“生まれつき勝ち組”だなんて胡座をかいていられるのは、今だけよー。

誰もが認める努力の女・佐藤直子(27歳)は地方の下流家庭出身だが、猛勉強の末に東大合格、卒業後は外資系証券会社に入社。独力でアッパー層に仲間入りした「外銀女子」である。

そんな直子の前に“生まれながらの勝ち組”・あゆみが現れる。

そんな彼女にライバル心を燃やす直子。あゆみの発言は、いつも直子の自尊心を木端微塵に打ち砕くのだ。

しかし、あゆみにはあゆみの、言い分があるらしい。




あゆみ:「認めてもらわなくたって、構わない」


私はずっと、恵まれて生きてきた。

そのことは自分が一番分かっているし、周囲がそういう目で私を見ていることも、よくわかっている。

東京でも指折りの裕福な家庭に生まれ、美しい母から女としてのアドバンテージを、賢い父から知性を授かった。

望んで手に入らないものなんて無かった。

蝶よ花よと甘やかされ、世界トップレベルの教育を享受した。私が“成功”することは生まれつき決まっていたようなものだ。

出会う誰もが、悪意のある・なしに関わらず、こう漏らす。

“あゆみちゃんは、何でも持ってるよね”

...その中には、明らかな“敵意”を向けてくるものもいる。そう、直子のように。

彼女はいつも、自らの手で築き上げた実績に対する誇り、そして自信に満ちている。その一方で、私のように恵まれた環境にある女を、どういうわけか勝手に敵対視するのだ。

私だって、人並の苦労はしてきた。しかし彼女はいつも私に、“あなたの努力なんて取るに足らない”とでも言わんばかりの目を向ける。

―...別にいいわよ、認めてくれなくたって。

直子がこちらを見つめる瞳に嫉妬の炎が浮かべば浮かぶほど、私はどうしても、そんな風に冷めた感情を抱いてしまうのだ。

けれども、あの言葉が自分の口から漏れ出た時。一番驚いたのは、私自身だった。

「だって、箔がつくじゃない?」

ハッとして顔を上げると、直子の表情からは一切の感情が消し去られ、私を見つめるその目はただ暗く冷め切っていた。

“箔がつくから”

これは半分本心だが、何もそれだけでこの会社に入ったわけでは無い。

それでもそう言わずにはいられなかった理由を、私は自分でよく分かっていた。

“あんたはゲタ履かせてもらってるだけ”とでも言わんばかりの、彼女の目。

彼女が私を見つめるその目が、不愉快で仕方なかった。

だから、言ってやらずにはいられなかったのだ。

あなたがいくら私を目の敵にしようが、私にはこの仕事なんてどうでも良いのよ、と。


あゆみの言葉に自尊心を傷つけられた直子。しかし同級生との偶然の再会が、直子の運命を変えていく...!?


直子:救世主、現る?


「...グレンカスって、あの、薄膜技術の?」

広尾の高級マンション。2フロア吹き抜けになったエントランスロビーには大理石が張り巡らされ、興奮した直子の声をシンと吸い込む。

ついさっきまであゆみの言葉に傷つき、涙を流すほど落ち込んでいたはずの直子。しかし偶然出会った高校時代の同級生・相原くんの口から“グレンカス”の名が飛び出すのを聞いた瞬間、すっかり涙は引っ込んだ。

「おっ流石よく知ってるな〜。そうなの、一応これでも俺CTOやっててさ」

スマートに差し出された名刺は、すべすべと滑らかな質感が手に心地よい。

社名のロゴの下には1行、“CTO 相原知也”という文字が、そっけなく示されていた。




直子は興奮のあまり両手で名刺を握りしめる。もはや自身のラッキーさに眩暈がするようだった。

―まさか彼がCTOだったなんて…!

グレンカスは元々製薬会社の一部門だったものが、3年前、ファンドによってカーブアウトされ生まれた会社である。

長年製薬プロセスの中で培ってきた、分子レベルで物質をコーティングする技術がこの会社のコアだ。しかし昨年頃からにわかに、単なる“製薬会社の一部門”以上の注目を集め始めた。

この技術が、半導体の製造プロセスに応用されるという噂が立ち上ったのである。

業界地図を大きく塗り替えるかもしれないこの話は、直子の担当する銘柄にも大きく影響を与え得る。

しかしグレンカス自体は今だファンドが保有していることもあり、その技術の詳細はもちろん、グレンカスという会社自体が謎に包まれていた。

日々の業務に忙殺され調査が後回しになっていたが、グレンカスの技術は、直子にとって最近のもっぱらの関心事だったのだ。

「そりゃ知ってるよ…!雑誌でもよく見かけるし!あ、ほら今持ってるよ!」

直子は鞄から日頃愛読しているテクノロジー系専門誌を取り出す。開いたページの中ほどには大きく“グレンカス”の字が躍っていた。

「この雑誌持ち歩いてる女って初めて会ったよ。これも仕事なわけ?」

「そうそう、アナリストって最新の技術動向にも明るくないと駄目だから、こういう専門誌何冊か購読してるの。

…ってそれはどうでも良いから、今度食事でもどう?聞きたいことたくさんあるんだけど!」

気付けば勢いで知也を食事に誘っていた。中学・高校時代の甘酸っぱい思い出が一瞬直子の頭をよぎるが、今はそれどころでは無い。

「おー良いね!俺最近この辺り引っ越して来たばっかりだから、直子どこか良いところ紹介してよ」

「分かった!何が良い?なんでもあるよ!任せて!」

思わず直子は手をグーで握り締め前のめりになる。

「はは、直子、前と全然変わんないな。…んー、ワインがあれば何でも良いよ、男一人でも通えるところだと嬉しいかな」

「了解!また連絡するね!」

苦笑いしながらも快く承諾してくれたことに胸を撫でおろし、直子は鼻歌でも歌いたいような気分でその場は別れたのだった。


まさに奇跡のような相原くんとの再会。彼との間には、青春時代の甘酸っぱい思い出があった。


帰宅するとすぐに、直子は“グレンカス”の企業概要ページを開いていた。

先ほどまで目に大粒の涙を浮かべていたとは思えないほどの急速な立ち直りっぷりだが、興奮のあまり、直子にその自覚は無い。

―CTOと直接知り合えるなんて、なんてラッキーなのかしら…!

先ほどマンションのロビーで知也に話しかけられた時には、“こんな時に話しかけてくれるな”とばかりに鬼の形相で振り返ったことも忘れ、直子はホクホクと振り返る。

それにしても、世間は狭い。

知也は直子の初恋の人でもある。

進学校でもない地方の公立中学校で、がりがり勉強していた直子はかなり浮いていたのだが、知也もまた違った意味で浮いていた。

理科の授業中、知也はほとんど立ちっぱなしだった。

教員に質問する度に起立するのだが、あまりにも質問が多いため、とうとう座らなくなったのである。

論理と暗記に寄りがちで単調なモノクロの授業が、知也の発言によって、色鮮やかに現実世界とリンクする様に、中学生ながらも直子は感動したものだ。

明るく快活、そして豪快なその性格からクラスの人気者だった知也と、対照的に“ガリ勉”の直子。2人は本来相容れない存在のはずだったが、何故だか知也が、図書室に居る直子を頻繁に訪れるようになったのである。

中学生の頃には既に相当な現実主義だった直子は、“勉強して東大に合格して人生一発逆転”という計画を実現すべく、ただ黙々と“やるべき勉強”をしていただけなのだが、知也の方は自身の興味のある分野をどこまでも掘り下げるタイプだった。

「好きじゃないのにこんなに詳しいわけ?お前ってすごいな!」

授業で聞いた内容で気になることがあると、ちょくちょく直子を訪れてはこう言ったものだ。

高校に進学してもその関係はしばらく続いたが、知也の方が両親の転勤で転校していってしまったのである。




ふと我に返った直子は、自分が思いがけずセンチメンタルな気持ちに浸っていることに気付き、部屋でひとり赤面する。

結局、知也とは単なる“同級生”でしかないままだった。

しかし“耐える・頑張る”が記憶の大半を占める直子の学生時代の思い出の中で、知也の存在だけは、ほのかな熱と香りをもって思い出される、特別な記憶だったのだ。

先ほどは勢いで食事に誘ってしまったが、今思えばこれは、“初恋の人との初デート”である。

―そ、そんなことより今はグレンカスよ…!

頭から雑念を振り払うべく、直子は自身に渇を入れた。

早々に知也から送られてきた候補日時と、自身のスケジュールを確認する。来週の水曜なら何とか夕食の時間帯にオフィスを抜けられそうだ。

知也に日時だけ知らせるメッセージを送ると、直子はソワソワした気持ちで眠りについたのだった。

▶NEXT:8月29日 水曜更新予定
知也の登場で、大きく前進するかに見えたグレンカスの調査。しかし事態は、思いもよらない方向へ...