関西国際空港では、台風21号の影響で多くの人が足止めをくらった(写真:共同通信)

優秀な外交官が亡くなった。台湾外交部(外務省に相当)は9月14日、台北駐大阪経済文化弁事処(領事館に相当)の蘇啓誠(そ けいせい、61歳)代表が同日早朝に大阪府内で自殺したと発表した。


9月14日に亡くなった蘇啓誠・台北駐大阪経済文化弁事処代表(写真:台湾外交部)

関係者によれば、家族に宛てた遺書に、今月発生した関西国際空港閉鎖時の対応で批判を受けたことを苦にする内容があったという。

9月4日、関空では台風21号の影響で大規模浸水被害が発生。滑走路は閉鎖され、ターミナルも機能を停止した。また大阪湾に停泊していた貨物船が流されて、本土と空港を結ぶ連絡橋に激突。空港への行き来が事実上不可能となり、台湾人や中国人を含む数千人の旅行者が空港内に取り残された。

軽々しく動ける状況ではなかった

台湾人旅行者の中からは大阪弁事処へ助けを求める声があがった。ただ、主に情報収集と最新情報の発信を行う以外に有効な対策は打てなかった。連絡橋が破損して関空へアクセスができなかったことが大きいが、そもそも台湾外交部内では個別の旅行者に対応することを規定しているわけではなかった。

外交部の幹部は「他国で自国民の保護に外交要員が動くのは戦争やテロ事件、人命に関わる大規模災害など非常事態のみ。関空のケースは災害ではあるが、人命に関わる状況ではなかったため、政府による政治決定がなければ公務員が軽々しく動くことはできなかった」と話す。

そのさなか、中国のネット上では中国大使館の尽力によって、関空から取り残された中国人旅行客がバスで優先的に避難したという情報がSNSを中心に流れた。

中国ではこの情報に「祖国は偉大だ」など賞賛する書き込みが相次ぎ、9月6日までに中国共産党の機関紙である人民日報系列の新聞、『環球時報』など公的メディアの電子版も拡散した情報に追随して報道した。

これを受け、台湾のネットユーザーはSNSを中心に、台湾外交当局に対し「なぜ(中国は動いたのに)駐日代表処は動かないのか」と批判を展開。主要な台湾メディアも、新聞・テレビ・ネットで真偽不明と断りを入れつつも中国旅客が優先的に避難し、大阪弁事処が何も対応できていないと報道を展開した。

報道の盛り上がりを受け、台湾の政治家はすばやく反応した。最大野党・中国国民党の立法委員(国会議員に相当)らは6日、独自に外交官僚を招聘して公開ヒアリングを実施。台湾の駐日代表処と中国大使館の比較を通し、いかに準備が不十分だったかを質問した。

一方、批判の矛先になっていた謝長廷・駐日代表(大使)は与党・民進党の重鎮。民進党の幹部は「謝代表を守ろうとする雰囲気があって、責任はすべて外交部、とくに駐大阪弁事処に押しつけようとしたところはあった」と明かす。

謝氏も台湾メディアに対し「(東京にある)代表処ではなく大阪弁事処が電話対応している。大阪弁事処は外交部の直接管理下にあるのだから外交部が処理すべきだ」と話していた。

与野党の対応を受けて、台湾世論はさらに盛り上がった。ネット上では「代表処は宿泊先を用意してあげろ」「救援のチャーター機を出せ」など過剰な要求を求めるコメントも出続けた。そして加熱したネット情報を見て、メディアや政治家が反応するという悪循環が発生した。

外交部の職員は「政治家は世論をあおり、世論も応えてしまった。関空で死者は出ていないのに」と、政治家と有権者の過剰反応に困惑したと話す。台湾では11月には統一地方選挙が予定されていることもあり、与野党は世論の反応に敏感な時期だ。

実はフェイクニュースだった

だが報道後に発覚したのは、中国大使館が自国民を優先的に避難させたというのは、フェイク(偽)ニュースだということだった。関西エアポートの広報担当者は「中国の領事館が手配したバスが関空内に入ったことや中国人旅行者を優先的に避難させた事実はない」と話している。

結果として台湾メディアは、フェイクニュースを拡散させてしまったようだ。一部には「中国側は台湾と比較して自分たちがいかにすばらしいかをアピールして、台湾世論を混乱させるための工作だったのでは」(前出の外交部幹部)との見方も出ている。

台湾外交部は9月15日、関空での対応が適切だったか、駐日職員が大阪に集まり精査するとしていた。蘇氏が自殺したのはその前日だった。

蘇氏は今年7月に大阪の代表として着任したばかりだった。1957年に台湾南部の嘉義(かぎ)県で生まれ、大学で日本語を専攻した。大阪大学大学院でも日本学を学び修士号を取得。1991年に外交部の官僚となって30年近く日台関係の最前線で活躍していた。

2013年12月からは沖縄にある那覇弁事処のトップを務めた。沖縄駐在中は地元の人たちと家族ぐるみで付き合うこともあったほど積極的に交流を深め、沖縄の政財界からも慕われていた。

7月から大阪に異動することが決まると、沖縄の知人らに別れの挨拶に回り、「学生としてお世話になった大阪でより一層、日台関係のために頑張りたい」と抱負を話していたという。

「世論に殺されたも同然だ」

台湾内では蘇氏の死を悼む声が続々と出た。台湾総統府は「深い悲しみとやるせない思い」だと表明。与野党の多くの立法委員からも追悼メッセージが発せられた。民進党の管碧玲立法委員は、フェイスブックに掲載した追悼コメントで「世論に殺されたも同然だ」と指摘した。

東京外国語大学の小笠原欣幸准教授は「モンスター選挙民」の存在と「民主主義の自傷行為」が一連の事態の根底にあったと分析する。

「台湾の有権者は自分が主人という意識と上(政権)がなんでもしてくれるという意識を持ち、過度な要求をする『モンスター選挙民』と化している。野党は政権の政策を全面否定して追い込むが、自分が与党になればブーメランとなって政権が行きづまる。与野党ともに台湾の民主主義を傷つける『自傷行為』が続いている」(小笠原氏)。

実際、歴代政権は自然災害の対応で毎回糾弾され、そのつど支持率を落としてきた。自然災害は歴代政権の鬼門であり、そうした背景が事態を大きくしてしまった側面がある。

今回の蘇氏の一件を受け、台湾内ではフェイクニュースをSNS上で共有するのをやめ、政党の無意味な非難合戦をやめるように求める動きも出てきた。今回の一件で台湾社会は転機を迎えるのか。蘇氏の死から何を学ぶのかが問われている。