リアル店舗がネット通販に勝つ唯一の方法
■日本にマーケティングがなかった理由
――業績をV字回復させたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)を卒業したあと、マーケティングの精鋭集団である株式会社「刀」を設立して1年あまり。以前から「日本企業にはマーケティングが足りない」とおっしゃっていますが、状況は変わりましたか。
もちろんマーケティングができている日本企業もあります。ただ、必要の度合いに比べると、まだ著しく伸びる余地がある。こんなにマーケティングが普及していないのに世界有数の経済大国を築いた日本企業はむしろすごい。
マーケティングが必要なのはハイテク商品よりもローテク商品なんです。たとえば私がUSJの前に在籍していたP&Gのヘアケア製品がそう。シャンプーは商品の性能自体ではそこまで差をつけられない。商品にあまり差がないからこそ、マーケティングで勝負するしかないともいえます。質の高いものづくりで発展してきた日本企業にマーケティングが必要なかった理由はそこにある。
■品質がいいだけでは売れない時代
今後、日本は少子高齢化で内需がどんどん落ちていく。日本企業は海外に出て行かざるをえません。海外に進出すればガチンコのグローバル競争にさらされます。日本の商品は質は高いですが、いまのグローバル市場では高い品質があれば自動的に商品が売れるという訳にはいきません。戦略的に作って戦略的に売っていかなければ企業が生き残ることはできません。
つまりマーケティングが必須なのです。しかし日本企業はここが弱い。外貨を稼いで日本人が食べていくために必要なのはマーケティングの力です。マーケティングは日本経済を救えると信じています。
そもそも日本人は勤勉で協調性を重視する集団の力がある。これに高度な技術力を活かすマーケティングが加われば、日本は飛躍的に稼げるようになるでしょう。
■買い物の前提が「面倒なもの」ではダメ
――「マーケティングさえできればもっと伸びる」という業界は何でしょうか。
小売りと金融です。
いま、小売りはアマゾンに押されています。アマゾンが巨大物流会社として世界を席巻するのは彼らの自由です。問題は、日本の小売業がアマゾンに代表されるEC革命に対抗するビジネスモデルを持っていないこと。日本の小売業の多くが「小売りの本質」を忘れている。
小売りの本質は、買い物自体の価値を消費者に提供することです。でも日本の小売りがやっているのは、ナショナルブランドの商品をできるだけ安い価格で棚に並べること。店の棚という「土地」を人に貸しているに過ぎませんから、テナントで儲けている不動産業と同じです。
どの店も似たり寄ったりで、新しい発見も提案もないから、店に行ってもつまらない。そうなると、欲しいものが明確にわかっている消費者にとって、お店に行ってレジに並んで家まで商品を持って帰るのが面倒な作業でしかない。それならば、クリック1つで翌日や当日に品物が届くアマゾンのほうがいい。
買い物が「面倒なもの」という前提では、アマゾンに勝てない。アマゾンほど簡便性が高く、品揃えが多く、安くできる企業はないからです。唯一勝負できるのは、簡便性で勝るコンビニくらいです。アマゾンに対抗するには、ショッピング自体の価値を再定義するしかないんです。
■買い物を「体験」に変える
――「ショッピング自体の価値を再定義する」とは?
買い物という行為自体を「コト化」することが大事なのです。買い物をできるだけ速く安くすませたいというニーズは時代の要求なので、アマゾンが隆盛する。「こだわらないもの」はアマゾンで済ませて、大事なものは、「アマゾンで済ませたらもったいない」と思わせなければ。今後は、「買い物という体験の興奮を盛り上げる」ためのビジネスモデルをどう作っていくか、ここの勝負に入っていくはずです。
何でもワンクリックで買える時代だからこそ、その対極に価値が生まれます。暗くなればなるほど小さな明かりは目立つ。デジタルアニメーションが流行るほどにスタジオジブリのアナログの良さが際立つように、世の中の主流の反対側にあるものは輝きを取り戻すことができると私は思っています。
■銀行の「BtoC向け広告」は中途半端
――金融業界は、なぜマーケティング不在なのでしょうか。
ずっと親方日の丸で守られてきましたからね。たとえば「三菱東京UFJ銀行」は、今年4月、銀行名から「東京」がなくなり「三菱UFJ銀行」になりました。そもそもこんな長い名前をお客様に書かせていたこと自体、顧客目線がないことの証明です。
日本では、銀行も証券会社も保険会社も基本的にマーケティングができていない。特にブランディングは下手ですね。証券会社は手数料の安さ以外に本当にブランディングできているところがどれだけあるのか。
銀行もブランディングは、ほとんど未開拓です。そもそも金利で差がつかないのに、どこで差別化するのかはっきりしていない。金融はBtoBで儲かっているので、BtoCは重要と思っていないのかもしれません。でも、BtoBのBも家に帰ればCです。つまり法人顧客も家に帰れば消費者。
ブランドイメージは、対コンシューマーのイメージの積み重ねでできています。「Cは意味がないから優先順位を下げている」と割り切っているならいいですけど、銀行は中途半端にBtoC向けの広告をやっている。そしてその広告を見ると、言いたいことがわからない。最も大切なブランドの設計ができていないからです。
ここをちゃんとブランディングすれば、日本の個人資産を投資に回すサイクルをつくれます。約1800兆円を超える「眠ったままの個人金融資産」が有効な投資に回れば、それは日本にとっても生きたお金の使われ方になる。大いに社会的意味があります。それができるのがマーケティングです。
とくに小売りと金融にはマーケティングによる大きなチャンスがあると思っています。
■優れた戦略も組織がないと意味がない
――森岡さんはマーケティングの専門家ですが、新著『マーケティングとは組織革命である』(日経BP社)では、「組織」のあり方を論じています。なぜ「組織」に関心をもたれたのでしょうか。
どんなにマーケティング戦略が優れていても、組織がそれを実行できなければ意味がない。マーケティングを実行するのは組織です。戦略という頭があっても組織という身体がついてこなければ机上の空論になってしまう。私がサッカーの技術を完璧に頭で理解していたとしても、それを表現するアスリートの身体を持っていなければ、本田圭佑選手にはなれないのと一緒です。
だから私がUSJの業績をV字回復させたときも、マーケティング戦略を立てるだけでなく、同時に組織改革を行うことが絶対に必要でした。私にとってはマーケティング論と同じくらい、組織づくりも重要なんです。マーケティングの入門書や、私独自の数学を使ったマーケティングの理論書はすでに出版しているので、組織を変えるノウハウも本にしたかったのです。
■人事のプロが育ちにくい日本企業
2016年の終わりに6年半在籍したUSJを卒業し、マーケティング集団「刀」を立ち上げ、日本企業のマーケティングのお手伝いもしています。多くの日本企業の人事部の方は、情熱をもって働いていますが、大規模な人事変革の経験者は少ないのが現状です。
人事というキャリアは、そもそもが保守的なのに加えて、年功序列が根強い日本の大企業には「私はあの会社の人事を改革しました」「この会社も変えました」というプロフェッショナルがそもそも生まれにくく、いたとしても中途で採ってもらえることが少ない。
多くの日本企業には、「組織をどう変えるべきか」というベンチマークがありません。私の限られた経験ですが、培ってきたノウハウをお伝えできればとこの本を書きました。
■マーケティングに数学は必要ない
――最後に一つ。優れたマーケターになるには森岡さんのように数学の才能が必要ですか?
まったく必要ありません。優秀なマーケターは論理的ですが数学そのものができる人はむしろあまりいません。私が持ち合わせていない素晴らしい感性の持ち主はたくさん居ますが、私のように数字を駆使するのは非常に珍しいタイプです。
人間の能力を360度とすると、私は数学も含めて5度くらいの狭い能力に得意なことがある。感性など、ほかの355度は全然ダメ。ただ、感性ではなく数字で極めて論理的にマーケティングをやってきたから、マーケティングを皆さんに伝わるように説明し書けるようになったのかな、とも思っています。
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株式会社 刀 代表取締役CEO
1972年生まれ。神戸大学卒業後、96年P&G入社。ブランドマネージャーとして日本ヴィダルサスーンの黄金期を築いた後、2004年にP&G世界本社(米国)へ転籍、北米パンテーンのブランドマネージャーなどを経て、2010年にUSJ入社。12年、同社CMO、執行役員、マーケティング本部長。USJ再建の使命完了後、17年、「株式会社 刀」を設立し、マーケティングを普及させることで日本を元気にする活動に邁進する。最新刊に『マーケティングとは組織革命である』など。
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(マーケター 森岡 毅 構成=長山清子 撮影=入江英樹)