『総務部長はトランスジェンダー 父として、女として』著者の岡部鈴さん(撮影:尾形文繁)

家族を大切にし、父であり続ける。けれど一歩家を出たら女性としてよりよい人生を歩みたい──。そんな究極の願いを実現させるまでの山あり谷あり、喜怒哀楽の日々をつづった意欲作『総務部長はトランスジェンダー』。著者である広告代理店管理職の岡部鈴氏に、トランスジェンダーとして生きることを決心した経緯などを聞いた。

男物の服で家を出て、女性服に着替える

──女性で行きます!とカミングアウトして6年。会社ではもう自然になじんでいる感じですか?


そうですね。万が一ネクタイでも締めて出社したら、それこそ「どうしたの?」になっちゃう。男物のカジュアルな服で家を出て、途中トランクルームに寄って女性服に着替え、化粧をして、電車通勤する生活です。トランクルームにエアコンはあるんだけど効きがイマイチよくなくて、夏は汗だくでメイク。大変です(笑)。

──最初に女子願望が芽生えたのが小学6年生の頃でしたね。

歌手の山口百恵さんの大ファンで、「身も心も百恵ちゃんのようなりたい」と思っていました。当時はトランスジェンダーやLGBT(性的少数者)、性同一性障害などの言葉がなかった時代。そのうち声変わりもし、男子に生まれたことを受け入れるしかなかった。

それから35年後の47歳のとき、会社での鬱憤晴らしに新宿2丁目のゲイバーへ行ったら、すごく発散できた。たまっていた不満やコンプレックス、女性化願望のダムが決壊したような感覚。そこから妻や息子には内緒で、自室にこもって連日深夜にメイクを特訓、外で女装を研究するようになった。女性ホルモンを摂取し、週末はトランスジェンダーの仲間とオフ会やレジャーを楽しみました。

パートナーにはあることがきっかけで、女装を告白しました。以後彼女から表情が消え、最低限の会話のみになった。後に性同一性障害の診断書を見せ、病気を免罪符に女性化願望をあらためて伝えたときも、遠くを見つめるような目で「だから何?としか言えない」と。正直、家庭内の空気がよくなかったのは事実です。今でこそかなり関係は修復できましたけど。

──そして2012年、ついに会社でカミングアウトを決行した。

自分の思いをきちんと文章で伝えたくて、金曜の終業後、社内一斉メールでカミングアウトしました。ちょうどその頃、ビジネス誌がこぞってLGBT特集を組み、親会社の電通社内でトランスジェンダーを含めた性的少数者への理解を深める取り組みを行っていることを知りました。それがとても勇気をくれ背中を押してくれた。カミングアウトしてもクビにはならない。家族を路頭に迷わせることはないと確証を得たんです。

告白に対し、好意的な励ましメールがいくつも返ってきて、読みながら涙で画面が見えなくなった。週明けドキドキしながら出社したら、みんな普段どおりに接してくれた。応援や激励までされたり、役員会議では社長が、「今までどおり温かく迎えてあげてほしい」とおっしゃったと後から聞きました。

一斉メールという「直球」を放ったワケ

──すでに社内では「総務部長、最近女っぽくない?」とうわさされていたそうですが、あえてその流れに任せず、一斉メールという直球を放ったのはなぜですか。


岡部 鈴(おかべ りん)/1963年生まれ。長崎大学水産学部中退、九州電子計算機専門学校卒業。プログラマー、化粧品会社などを経て、電通ヤング・アンド・ルビカムIT部門スタッフ、総務部長。現在は社名変更した電通イースリーのファイナンス部ディレクター。表記名は通名(撮影:尾形文繁)

総務部長というのは社員の働きやすさ、困り事を受け止める女房役、下宿のおかみさんみたいな役割なんです。そうした信頼関係に疑心暗鬼というか「この人、大丈夫か」と思われたら、総務部長をやっていくうえで障害になる。だったら本当の自分をカミングアウトしたうえで、「これからもよろしく」って言ったほうが、絶対にうまくいくと思ったんです。

あの頃はまだ、性同一性障害という診断名を言い訳というか、手っ取り早い言葉として利用していました。今はそれをとても後悔しています。単に女性として生きたいという生き方の選択なんです。「心身ともに健康なトランスジェンダー女性です」と胸を張って自己紹介していきたい。トランスジェンダーであることが苦ではないし、病気でもない。こうした選択を自然にでき、また受容される社会であってほしいと願っています。

──先日、杉田水脈衆議院議員の「(LGBTは)生産性がない」発言が物議を醸しました。

まず国民一人ひとりを生産性で語ることの無意味さ。さらにトランスジェンダーは性同一性障害なのでかわいそうだから支援しよう、というのが大きな間違い。トランスジェンダーは出生時の性別と違う性で生きていこうとしている人たち。性同一性障害は医師の診断で下された疾患名。生き方の選択と病気を混同している。2007年に国連で承認された「ジョグジャカルタ原則」という性的少数者の人権に関する国際法規的なものがあります。その中に、性的指向や性自認は病気でも何でもなく、差別されることなくすべての権利を享受できるとしっかり書かれています。

性同一性障害という言葉もいずれ消える言葉です。これまでは国際疾病分類で精神および行動の障害に分類されてきましたが、改訂版では精神疾患としての分類から除外される。性別不合という言葉は残るけど、病気扱いはやめるというのが世界的潮流なんです。

家族を支えると同時に、女として生きていきたい

──たしか、息子さんにはまだ正面切って話していませんでしたよね?

本を書いた動機の1つが、これまでの真実を記録に残して、いつか時が来たとき、息子が読んでくれればいいと思ったことでした。

パートナーはもう、父親と家計を担う役割さえ果たしてくれればいいと割り切っているのでしょう。カミングアウトを機に暴走するわけでなく、家庭は乱してこなかった。家族を安定的に支えることと女として生きていくこと、この2つを両立させたいと強く思ってきたから。最近は彼女の表情も少し和らいで、笑い合うことも増えました。ただただ身勝手な夫を黙認してくれていることに感謝です。

──トランスジェンダーであることを公言できず、苦しんでいる人はまだまだ多いのでしょうね。

それぞれ会社の都合、家庭の事情はある。でも自分が妥協できる範囲、譲れない部分をよくよく考えたら、何か糸口が見つかるんじゃないか。できることから始めれば妥協策、解決策は必ずあると思います。ただ1つ、死ぬときに後悔しない生き方ができればいい。偉そうなことを言える立場ではないけれど、必ずしもオール・オア・ナッシング、何かを立てたら何かが崩れるっていう、そんな形だけじゃないと思うんです。