マツダ、ユーノス ロードスター。発売から28年が経過した昨年8月、マツダが初代ロードスターのレストアサービスを発表。鈑金修理するのではなく、部品を新品に交換するという

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ついに平成も今年で最後。平成といえば問答無用のニッポンのクルマ黄金期であるが、平成最後にきて大変革期に突入。クルマは急速に自動化、電動化へシフトしている。だからこそ、男たちよ、熱くて濃すぎる平成の国産車を愛(め)でようではないか!

平成カーでスゴいと言ったらなんといっても平成元年こと1989年だ。今でも語り継がれる国産車大ビンテージ、超大当たり年のクルマがズラ〜リ。トヨタ・セルシオ、R32日産スカイライン、Z32フェアレディZ、インフィニティQ45、ユーノスロードスター、初代スバル・レガシィと今に続く名車中の名車の原型が生まれたのだ。


マツダ、ユーノス ロードスター。発売から28年が経過した昨年8月、マツダが初代ロードスターのレストアサービスを発表。鈑金修理するのではなく、部品を新品に交換するという

なぜ名車が誕生したのか? その理由を自動車専門誌『ベストカー』の編集局局長である宇井弘明氏はこう分析する。

「やっぱり時代の流れに尽きるでしょう。85年にはプラザ合意もあって為替も円高に振れていく時期だった。そして89年には日経平均3万8000円超えとトンデモない株価となり、日本全体にお金があった。同時に自動車メーカーにも"世界一になろう"という野心的モチベーションがありました。

そして70年代、80年代と世界に追いつけ追い越せでやってきた結果、部分的にではありますが、世界を超え始めた。そのいい例がホンダのF1。マクラーレンと組んだ88年には年間16戦15勝しています。

また、平成元年に登場した初代セルシオは静粛性で世界一といわれ、当時のベンツ、BMWが焦り、研究用にセルシオを買ったという話もあったほどです」

要するに当時の日本メーカーはイケイケだったわけだ。一方、当時、R32スカイライン、R32GT-Rの実験主担だった元日産の辣腕(らつわん)エンジニア、渡邉衡三(こうぞう)氏はこう話す。

「冷静に見ると、今のクルマのほうがスゴいとは思います。当時の日本は280馬力規制があったし、今は300馬力、400馬力も当たり前の世界です。トヨタなんかは600馬力のクルマを出そうとしていますから。

ただ、今は電子制御の技術が進んでますよね? 要はすべてをコンピューターでコントロールする時代ってこと。僕らが現役の頃はシミュレーションも発達してなかったし、人間が汗水垂らす、昔ながらの造り方でした。土日出勤は当たり前で残業もスゴかった。まだクルマ造りに人間らしさが残っていたと思います」


日産スカイラインGT-R。ベースは8代目スカイライン。RB26DETT型エンジンはカタログ値こそ280馬力だが、軽いチューニングで400馬力近くまで簡単に出る怪物カーだった

そう、平成元年カーの最大の魅力は人間らしさが感じられること。実は当時のクルマは今から考えると、大して速くないし、現代カーのような先進安全装備もないが、男を奮い立たせる速さや熱さはある!

ただし、良質な個体は年々減る一方だし、米国の法規制「25年ルール」の影響も出ている。25年ルールとは、米国で新車販売されていなかった中古車を輸入し、公道走行を可能にするためには安全基準や排ガス基準などを米国基準に仕様変更しなければならない。

けれど、製造から25年以上が経過したモデルは「クラシックカー」として扱われるため、制限が免除される。25年以上が経過した日本製スポーツカーは映画やゲームの影響もあり大人気。価格も高騰中だ。

そんな背景もあって平成元年カーは続々と海を渡っている。この流れは確実に今後も続くはずで、平成元年カーに憧れている、あるいは一度は乗りたい!と考えている男どもよ、狙うなら今だ!

★『週刊プレイボーイ』34&35合併超特大号(8月5日発売)「初代ロードスター、R32GT-R、初代セルシオ......国産車の黄金イヤー! 男なら今こそ平成元年生まれの伝説カーに乗れ!」より

取材・文/小沢コージ 写真提供/マツダ 日産