ゲルト・エンゲルス氏【写真:Getty Images】

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元Jリーグ監督のエンゲルス氏、1980年代に来日した際に受けた衝撃

「日本は労働時間、通勤時間が長くて、土地が高い。一般人がスポーツを楽しむのが物凄く難しい国。でも歴史は速やかには形成されない。できたことをポジティブに楽観視していってほしい」――ゲルト・エンゲルス(現・ヴィッセル神戸ヘッドコーチ)

 ゲルト・エンゲルスは、ケルン体育大学を卒業するとともに来日し、地域のクラブチームや滝川二高のコーチを経て、プロの指導に携わるようになった。長く日本に住み、様々なカテゴリーで指導を重ねてきただけに、この国の文化や環境への理解にも独特の深みがある。

 来日したのは1980年代。ショックだったのは、テレビにサッカー番組がまったく見当たらず、新聞にもリーグ戦の成績が載っていないことだった。

「だから自分がどんなカテゴリーで試合をしているのか、まったく分からなかった。ドイツなら8部リーグまで全ての試合の結果が載るからね。それに試合をするグラウンドが酷かった。ドイツでは、10部のチームにもホームグラウンドがある。ところが僕が最初に所属したクラブは、今週は大学のグラウンド、次は市のグラウンドという具合いで、前後には他の試合も行われる。とても公式戦とは呼べなかった」

 しかしそんな日本にも、やがてプロが創設されて、気がつけば6大会連続してワールドカップに出場した。

「いつかは日本も“サッカーの国”になると思う。でもサッカーの歴史は、そんなに速やかには形成されない。日本は労働時間、通勤時間が長くて、土地が高い。一般人がスポーツを楽しむのも物凄く難しい国だ。それでも育成組織が整い、たくさんのグラウンドができて、そこで大人も子供も楽しむようになった。そういう環境ができて初めてピラミッドの土台が広がっていく。そこが一番大切なんだよ」

「日本人には粘り強く、夢を守り抜く力がある」

 エンゲルスが指導をしていく上でモットーとしているのは、自分が率先して楽しむことだ。

「きっとみんな僕がサッカーを好きだということは分かってくれていると思う。ジーコだって根本にはサッカーが大好きだという気持ちがある。プロの選手だって、好きで情熱を持ってなるべきなんだ」

 このインタビューは、かつてエンゲルスが京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)の指揮を執っていた時に行ったものだ。実は当日の練習でも、先頭を切って選手たちとのFK合戦を勝負していた。

「日本人には粘り強く、夢を守り抜く力がある。昔、アマチュア時代に弱かった日本代表で戦った人たちが、凄く頑張ってJリーグを創った。良いことには時間がかかるんだ。とにかく日本の人たちには、できたことをポジティブに捉えて、どんどん将来を楽観視していってほしいね」

(文中敬称略)(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記〜青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。