第100回全国高校野球選手権大会の開会式で入場行進する広陵ナイン=8月5日、甲子園球場(写真:共同通信社)

2017年夏の甲子園で個人の大会本塁打記録などを塗り替えた中村奨成(現広島東洋カープ)を擁して準優勝を飾った広陵。10月の愛媛国体で初優勝を飾ったが、その分、新チームのスタートは遅れた。

センバツの出場権のかかった秋季大会は広島大会3回戦で敗退。春季大会は2回戦負けし、夏の広島大会はノーシードで戦うことになった。

広島大会前に筆者は、広陵野球部の中井哲之監督のほか、野村祐輔(カープ)、小林誠司(読売ジャイアンツ)などOBの取材を終え、彼らの強さに迫った拙著『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』を書きあげていた。

もちろん、第100回大会という大きな節目に甲子園に出てほしかった。だが、現実的には難しいと思われた。

昨夏の甲子園を経験したメンバーはいるが、チームはなかなか勝利をつかめなかったからだ。しかし、広島大会が始まると、準々決勝まですべてコールド勝ち、準決勝で広島商業に勝ち、決勝で広島新庄にサヨナラ勝ちして2年連続の甲子園出場を決めた。

もちろん、日本一の経験のある中井監督の手腕は大きい。

広陵野球部OBの父親のひとりはこう語っている。

「うちの子はかなりヤンチャだったんで、広陵に行かせたという部分はあります。規則の緩い野球部なら、不祥事を起こしかねないと親が心配するほどの子どもでしたから。勝つためだけの練習をするわけではないので新チームのときはいつも勝てない。でも、最後の最後に仕上げてくるんです」

この父親が野球部を選んだ条件はふたつ――甲子園に出られる確率が高いこと、監督が人格者であること、だった。きちんとした人間を育成してくれる厳しさがある野球部に息子を入れたかったと言う。

みんなで成長しながら「本物の甲子園」をつかみたい

1990年から指揮をとる中井は56歳になった。名門を率いて30年近くが経つ。

「広陵の野球部は、甲子園出場が義務づけられています。重たいものが背中に乗っている。だけど、甲子園には行き方というものがあると思っています。もし正しい道があるならば、生徒とともに成長しながら『本物の甲子園』をつかみたい」(中井監督)

甲子園は野球部員にとって憧れの場所であり、ゴールでもあり、さらに高みを目指すものにとっては通過点だ。選手ひとりひとりに甲子園がある。

「アルプススタンドで大きな声を出すのも、太鼓を叩くのも、校旗を持つのも甲子園です。ベンチ入りするのも、スコアブックを書くのも、マウンドに上がるのも、バッターボックスに立つのもそう。それぞれに甲子園があるんです。もしかしたら、ベンチに入って試合に出ることだけが甲子園だと思っている人もいるでしょうが」

地方大会でベンチ入りできるのは20人、甲子園は18人だけだ。130人の部員がいる広陵では、8割以上の選手がベンチの外から試合を見ることしかできない。ベンチ入りメンバーでも試合に出られる人間は限られている。

ならば、補欠はチームの勝利に関わることができないのか?

補欠でもチームの力になれることを証明してくれるのが、広陵野球部だ。それを象徴するのが昨年のキャプテン、背番号18の岩本淳太だった。

昨夏の甲子園でベンチ入りした18人のうち出場機会がなかったのは1年生キャッチャーの鉤流大遂とキャプテンの岩本だけだった。

ドラフト候補の中村をはじめ、エースの平元銀次郎など腕に覚えのある選手たちの能力は高かったが、まとまりがなく、最後の夏まで勝つことができなかった。それを変えたのが春からキャプテンになった岩本だった。

チームをまとめることに徹したキャプテンの存在

中井監督は言う。

「淳太はもともとピッチャーだったんですが、ひじを故障していて、僕の前で強気な発言をすることはない。でも、よくよく聞いてみると、生徒間のミーティングや3年生だけのミーティングではメンバーに厳しいことを言うらしい。選手としてもあきらめていないから、練習もものすごくやる。生徒には『淳太にやらすぞ、おまえら、ええか?』と言いました。

淳太自身、ひじの状態が悪くて、選手として使われることはないとわかっていて、そこは割り切って、キャプテンとしてチームをまとめることに徹しました。だから、淳太なしでは語れんチームですよ」

岩本は高校に入ってから2度右ひじの手術をしていた。患部はまだ完治せず、その夏の甲子園でも戦力にはなれなかった。岩本の前のキャプテンだった中村は言う。

「淳太はAチームで投げたこともあるし、故障が多くてベンチに入れず控えと一緒に練習していたので、ベンチ外のメンバーの気持ちもよくわかります。両方を知っているのでキャプテンにふさわしいと思いました。淳太がキャプテンとしてやってくれるので、僕は試合に集中できるようになりました。

淳太はちゃんと筋が通っていて、間違ったことをしたらちゃんと言ってくれる男で、チームを引っ張ることができます。僕が試合中に気の抜けたプレイをしたら、すぐに注意されました」

べンチ入りしていても試合に出られないキャプテンは何をしたのか。

背番号18のキャプテン・岩本は試合中もグラウンドの外でも、選手たちの動きに目を光らせた。レギュラーが気の抜けたプレイや態度を見せたときには叱咤し、落ち込んだ部員がいればさりげなくフォローに回った。

彼のキャプテンシーによってチームはまとまり、中村は自分のプレイに集中できた。おかげで、夏の甲子園では決勝まで勝ち上がれたのだ。岩本の出場試合は1試合もなかったが、彼の貢献を誰もが認めている。

現在、上武大学野球部に所属する岩本はこう振り返る。

「中井先生にキャプテンに指名されたあと、『これまで一番悔しい思いをしてきたのはおまえやろ? どういう思いで野球をしとるのか、全員に浸透させろ』と言われました」

キャプテンを受諾した岩本はすぐに中村のところに向かった。

「奨成がキャプテンを下ろされて落ち込んでいたので、『オレに技術がないのはわかっとるやろ? おまえが試合ではゲームキャプテンとして、技術でチームを引っ張ってくれ』と言いました。僕はチームをひとつにすることだけを考えるようにしました。

チームがまとまったのは、ミーティングを増やしたからです。僕たちは日本一になるために、日本一のミーティングをしようと思いました。どの高校よりも真剣にチームのことを考えて、熱く、深く語り合いました。ひとつのテーマを掘り下げて掘り下げて、みんなの意見をひとつにまとめて、それを練習でぶつけました」(岩本)

「補欠の力」を結集して勝ち取った準優勝

決勝戦で花咲徳栄(埼玉)に敗れ、初めての夏の甲子園優勝はかなわなかった。しかし、チーム全員の思いと「補欠の力」を結集して、準優勝を勝ち取ったのだ。


「控えの選手は、レギュラーが頑張らないと勝てないことがわかっています。だから、あえて厳しいことを言う。上辺だけではなくて、本当に言いたいことを言い合えた仲間でした」(岩本)

広陵の今年のメンバーには、中村のようなスターも、180センチを超える選手もいない。初戦で、激戦の東東京大会を勝ち抜いた二松學舍大付と対戦する。

今回も、背番号10のキャプテン・猪多善貴が中心となって、「補欠の力」を結集した熱い戦いを見せてくれるはずだ。

(文中敬称略)