6月下旬からSNSを開始した那須。いかなる想いを持って自らの言葉を発信しようと思い立ったのか。(C) J.LEAGUE PHOTOS

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「今までA代表に選ばれてないので、僕のキャリアは必ずしも陽に当たってきたわけじゃない。でも、伝えられることはたくさんあると思う」
 ヴィッセル神戸のDF那須大亮はこう語った。
 
「何かを伝えたい」これはアスリートならではの欲求なのかもしれない。
 
 那須は今年6月21日にTwitterを開始。翌月26日には動画投稿サイトYouTubeへの投稿を開始。内容はこれまでのサッカー人生や実践するトレーニングを紹介。SNSには「見てくれている人に『夢』を与えられるような動画を配信できればと思います」と記されていた。
 
 多くのJリーガーがSNSを駆使し発信するなか、那須とSNSがどうしても結びつかなかった。それは那須が“伝える”選手ではなく“伝わる”選手だからだ。
 
 プロ17年目。36歳の那須はこれまで6つのクラブを渡り歩いた。浦和レッズ時代、闘争心あふれるプレーから“兄貴”と呼ばれ、サポーターに愛された。また那須を語るうえで欠かせないのが居残り練習。出場の有無にかかわらず、自らを納得するまで厳しく追い込んだ。
 
「あと一回、あと一回」と延々、続くトレーニングに立ち会った浦和・池田伸康コーチは「プロとは何かを改めて感じさせてくれた。那須の言葉にはまったく濁りがない。すべてに誠実なんですよ」と語るほど。
 
 真摯さ。謙虚さ。ひたむきさ。多くを語らない那須の背中は見るものにプロの姿を見せつけた。生来、前に出て目立とうとするタイプではないにもかかわらず、なぜ、率先して伝えようとしているのか。
 
 それは彼自身、何気ない言葉に助けられてきたからだ。
 
 プロ2年目の2003年。横浜F・マリノス時代、岡田武史監督のもと、那須はレギュラーを掴んだ。センターバックが本職である那須が不慣れなボランチで苦労するなか、監督からよくかけられた「我慢」という言葉は今でも心に残っている。監督やコーチに言われた言葉、練習や試合で感じたこと。たまたまテレビや書籍で目にしたちょっとした言葉を書きとめては時折、見返して、心の糧とした。
 
「本やテレビのアスリート特集で選手の境遇を知ることで“辛いのは自分だけじゃない”と思って頑張れた。こうした励ましや生きた言葉がその時の自分にマッチしたとき、自分の背中を押してくれた。そうした言葉を残すことで見ている人たちに感じて欲しいし、人生のヒントにしてくれればと思った」と、那須はSNSを開始した経緯を語った。
 
 決して長くない現役生活。だからこそ、伝えたい何かがある。
 
 浦和の最年長39歳DF、平川忠亮は「那須自身、いろんなチームでいろんな経験をしてきた分、今まで感じてきたことを伝える時期が来たんだと感じた」と同年代だからこそ察することができる。
 
 実は那須は長らく、これまで自身のサッカー人生をまとめた書籍の出版や、講演を開きたいと考えていた。SNSの開始で思い描いた試みが形となった。
 
「伝えることは“もっとやらなければ”という僕自身への問いかけになっている」
 ひたむきな那須大亮らしい一言だ。
 
取材・文●佐藤亮太(レッズプレス!!)