前回、公開から3ヶ月以上経ったにも関わらず、「自衛隊『イラク日報』――ブラック職場が生んだ意味なさぬ黒塗り」を書いたところ、それなりの反響を頂いた。前回は日報から「削除された」情報についてだったが、今回は日報に「加えられた」情報について考察する。

【写真】日報には、「自衛隊員がもっとも死に近づいた瞬間」が詳細に記されていた


サマーワで警備を行う自衛隊員 ©共同通信社

会議中に幕僚個人が書いたと思われるメモ

 今年4月16日に公表された日報は、本隊である『イラク復興支援群』、本隊を支援する『イラク復興業務支援隊』、そしてサマーワ宿営地からの撤収作業を支援した『イラク後送業務隊』の3隊で、計435日分、14,929ページある。このほとんどは陸上自衛隊の各機関に保管されていたものだが、その状態は一様ではない。

 公表された日誌の中にも欠落などの不完全なものが含まれており、その保存形式も異なっていた。ほとんどはモノクロで用紙1枚に2ページ表示するツーアップで出力されているが、カラーで1ページずつ記録されたものもある。

 そして正確に言えば、公表された自衛隊イラク日報は、イラク派遣部隊が作成した日報そのものではない。モノクロのツーアップ日報は、恐らく統合幕僚監部(2006年3月27日以前は統合幕僚会議)や陸上幕僚監部内での会議用に配布されたもので、会議中に幕僚個人が書いたと思われるメモ書きが見られる。メモの中には、会議での部課長クラスの発言など、本来の日報そのものに無い情報まで含まれ、中には黒塗りされているものもある。

 日報はイラク派遣部隊が日々の状況を東京に報告するために作成したもので、現地の認識を元にしているが、メモは東京の幕僚達の認識をうかがわせるもので興味深い。

メモから伝わる当時の市ヶ谷の状況

 例えば、2006年2月1日の日報では、毎日掲載している現地雇用者数の情報について、宿営地内役務者180名と書かれている下に、「80名 部族関■」と記されている。恐らく、イラクで今も根強い部族社会を考慮し、部族の力関係等を考慮した雇用者の部族枠と思われる。

 また、2006年5月25日には、陸幕運用支援・情報部長(当時)が雇用者数の減少を問題にしたようで、「夏場に雇用数が極端に減少することはおかしいし、避けるべき」と危機感を表明して、案件を増やすべきとしている。また、恐らく案件創出の実行については、統幕と陸幕の間に認識の差異があるのではないかと運用支援・情報部長は見ているなど、当時の市ヶ谷(防衛省)の状況が伝わってくる。

 撤収間際の2006年7月6日の日報では、181名の宿営地内役務者のうち、136名が再雇用を希望している旨がメモに書かれている(サマーワ宿営地は自衛隊撤収後、再建されたイラク軍に引き渡されている)。このことからも、現地の雇用状況に市ヶ谷でも注意を払っていたことがうかがえる。

 現地の雇用創出は自衛隊の派遣意義のひとつでもあり、地元に不満を鬱積させないためにも重要な施策だった。2006年に入る頃には撤収の雰囲気が濃厚になっていたが(撤収が表明されたのは6月20日)、少なくとも陸幕運用支援・情報部長は出来るだけ最後まで雇用を確保したかったようだ。

明らかになった事故の詳細

 さて、日報の内容が明らかになった後、メディアが伝えた内容の大半は、「戦闘」という表記の有無やその回数、宿営地や自衛隊車列への攻撃事案、あるいは自衛隊員に拳銃が向けられた事案(最初の公表以後に見つかった日報の内容で、朝日新聞サイトで公開された日報内には無い)等が中心であった。

 しかし筆者は、日報内のメモに、「派遣期間中に自衛隊員の生命が一番危険に晒されたのは、この時を置いて他にはないのではないか」と思わざるを得ないものを見つけた。

 それは2006年6月26日に発生した軽装甲機動車の横転事故だ。事件当日の防衛庁サイトでは、次のように発表している。

イラク派遣陸自部隊のタリル飛行場近傍での事案について(20:30現在)

平成18年6月26日

 

 本日、以下の事案が発生しましたのでお知らせします。なお、詳細については、現地部隊において確認中であり、内容は変わり得ることをご理解ください。

1 日時:
 6月26日12:45(日本時間同日17:45)頃

2 場所:
 タリル飛行場近傍

3 概要:
 タリル飛行場からの人員輸送に向かっていた車両のうち、軽装甲機動車(LAV)1両が横転

4 被害:
 負傷者3名(確認中だが、3名とも意識ははっきりしている)、車両については自走不能

5 原因:
 確認中だが、IED(簡易爆弾)等によるものではなく、事故の可能性が高い

6 対応:
 多国籍軍ヘリにより負傷者をタリル飛行場内に搬送し、応急措置を実施。なお、車両は回収する予定

出典:http://www.mod.go.jp/j/press/news/2006/06/26a.html

「生命の心配はないということでございます」

 次に当時の防衛庁長官記者会見概要を見てみよう。

Q: 昨日、タリル空港付近で陸自の軽装甲機動車が横転する事故があったようですが、この事故のその後の状況と安全対策についてお聞かせ下さい。

A: 現地時間で26日12時45分、サマーワの東約100kmのタリル飛行場に向かっていた陸自の軽装甲機動車5人乗り1両が、同飛行場手前約10kmの地点で横転し、自衛官3名が負傷、車両は破損し、自力走行不能になる被害があったとの報告を昨夕受けました。怪我は3人とも、肩を骨折したり、手首を骨折したり、打撲をしたりということですが、生命の心配はないということでございます。重症の1人はバグダッドの米軍病院で治療を受けているということで、あとの2人はクウェートの同じく米軍病院で治療を受けているという状況でございます。(後略)

出典:額賀長官会見概要 2006年6月27日

「肩や手首の骨折や打撲」とはかけ離れた印象

 これら発表や記者会見からは、それほど深刻な怪我ではないという印象を受ける。メディアも事故への関心は低いようで、会見ではこの後の質疑は北朝鮮問題に費やされている。また、日報公開後に日報の主要トピックスを掲載する新聞社が多かったが、2018年4月22日付けの中日新聞朝刊「陸自イラク日報詳報」では、「イラク派遣部隊の日報の主な内容」の中に、当該事故は含まれていないなど、本件の扱いは小さい。

 だが、公表された日報には、事故で負傷した隊員の状況が掲載されている。そこでは長官の言う「肩や手首の骨折や打撲」とはかけ離れた印象を持った。

 そして、6月27日の日報表紙にある書き込みには、事故時の状況が書かれている。それによれば、時速80〜90kmで走行中、中央のくぼみを避けようとして横転、車外に2名が放り出されたとある。

 時速80〜90kmと言えば、高速道並のスピードで、車外放り出しともなると、かなり深刻な事態に見える。さらに6月27日のバスラ日誌では、「当初、師団が把握していた状況は、意識不明2名、重症1名であった」とある。情報が錯綜していたのかもしれないが、「3名とも意識ははっきりしている」とした防衛庁の発表とは異なっている。

救急医療経験のある医師の見解は?

 素人目線で考えても仕方がないので、筆者の知人で大学病院での救急医療の経験のある医師に、前出の「負傷者の状況」のページだけ見せて、負傷の程度を聞いた。以下が回答である。

「一番上は挿管までされているし、結構重症。一番下も血胸になっているからそれなりに重症」

 その後、次のようなコメントを得た。

「それにしても、シートベルトをしてないような怪我の仕方だな」

 メモによれば、負傷隊員2名は車外に放り出されている。シートベルトをしていないような怪我という見解は、メモの内容と一致していた。念のために補足すると、事故を起こした軽装甲機動車は、天井ハッチが開放され機関銃座になっている。車体の窓は小さく、分厚い防弾ガラスがはめ込まれていることからも、周囲を警戒していた隊員が天井ハッチから飛び出たと思われる。

少なくとも当初は意識不明だった可能性が高い

 この見解を得た後、メモの内容やその他の事故時の情報を伝え、この怪我の詳細について聞き、要約化した。

・交通外傷には高エネルギー外傷という概念があって、評価はガイドラインで定められている。
・「横転した車両事故」、「車外放出」は高エネルギー外傷の目安になり、この時点でかなり危険な事故と初期判断される。
・救急においては、A=気道 、B=呼吸、C=循環、D=頭蓋の順番で優先される。一番上の隊員が挿管されたということは、ABに問題があったと考えて良いので、1次〜3次救急では3次に相当すると考えて良い。
​・通常、意識のある患者に挿管はできない。

 3次救急は日本の救急医療制度でもっとも重い救急医療を指し、救命救急センター等での治療対象となる。東京都で3次救急を行える施設は26しかないことからも、高度な医療体制が必要なことが分かるだろう。そして、3次救急は生命に危機があるとみなされる患者への医療だ。これらの医師の見立てが正しいとすると、報道されていた以上に深刻な事故だったことがうかがえる。

 防衛庁の発表では負傷隊員は3名とも意識があるとのことだったが、1人は挿管がされていた旨が書かれている。だが、意識のある患者への挿管は通常行われないという。

 意識下での挿管が考えづらいとなると、バスラ日誌にもあるように少なくとも当初は意識不明だった可能性が高いようにみえる。防衛庁の最初の発表時には意識を取り戻していたかもしれないが、一時意識不明だったと発表しても良かったのではないか。仮にそうだとすると嘘は言っていないものの、釈然としない。

決して無血で終わった訳ではない

 メディアの関心は、どうしても銃や砲撃といった攻撃事案に向けられがちである。が、一個の生命という意味では、銃撃死も事故死も変わるものではない。筆者はこの事故が公表された資料からうかがえる、もっともイラク派遣自衛隊員の生命に危機が迫った瞬間であると捉えている。

 この事故で死者を出さなかったのは幸運であった。しかし、イラク派遣全体を見れば、米軍車両に轢かれた元航空自衛官が後遺症をめぐり国と係争をしているし、外務省職員2名が銃撃され殉職している。決して無血で終わった訳ではないという点は、胸に刻んでおく必要があるだろう。

(石動 竜仁)