部下を日常的に恫喝していたとされる山根会長は、ファッションや態度にも迫力があり、恐れられていた

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恐ろしくて誰も逆らえない その理由は、会長の「ルーツ」にあった

部下を日常的に恫喝していたとされる山根会長は、ファッションや態度にも迫力があり、恐れられていた

「経歴についてわかっているのは、奈良県ボクシング連盟の会長に就任した後、アマチュアボクシングの日本代表監督を約20年にわたり務め、’11年に連盟の会長に就任した、ということぐらいです。奈良のボクシング連盟に所属する以前のことは、まったくわかっていません」(元連盟理事で元会長秘書の澤谷廣典氏)

 元選手ら関係者333人が内閣府などに告発状を提出した、日本ボクシング連盟を揺るがす前代未聞の騒動。「判定操作」や「助成金流用」など、山根明会長の悪行は連日のように報じられ、ついに8日に辞任を表明した。しかし、明らかにされていないことが一つある。それは、山根会長の過去だ。

「ボクシング経験がないことは間違いない」(前出・澤谷氏)人物が、いかにしてボクシング界のドンにのし上がったのか。取材を重ねた本誌は今回、山根会長の過去を詳しく知る、ある人物にたどり着いた。

 その人物とは、元暴力団組長のM氏。78歳とされる山根氏の2歳年上で、山口組傘下「小田秀組」の若頭として名を馳せた大物だ。

「小田秀組の小田秀臣組長は、田岡一雄三代目山口組組長の『知恵袋』と呼ばれた人物です。小田氏は四代目誕生時の’84年に引退、その際、M氏は山口組の直系組長に昇格しました。10年ほど前に引退するまで、M氏は『頭の切れる武闘派』として、関西では名の知れた組長でした」(全国紙ベテラン社会部記者)

 そんな大親分だったM氏が、山根会長とどんな関係があるのか。180cmを超える長身と強面に似合わず、意外なほど丁寧な口調でM氏が語りだしたのは、衝撃の事実だった。

「山根は私の舎弟でした。正式に盃は交わしていませんが、私の組であるM組に出入りしていたことは紛れもない事実です。組員の紹介で入ってきたと記憶しています。初めて会ったとき、アイツは20歳くらいだったから、今から60年ほど前になる。『兄貴、兄貴』と私にまとわりついてきたのを覚えています。
 組には10年以上出入りしていたんちゃいますかね。仕事は私の使いっ走りをさせていました。そうそう、そういえば、山根が最初の嫁さんと結婚をしたとき、婚姻届の証人になったのも私ですよ」

 M氏に対し山根会長は、「京都や奈良の組にも出入りさせてもらっていました」と語っていたという。

「奈良のボクシング連盟に取り入ったのも、そのツテでしょう。私の組に所属していた頃も、連盟には出入りしていました。入り込んだ後は、ヤクザの流儀で頭角を現していった。強い者には平身低頭して、弱い者は恫喝する、というやり方です。そうして会長にまで成り上がってしまった。

 山根は連盟で偉くなるにつれ、過去を知る私が疎ましくなったんでしょう。だんだんと疎遠になり、私の陰口を言っているという噂も聞いた。それで最近、大阪市内のスナックでばったり会ったとき、『アキラ、ワシに文句でもあるんか?』とかましたんです。以来、一度も会っていません」

 暴力団の有力組長との密接交際――。M氏の証言が事実だとすれば、「アマチュアボクシングの普及」を謳う連盟の会長としてふさわしいかどうかは、議論を俟(ま)たない。

 本誌は山根会長の経歴について、連盟に対して詳細な質問状を送った。連盟は代理人弁護士名義でこう回答した。

「山根氏が19歳の頃、山根氏は2歳年上のM氏と知り合った。山根氏は一人っ子であったところから、M氏を兄とも思い交友を続け、親密な仲となった。しかし、山根氏はM氏所属の組の構成員となったり、組員としての活動をしたことは一切ない」

 連盟は京都や奈良の暴力団組織に所属していたことについても、「一切ない」と回答。ちなみに、山根氏が奈良県ボクシング連盟に所属するようになったのは「遅くとも昭和50年代から」で、以前は「自営業者」だったという。

 ’13年に開催された東京国体の際には、天皇皇后両陛下の隣に座り、試合の解説をした山根会長。そんな写真を見て、M氏は最後にこう語ったのだった。

「あんな男が会長になり、あまつさえ天皇陛下にご進講なんてとんでもない。分をわきまえろ、と言いたいですよ」

’13年の東京国体では、天皇皇后両陛下へ試合の解説をした。宮内庁は山根会長の素性を調査したのだろうか