答えはすべて目の前の子どもの中にあります(写真:KENTARO KAMBE)

発達障害を公表している、モデル・俳優の栗原類氏の母、泉さんが著書『ブレない子育て』で語る子育て理念が、「子どもに障害があるなしにかかわらず役立つ」「読むと勇気が出る」と、静かな話題を呼んでいます。
子育てをしていると、「〇×をすべき」「〇×をすべきでない」と不安をあおるような情報や、周囲からの声に悩まされることがあります。さらに、発達障害の子どもの場合は、周囲の理解が得られないことも多く、悩んでしまうことが多いといいます。
そんななか、「他人から見て『いい親』ではなかったとしても、『子にとってベストな判断をしている』という強い気持ちが大切」と語る泉さんに、これまでの子育てで気をつけてきたことは何かを伺いました。

思い悩まず、「必要なこと」「できること」をやる

類が8歳の時、当時在住していたニューヨークで発達障害と診断され、その席上、私自身も典型的なADHDであると告げられました。類には「感覚過敏」「注意力散漫」などの障害がありますが、なかでも「記憶力が弱い」という点が、特に受け入れにくい事実でした。

私自身は、同じ発達障害であるものの、子どもの頃から記憶力がよく、それさえあれば、大人になるまで乗り切れたという成功体験があったからです。

類は小さいころから、繰り返し注意してもすぐに忘れてしまう、何度練習しても身に付かないことが多く、発達障害と診断されるまで、私も「やる気のなさに問題があるのでは」と考えていました。記憶力がよかった私には、類の様子が理解できないところもあったのです。

アメリカで発達障害の説明を受けた時、「こういう障害だから、一生治りません」と言われ、戸惑いましたが、思い悩んでもしかたがないので、できることからやろうと気持ちを切り替えました。

治らない障害なのであれば、生きていくうえでずっと向きあっていかなければいけない。人が1でできることを、類は2倍も3倍も努力をしないといけない。

「努力したのに、結果がついてこなかったとしても、自分はこんなに頑張ったのにと思ってはいけない。2倍3倍努力するのは当たり前と考えて、人より努力できる人になりなさい」と繰り返し伝えました。

そして、せめて親である私は褒めてあげたいと思いました。結果や出来栄えがどうであれ、そのプロセスを認め、本人の努力や工夫に関しては手放しで褒めていました。

私ができることは、類に「覚悟」をさせること、類が楽しく暮らしていける環境を整えてあげることだと思ったのです。

日本で子育てをしていると、「みんなと同じ」ことができないことを、責められることがよくあります。しかし、子どもは一人ひとり違うわけで、隣の子と同じことができることが、わが子にとってよいかどうかなんてわかりません。

そう言うのは、私自身が子育てや子どもの教育に関する知識を蓄えるように努め、その知識に沿ってじっくり考えるということを長年続けてきたからです。私は子どもの教育に関する記事や本をかたっぱしから読むようにしてきました。国内だけでなく世界各国の育児書も読んで、各国の育児や教育に関する教えや考え方なども学びました。

すると、日本では当たり前の育児が、ほかの国では誰もやっていないことがあるわけです。たとえば、冷えを気にするのは日本だけだとか、母乳に対する考え方も国によって違っていて、じゃあ、そんなに躍起になることもないよね?となるわけです。視野が広がると、自分の悩みはさまつなものであったと気づけるのです。

類が小学校3年生のころ、一時帰国の時に、近所の公立小学校の校長先生から「類くんだけ自分の名前が漢字で書けません」といわれたとき、間髪入れずに「でも、自分の名前をアルファベットで書ける子は類しかいないですよね」と、切り返して黙らせたことがあります。

そのコミュニケーションは、「いい親」とは思われないかもしれません。でも、私はふだんから子どものいい部分を見つける努力をしていたからこそ、その場ですぐに切り返すことができたのです。

「みんながやっているから」という理由で選択しない

かくいう私の子育ても、つねに順風満帆だったわけではありません。類は小学校1年生で留年していますし、中学では短期間ではありますが不登校を経験。高校受験も失敗し、その都度、思惑が外れたり、準備不足を反省することもありました。

そんななかで、私がつねに大切にしてきたのは、「みんながやっているから」という理由で、道を選択しないということです。たとえば、みんなは受験勉強を最優先させているけれど、類にとってはそれが最善の選択なのだろうか?と考えるのです。

発達障害の特性のひとつですが、類は好きなことは頑張れるけど、興味がないものにはなかなか集中できません。であれば、苦手な勉強をするために高い塾代を支払うよりも、親子でいろいろな国を訪れて、たくさんの文化や芸術に触れて、私が伝えられることを伝えていくことを優先したのです。

その選択肢が「みんなと同じ」でない場合、それをやり通すには勇気が必要です。だけど、私自身もシングルマザーとして息子をニューヨークで育てるなど、イレギュラーな人生を送ってきた結果、みんなと同じことをするのにまるでメリットを感じないのです。「みんなと同じ」を追求すると苦労するし損することが多かったのです。

同じことをしている中では、得意な人や上手な人との差がつきやすい。だけど、人がしていないことの中であればすぐに上位にいけます。すき間産業が儲かるように、仕事の世界では人にない発想や企画が求められるのに、子ども時代に「みんなと同じ」を求めるのはおかしいなと常日頃感じています。

母親であれば、妊娠出産を機に仕事をどうするのか? 悩んだ経験がある人も多いでしょう。積み上げてきたキャリアを捨てて家庭に入るのか? 続けるにせよ仕事をセーブしないといけないのか? それを「みんながやっていることだから」と言われて、素直に納得できるでしょうか? 子育てに関する悩みは、子どもの立場をわが身に置き換えてみると、わかりやすくなります。

ベストな答えは、子ども自身にある

親が子どもにどうあるべきかの答えは、育児書やネットの情報では見つけられません。答えはすべて目の前の子どもの中にあります。自分の子どもに今必要なものは何か、向いているのはどんなことか、それらの答えは外からの情報にはなく、子どもをじっくり観察していくしかありません。

よく見ていると、子どもには小さい頃から、それぞれに好みがあって、楽しいこと、好きなこと、夢中になれることがあります。類の場合は、ゲームや映画、そして音楽と、ほぼインドアな趣味ばかりでした。男の子だからスポーツくらいやったほうがいいだろうと、小さい頃にサッカースクールに入れましたが、まるでやる気なし。

思えば私自身もずっとスポーツはしていなくてインドア派だったわけで、都合よく息子には運動をさせようと思っても、そうは問屋が卸さなかったわけです。

子どもの好きなことが、必ずしも親にとって好ましいもの、望むものではないことを、私たちはよく理解して、大人側がエゴを捨てたほうがいいこともあります。

一般的に「向いている」とは、ほかの人よりうまくできるとか、習得が早いということだとも思いますが、私は「楽しいからやめたいと思わない」「苦痛を感じなくて頑張れる」ことなのではないかと思います。

だからこそ、ずっと続けていけるし、もしかしたら将来的に仕事にもできるかもしれません。子どもの「好き」を見つけて伸ばす。それは類を育てるうえで、特に大切にしてきたことです。


類が11歳で俳優になりたいと言い出したときも、向き不向きでいえば「向いていない」と思いましたが、「嫌いな勉強よりも、頑張れるよね」という理由で、モデルやタレントのキャリアを優先させ、俳優の道に進めるよう応援してきました。

俳優の仕事をいただけるようになってからも、表情から感情を読み取るのが苦手な類と、一緒にTVドラマを見ながら俳優の表情を読み取る訓練をしたりもしています。

類が23歳になり、小さい子どもだった頃に比べると、子育てはずいぶんと楽になったとは思います。しかし、まだまだ失敗もあるし、心配なこともあり、子育てはいつになったら終わりということはないのだろうと思います。

類はいずれ1人で暮らし、そして家族を持ち自立することを目標にしています。そのためにはまだまだ身に付けないといけないことがたくさんあります。時間もかかるかもしれません。だけど類は確実に以前よりできるようになったことは増えているし、周囲との関係の作り方なども、なんとかうまくやっています。

自立の目標を20歳や就職のタイミングに置く人は多いのかもしれませんが、うちの場合はもう少し気長に、30歳、もしかしたら40歳になるのかもしれないけど、類なりのペースで、長い目でサポートしていきたいと思っています。