三代目 J Soul Brothersの「音楽」をひもとくバイオグラフィー

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グループとしての活躍は言うまでもなく、映画や舞台、TVドラマにおける俳優としての顔、朝のお茶の間を賑わせる番組MCとしての顔、あるいは各々の持ち味を活かしたソロ・アーティストとして、彩り豊かな7人それぞれがいまや説明不要の存在となっている三代目 J Soul Brothers。ここではそんな最強グループの足取りを、音楽性の変遷と共に駆け足で振り返ってみよう。

※この記事は6月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.03』に掲載されたものです。

三代目 J Soul Brothersが結成されたのは2010年のこと。2007年よりJ Soul Brothers(いわゆる二代目)として活動後はEXILEに加入していたパフォーマーのNAOTOと小林直己(当時はNAOKI)を中心に、劇団EXILE風組で活動していたELLYと山下健二郎、さらに以前からNAOKIと交流のあったダンサーの岩田剛典、そして「EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 2 〜夢を持った若者達へ〜」の合格者という形で選出された今市隆二と登坂広臣……そんな7人が集結し、その年の11月には早々とデビュー・シングル「Best Friends Girl」をリリースしている。同曲をプロデュース/作詞した松尾潔はEXILEの「Lovers Again」(07年)や「Ti Amo」(08年)で実績を残すプロデューサーであり、また編曲を担当した中野雄太も「We Will〜あの場所で〜」(03年)など初期EXILEから多くの作編曲に携わってきた人物。だからして、当初のグループの音楽性は先達のマナーを真っ当に受け継いだものだったし、実際の世間的な見られ方も〈国民的グループになったEXILEの弟分〉という位置付けが大半を占めていたと思う。

ただ、そこで一口に〈先達のマナー〉と言ってみた際に注意すべきは、彼らがEXILEの前身にあたる(いわゆる初代)J Soul Brothersの名前を受け継ぐ者たちであるというところだろう。そもそも初代のJ Soul Brothersは99年に始動したヴォーカル&ダンス・ユニットだが、さらに原点を辿れば、かのボビー・ブラウンによって命名されたダンス・チームのJapanese Soul Brothersにまで遡ることもできる。80年代後半から90年代にかけて一世を風靡したボビー・ブラウンは当時最先端のR&Bトレンドだったダンサブルなニュー・ジャック・スウィングに乗せて世界的な人気を獲得したレジェンドなわけで、そこに源流を置く三代目JSBが時代のダンス・ミュージックに寄り添って進化していくことは宿命だったのかもしれない。

件の「Best Friends Girl」はバウンシーなビートにゆったり丁寧な歌唱を合わせた楽曲で、90年代からUS産R&BのフレイヴァーとJ-Pop的な歌謡性の折衷に腐心してきた松尾潔ならではの美意識がにじむ仕上がり。続いてのスムースな「On Your Mark〜ヒカリのキセキ〜」も4つ打ちをスタイリッシュに取り入れて自由度を増していた同時代の舶来アーバン・ポップに寄り添う内容だった。そこから珠玉のバラード「LOVE SONG」を経て初のアルバム『J Soul Brothers』(11年)の完成を見るのだが、そのラインナップは当時の彼らのポジションを明確に映し出している。

シングル曲に通じるスムースなR&Bテイストの「FIELD OF DREAMS」なども挿みつつ、「次の時代へ」と「Always」ではEXILEのATSUSHIが作詞面でバックアップ。また、二代目のアルバム『J Soul Brothers』(09年)が初出となる「GENERATION」(EXILEやGENERATIONSも取り上げている)を二代目+三代目としてカバーしたほか、同じ二代目+三代目では新曲「Japanese Soul Brothers」も披露。さらにはボーナス・トラックとしてEXILE曲「24karats STAY GOLD」の新ヴァージョンを収めるなど、EXILE TRIBEの流れや先輩のレガシーを継承する意識が前に出ているように思えたものだ。

そこからわずか半年で登場した2ndアルバム『TRIBAL SOUL』(11年)でもその全体像は大きく変わっていないが、北米シーンにおいて〈EDM〉というキーワードが浮上した時代の空気は如実に反映されている。

2011年末といえばスクリレックスのグラミー5部門ノミネートが発表される(結果、年明けの授賞式では3部門を獲得)一方、リアーナ「We Found Love」の決定的なヒットによってR&B/アーバン・ポップにおけるEDMの導入が最先端のスタイルとして認知されるようになった時期でもある。当時で言うところのEDMとは主に欧州産のエレクトロ・ハウスやダブステップ(ブロステップ)を意味していたものだが、もとよりハウスやトランス、エレクトロの意匠を折々のダンサブルな足回りとして活用してきたJ-Popとの親和性が低かろうはずはない。

「On The Road〜夢の途中〜」「Feel The Soul」はその伝統的なダンス・ポップの流れで見ることもできるとして、オープニングを飾るトランシーな「I Can Do It」には明らかにクリス・ブラウン「Yeah 3x」(11年)あたりとの同時代性が感じられるのではないだろうか。

そこからの野心的な前進を窺わせたのが、美しいバラード「花火」をリード曲にした翌年のシングル「0〜ZERO〜」(12年)だ。そこに収められた「(YOU SHINE)THE WORLD」は、STYらが詞曲を手掛け、デンマークのアーバン・ダンス・ポップ職人であるダニエル・オビ・クレイン(もともとYBを名乗るラッパーでもあった)がアレンジした楽曲で、昂揚感を演出するビルドアップとフック(いわゆる音サビ)を備えた楽曲構造も含め、三代目流EDMの最初の完成形といってもいい出来映えだろう。同曲を収めた3rdアルバム『MIRACLE』(13年)には、他にもT.Kura製のプログレッシヴなパフォーマー曲「LOOK @ US NOW!」やBACHLOGICらによる「Dynamite」といったEDMフォルムの楽曲が並び、三代目の選んだ挑戦が各クリエイターたちのアイデアと創造欲を触発した様子も窺える。そんなチャレンジングな作品が初めてオリコン週間チャート1位を獲得したアルバムになったことは、その音作りが時代の要求に応えたことの証明でもあった。

以降の彼らはさらに自由に多様な曲調にトライしていくことになる。『THE BEST / BLUE IMPACT』(14年)における新録アルバム『BLUE IMPACT』でも「JSB Blue」や「Waking Me Up」で攻めの姿勢を見せていたが、その後に控えていた春夏秋冬シングル・シリーズは、SWAY(DOBERMAN INFINITY)のアグレッシヴなラップも印象的な「S.A.K.U.R.A.」に始まり、問答無用の「R.Y.U.S.E.I.」、哀愁メロディアスな「C.O.S.M.O.S. 〜秋桜〜」、ブーミンなパーティ・チューン「O.R.I.O.N.」という強力な4連打は、現在に至るまでの三代目サウンドのバランスに富んだ指針となった。とりわけ、馴染み深いSTYと新鋭Maozonが共同で手掛けた「R.Y.U.S.E.I.」と「O.R.I.O.N.」は、この時点でJ-Popにおけるスタイル・フォーマットとして一般化していたビッグルーム系のEDMを、単なるテンプレートではなく、ダンス・トラックとしてのキャッチーな機能性をそのままに親しみやすい歌謡性を両立させるという離れ業に成功している。それらの多面性を総括した5thアルバム『PLANET SEVEN』(15年)は昨今では珍しい規模のミリオン・ヒットとなった。

勢いに乗った時にこそさらにトライを重ねる姿勢は、ジェントルなR&B風味の薫る「starting over」、世界的ギタリストのスラッシュを迎えたハードなロック・ナンバー「STORM RIDER feat.SLASH」、そのカップリングに収まったSTY製のルーディーなトラップ「J.S.B. DREAM」、さらにAfrojackとコラボしたアンセミックなサマー・ヒット「Summer Madness feat. Afrojack」という15年のシングル群に顕著だろう。特に「Summer Madness feat. Afrojack」はビルドアップ後のフックを音サビで構成するという、EDMとしてはド直球の、しかしながらシングル曲(しかもCMタイアップ曲でもある)としては異例の仕上がりで、まだまだ保守的な音作りが良しとされるフィールドでそれを試みたこと自体が評価に値する。また、それをAfrojackと共作したSTYが「(YOU SHINE)THE WORLD」の頃から三代目の挑戦をサポートしてきた人だという経緯を思えば、この試みが単なる流行の後追いや模倣ではなく、マーケットの成熟を鑑みて絶妙のタイミングを狙い澄ました一撃なのもよく分かるのではないか。

それらの華々しい成果を集約した6thアルバム『THE JSB LEGACY』(16年)でも、ELLYがCRAZYBOY名義で初参加した「Feel So Alive」や「BREAK OF DAWN」など、EDM内の主流になっていたトラップと、ヒップホップ文脈において再定義されたトラップを取り込み、ごく自然な同時代性を獲得。ホーンを活かしたアンビエント×トラップ・ソウル調の「Dream Girl」というユニークな試みもあり、このあたりの楽曲はいま聴いても非常にモダンな印象を受ける。

そこからオールタイム・ベスト『THE JSB WORLD』(17年)をリリースする前後は『HiGH&LOW』絡みの話題やメンバー個々の動きも活発化させていく一方、三代目としてはブリーピーなエレクトロ・ハウス「Welcome to TOKYO」(16年)やどこかベル・ビヴ・デヴォーを思わせなくもないニュー・ジャックな跳ねたノリが新鮮な「HAPPY」(17年)、穏やかな歌心と減速する意匠で絶妙な多幸感を演出するTakashi Fukuda製の「J.S.B. HAPPINESS」(17年)……と多彩な角度からマイペースに楽曲を発表。まだまだ記憶に新しい近年の楽曲群からは、もう新しさをわざわざ証明する必要のなくなったゆとりや、アウトプットの手段を増やしたメンバー個々の余裕も透けて見えるし、それだけにグループとしてあらためていま何を表現すべきかという命題が常に生まれ続けているのだろう。

そして、そうした終わらない命題への最新の回答がニューアルバム『FUTURE』なのは言うまでもない。ウェットで繊細な王道の三代目節バラード「恋と愛」や「蛍」も往時の姿を彷彿とさせる逸曲として話題になっているが、サウンド的な側面からまず耳を惹くのは、7人の個性を七色の虹に例えたオープニング・トラックの「RAINBOW」だ。ここで手を組んだのはアムステルダムを拠点とする世界的なデュオ=Yellow Clawで、フューチャー・ベースの拡大やトロピカル・ハウスの定着を受けてメランコリックな意匠や緩やかなテンポ感へ移行しつつあるEDM全体のトレンドを反映し、ここでの彼らもマイルドな音使いで楽曲のロマンティックなメッセージを体現している。刺激的なコラボではBloodPop®と組んだ「FUTURE」も、エンドレスに続いていきそうなグルーヴの心地よさでまた新しい姿の三代目を見せつけてくれる新機軸のナンバーだ。先述の「HAPPY」や「J.S.B. HAPPINESS」の印象も相まって全体的にポジティヴな後味を残す『FUTURE』、その充実の出来映えを以て、7人にはこの先も明るい未来が約束されたと言えそうだ。