雪隠、東司、後架…いくつ読める?いろいろあるトイレの呼び方

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はばかり、厠(かわや)、雪隠(せっちん)、東司(とうす)、後架(こうか)、閑所(かんじょ)…これぜーんぶお手洗い…もとい「便所」のこと!

歌川広景「妻恋ごみ坂の景」

さて、なんでこんなに別名が増えてしまったのか。そこにはぼっとんよりも深〜い歴史がありました。

今回はトイレのさまざま呼び方を紹介します。呼び名に関しては以前紹介した「雨の呼び名」も面白いので、合わせてどうぞ。

なんと400語超あるとも言われる日本情緒あふれる「雨の呼び名」を一挙ご紹介

 

厠(かわや)

かわやは数多くある便所の別名でも古く、『古事記』『日本書紀』や『万葉集』にも見られます。国学者の本居宣長は、『玉勝間』で水上で用便する原始的な水洗便所を「河屋」と称しています。川など水の流れのあるところに掛け渡した建屋を「川屋」と呼んだというわけですね。

また、現代では住居の中にお手洗いを作りますが、少し前までは母屋のそばに設けるのが一般的だったため、「側屋(かわや)」とする説もあるそうです。

トホホ…。女性はトイレに行くのも一苦労、落書きもあった江戸時代のトイレ事情

雪隠(せっちん)

はっきりとした由来はなく、有力な説では中国の霊隠寺でトイレ掃除を熱心に行っていた「雪とう」という和尚の名前の「雪」とお寺の名前の「隠」を取ったのが始まり、というものがあります。

また、西浄(せいちん)という名の転化とも言われています。西浄の由来は西序(せいじょ)の人が用いるからで、西序とは禅宗で高僧が就く職位のこと。

由来の由来になってしまいましたが、要するに禅宗において西序の人が使っていた便所を西浄といい、それが訛って雪隠になったという説ですね。中国では便所を雪隠と呼ぶことはないため、後者の方が有力かもしれません。

また、茶会でしつらえた便所のことも砂雪隠といいます。茶の湯は戦国時代に確立したもので、当時の武将は禅宗に帰依していた者が多かったので、やはり禅宗由来と言えるでしょう。

東司(とうす)

今でも使われる、禅宗でのお手洗いの呼び方です。京都の東福寺の東司が有名で、日本最古のお手洗い建築物として重要文化財に指定されています。雪隠と同じく、語源の由来ははっきりとしません。

ただ、東司という建物は禅宗の建築様式である七堂伽藍の一つで、鎌倉時代には左右対称の配置となっていました。

七つというのは、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、三門(さんもん)、僧堂(そうどう)、庫裏(くり)、浴室(よくしつ)、東司(とうす)です。

東司の対象には浴室が置かれますが、東司が西の方角に置かれている寺もあるため、「東にあるから東司と呼ぶ」という考え方は安易なようです。もしくは最初は東の方角に建てていたものの、立地条件などで難しかったり、意味が形骸化し左右対象ならどちらでもいいということになったのかもしれません。

また鎌倉時代、東は幕府を意味することから「重要な場所」から転じて密談をする場所という意味かも…?なんて考えすぎですね。

いずれにしても禅宗は厳しい掟があり、東司に入る時間も決まっているそうです。

ちなみに東司を守護する本尊は烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)といい、密教経典などで登場する明王ですが、なんと便所を清めるという功徳があるのだそう。トイレの神様は昔からいたんですね。

東福寺

後架(こうか)

これまた禅寺で洗面所のことを指します。僧堂の後ろに架け渡して設けられました。その傍らに便所が存在してたことから、便所を指す言葉としても使われるようになったとか。

閑所(かんじょ)

元々は人気のない静かなところという意味から、便所を暗喩する言葉として使用されたようです。武田氏の戦略・戦術を記した軍学書『甲陽軍艦』に武田信玄が閑所をしつらえたという記述があります。

はばかり

「人目を憚る」から来ています。そもそも便所ときいて汚いものを連想してしまうのは至極もっともなので、「ちょっとしたはばかりへ」などと慎み深い表現をすることは、同席している方への配慮ともいえるでしょう。

いかがでしたでしょうか。特に聞き慣れない不思議な語感のものは、禅寺由来の言葉が多かったですね。

他にも手水、ご不浄、お手洗い、化粧室にいたるまで様々な呼称があります。やっぱり便所の響きが一番下品かも!?