常に小さく、来訪者も少なかった」と、日立の鉄道部門を率いるアリステア・ドーマー執行役専務は当時を振り返る。

日立の鉄道事業の売上高はイギリスの高速鉄道案件獲得やイタリアの鉄道メーカー買収で年々規模を拡大し、2018年3月期の売上高は5627億円。2020年代の早い時期にビッグスリーと並ぶ1兆円の大台乗せを狙う。M&Aによる規模拡大も「今、話すのは時期尚早」としながらも、検討していることを認める。

独仏連合から分離された事業の買収も

その後、シーメンスとアルストムが鉄道事業統合を発表した。EU(欧州連合)が承認すれば両社を合算した売上高は2兆円規模となる。日立にとってビッグスリーと並ぶという目標は遠のくことになるが、1兆円の目標は変えていない。ドーマー氏は「独占禁止法上の問題が多く、統合がすんなり承認されるかどうかはわからない」とみる。「独禁法回避のため、統合時に一部事業が切り離されることも予想される」と言い、それを日立が買収して自社に取り込み、規模拡大につなげるというシナリオも考えられる。

日立と同じくイノトランスの常連組だった川崎重工業だが、今回は会場にその姿が見られなかった。昨年12月、川重の製造不備により新幹線の台車に亀裂が発生するトラブルが起きている。9月28日に川重が再発防止策について記者会見を行った際、「海外ビジネスにおける影響は現時点では出ていない」と川重幹部が断言した。だが、鉄道事業の売り上げの3分の2を海外に頼る川重にとって、重要な商談の場を失った痛手は大きい。

日本車輌製造も今回は出展していない。アメリカやインドネシアで巨額の損失を出しており、アメリカ・イリノイ州の工場は閉鎖に追い込まれている。一方で、国内向けは東京メトロ丸ノ内線の新型車両の製造が始まり、親会社であるJR東海向け新幹線車両「N700S」量産車の生産も見込めるなど活況が続きそう。出展見送りは、今後は国内に注力するというメッセージとも読める。


中国中車が出展した次世代型都市鉄道車両「セットロボ(CETROVO)」(記者撮影)

車両メーカーの中で世界の注目を最も集めたのは中国中車だ。次世代型都市鉄道車両「セットロボ(CETROVO)」は、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)をボディや台車に採用、大幅な軽量化を実現した。過去のイノトランスでは中国の鉄道関係者が欧州製の展示車両を入念に観察する姿が目立ったが、今回は欧州の鉄道関係者がセットロボを詳細にチェックしており、立場が逆転した。

台車にCFRPを採用する例は川重なども行っているが、ボディにCFRPを使うとなると極めて異例だ。ある国内大手鉄道会社の車両開発担当者は「軽量化メリットは魅力的」としながらも、「耐久性、固有振動、亀裂が生じた際のメンテナンスなど不透明な点が多い」と語る。国際規格に詳しい専門家は「厳格な欧州の規格に合致するのか」と首をかしげる。


中国中車のブースには、高速鉄道車両の模型が展示されていた(記者撮影)

セットロボは時速140kmでの自動運転を行い、ブレーキも電気自動車などで使われる電動式を採用。さらに車内では窓枠を巨大なタッチスクリーンとして活用し、巨大なiPadのようにさまざまな情報を映し出す。鉄道会社が運行情報や広告を表示するだけでなく、乗客がチケット予約やネットサーフィンをしたりすることができるという。

年内に走行実験が予定されているが、営業運転の開始時期は未定だ。「開発中の技術をふんだんに詰め込んだプロトタイプ的な車両」(中国中車の担当者)というから、路線の特徴次第では採用されない技術もありそうだ。

次回は高速鉄道車両を出展か

とはいえ、そのまま実用化されない車両だとしても、実物をはるばるベルリンまで持ち込んだ意気込みは日本にとっても脅威だ。日立は中国中車をどう見ているのか。日立のドーマー氏は「中国中車は中国では一緒にJVを行うこともあるパートナーだが、世界ではライバルだ。しかし、当社はIoT(モノのインターネット)プラットフォームなどグループ内の高い技術力を活用できるという強みがある」と語る。都市鉄道や近郊鉄道で両者が激突する局面はありそうだ。

イノトランスの名物は実車の屋外展示。例年と違い、新型高速鉄道車両の姿が今回は見られない。スピード追求の時代は終わったという声も聞かれる。


大勢の来場者でにぎわうイノトランスの屋外展示(写真:イノトランス)

しかし、ドーマー氏はこの見方を否定する。「鉄道産業の中でも高速鉄道はセクシーな分野だ。市場規模は都市鉄道などの市場よりも小さく全体の1割しかないが、誰もが新幹線やTGVに注目している。新幹線N700S、インド高速鉄道、テキサス高速鉄道、英国「HS2」など重要なプロジェクトが目白押しで、当社は都市鉄道などと同様、高速鉄道にも力を入れて取り組んでいる」。

次回のイノトランスで日立も高速鉄道車両を展示したらどうかという質問に、ドーマー氏は「OK。見られるかもね」と笑って答えた。ひょっとしたら、次回、2020年のイノトランスでは、日立と中国中車が製造する高速鉄道の実車が競演するかもしれない。